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ネオンの神の汎神論

ネオンの神の汎神論。
ネットの海は広大でも、個別のデバイスに流れ込むタイムライン、区切られた井戸はあまりに狭い。
そしてその小宇宙は、流れ込む「ゴースト」にいつも満たされている。

…言葉遊びです。

でも、情報化社会と呼ばれる現代における「個人」の「自由意志」について、僕が感じたことをコンパクトに、生々しく表現できているかなと勝手に思っています。

ネオンの神

「ネオンの神」という表現は、サイモン&ガーファンクルの『サウンド・オブ・サイレンス』から借用しました。
有名な楽曲だから蛇足かもしれないけど、僕なりに歌詞のストーリーを抄訳します。

懐かしい闇に包まれる「僕」。
昼のビジョンは優しく這い去っていくけれど、眠りに落ちる「僕」の頭にその種を植え残していく。
沈黙の音のただ中で。
昼のビジョンの種が「僕」に夢を休みなく見させる。
夢の中で僕は石畳の狭い道をひとりで歩く。
街灯の暈の下、夜闇を裂くネオンライトが刺すように鋭く「僕」の眼に飛び込む時、僕は触れた。
沈黙の音に。
剥き出しの光の中で「僕」は見た。
一万人? いやもっとだろう。
皆口を動かしてはいても、話してはいない。
皆聞いてはいても、耳を澄ませてはいない。
皆歌を書いても、声に出して誰かに聞かせようとはしない。
沈黙の音を乱そうなど、誰もしないのだ。
「愚かな!」たまらず叫ぶ。
「知らないのか、沈黙は癌のように育ち、僕らを蝕むんだ。
さぁ、僕の言葉を聞いてくれ、僕の手を取ってくれ!」
でも僕の言葉なんて、音もなく落ちる雨粒。
沈黙の井戸の中に響くだけだった。
そして人々はかしずき、祈る。
自分自身で創った「ネオンの神」に。
そしてネオンサインによって神託が照らし出される。
「預言の詞は地下鉄の壁に、アパートの共同玄関に書かれている。
そして、沈黙の音の中で、囁かれるのだ。」

細部はかなり怪しい訳だけれど、雰囲気は掴めていると思う。

元々自分自身で作り上げた「ネオンの神」にある種のビジョンを植え付けられ、その呪縛は昼はおろか夜にすら解けることはない。
「僕」は沈黙の音という「井戸」に閉じ込められ、声を届かせることが出来ない。
そして人々は、「ネオンの神」にかしずき、祈る。
「ネオンの神」の「神託」は常に人々の視界の中にビジョンとして表れ、沈黙の音の中で耳元に囁かれ続ける。

「ネオンの神」からは逃れられない。
まるで「汎神論」のように。

「汎神論」

「汎神論(ドイツ語: Pantheismus)」。
ギリシャ語由来の造語で、「pan」は「すべて(all)」「まるごと(whole)」、「theos」は「神」。

大雑把に言うと、「神」(キリスト教でよく使われる用語なので、一神教の唯一神、絶対者がとりあえずは念頭にあります)が世界を丸ごと抱きながらも、世界の中の万物ひとつひとつに「神の意志」が宿っている、という考え方だ。

例えばゲーテの『若きヴェルテルの悩み』での、自然の中に立ち現れる「万能者の顕現」「万物を慈しむ者の息吹」という表現であったり、『ファウスト』の中で、若返ったファウストがグレートヒェンに語る彼なりの信仰のあり方など、この汎神論という考え方に影響されている。
哲学史でよく耳にするドイツ観念論も、汎神論の影響下にある。

また、仏教など東洋思想とも縁深い。
随分前に友達に誘われて、彼女の母方が檀家をしている浄土真宗の寺の勉強会に顔を出したけれど、親鸞上人の言説は汎神論にかなり似ているなと思った。

「サウンド・オブ・サイレンス」の中の「ネオンの神」は、汎神論に近いのではないか。
何しろ地下鉄やアパートの落書きすら「預言者」の詞で、「ネオンの神」の顕現は「ビジョン」として頭に刷り込まれ眠りの中ですら消えずに夢を見させ、「ノイズ」がキャンセルされた沈黙の「井戸」の中に注ぎ込むように囁かれるのだから。

そう、囁くのだ。
「ゴースト」が。

「ゴースト」

汎神論は元々キリスト教文化圏で生まれた造語だが、キリスト教における「神」のあり方を規定する考え方に、「三位一体論」がある。
「父」と「子」と「霊」の異なる三位が同一(=「神」)だという教義で、「父」は「創造主」としての「神」、「子」はイエス・キリスト=「神」、「霊」は「聖霊(ラテン語: spiritus sanctus)」になる。

「spiritus」は「霊」という意味で使われているが、元々は「息、風」を表す言葉だ。「神の息吹」という表現も、この語源を踏まえている。「神」の「霊、息吹」が世界を満たしているというイメージは、汎神論的な世界観にも合致しそうだ。

ところでこの「spiritus」という単語、現代英語では「spirit」と英語風にした外来語として使われているが、昔は英語(ゲルマン語)本来の語彙を使った別の表現をしていた。
「spiritus」同様元々は「息、風」という意味だったのが、次第に霊的な存在へと意味が拡がった単語。

そう、「ghost(用例: Holy Ghost)」だ。

少し遠回りをしたが、ここで「ネオンの神の汎神論」と、『ghost in the shell』の「ゴースト」が繋がってくる。

企業のネットが星を被い 電子や光が駆け巡っても 国家や民族が消えてなくなるほど 情報化されていない近未来――。

押井守のこの作品では、「私」「個人」という概念の曖昧さについて多く語られる。
特に、体(カラダ=カラ=「空」、「殻(shell)」)のほぼ全てが人工物(義体)になっており、「身」である「精神(ゴースト?)」に自らのアイデンティティーを求めざるをえない草薙素子(「少佐」)によって。

「人間が人間であるための部品が決して少なくないように、自分が自分であるためには驚くほど多くのものが必要なの。 他人を隔てるための顔、それと意識しない声、目覚めのときに見つめる手、幼かった頃の記憶、未来の予感。それだけじゃないわ、私の電脳がアクセスできる膨大な情報やネットの広がり。それらすべてが私の一部であり、私という意識そのものを生み出し、そして同時に、私をある限界に制約し続ける。」

大学時代の友達が「押井作品の台詞は論文だ」と言っていたけれど、確かに個人的な話をしている時に唐突に一般的なテーゼめいたことを語り出す時がある。
この台詞もその好例で、自己規定のために必要な要素(他者との境界と隔壁、記憶・ストーリー…)を列挙しつつ、「私」が「どこまで」なのか(フロイト的「自我」と一線を画す「無意識」、「意識(ゴースト?)」という「身」が宿った「殻」=「身体」、「私」の「道具存在」、「延長」と言い得るネットの広がり)にも考察を広げている。

少佐個人の抱えるアイデンティティーの危機については、劇場版の冒頭でバトーが溢したこの台詞が、端的に表しているように思われる。

お前の電脳、ノイズが多いな。

「サウンド・オブ・サイレンス」の歌詞を細かく見ると、「井戸(wells)」という単語が一度だけ使われている。
一度だけだが、個人的にはかなり重要な単語だと思っていて、あえて注目したい。
(余談だが、ポール・サイモンによれば彼はこの歌詞を書く際、十代の頃電気を消したタイル張りの風呂場で歌とギターを練習していた体験談を元にしたらしい。「水」というのはこの歌詞を理解するにあたり、意外に重要なファクターかもしれない)

「僕」の叫びが木霊する閉ざされた空間。
もしかしたら他の人々も個々の井戸に閉じ込められていて、その中で「声に出して誰かに聞かせることのない歌」を書き続けているのかもしれない。
中から外に声を挙げることも出来ず、外から中へ入るものも、「上」から注がれる「ネオンの神」の啓示(光、ビジョン)と神託(ゴーストの囁き)、まれに降り落ちる「無音の雨粒」、無害化された誰かの叫びだけ、残りはすべて「ノイズ」として遮断される閉鎖空間。

その隔壁を越え、「ノイズ」を拾ってしまう存在が、草薙素子ではないか。

僕は旧劇場版と『イノセンス』しか観ていないからあまり断定的なことは言えないけれど、「ゴーストの囁き」について自覚的に語っているのは少佐だけに思われる。

「根拠ですって?そう囁くのよ、私のゴーストが。」

「完全に義体化したサイボーグ(本人談)」の彼女にしては非合理な台詞に聞こえるが、実際は真逆で、他の人々が「ゴーストに囁かれている」「ゴーストハッキングされている」と気付いていないところで、彼女だけは「囁かれている」ことを意識していて、それが「誰」なのか知りたがっているのではないか。

その「囁き」の発信者は一義的には「人形使い」だったように思われるが、それだけでは足りない気がする。
彼自身「人形みたいなやつ」であり、「人々が自分自身で作った『ネオンの神』」に踊らされる点では少佐と同列ではないか。

「世界に宿るゴースト」

「世界精神(ドイツ語: Weltgeist)」という概念がある。

「Welt」とは英語の「world」で、空間的拡がりとしての「世界」でもあれば、「wer『人(参考:werwolf 「人」狼)』+old『時、時代』」という語源から、「人の世」という意味でもある。
「Geist」は「精神」という意味だが、語源は「ghost」と同じで、「spiritus」のゲルマン語での訳語としての使用という点でも共通する。

つまり、「世界に宿るゴースト」なのだ。

ちなみにこの概念を発展させたのはヘーゲルで、彼の歴史哲学によれば、世界精神(世界に宿るゴースト)は世界精神は世界史の理性的原理であり,世界史は世界精神の弁証法的展開であるとされた。

草薙素子が「囁かれている」のを聞いたのは、この「世界に宿るゴースト」だったのではないか。

世界に宿るゴースト。
人々が自分自身で作ったネオンの神が世界を抱き、世界の中の万物に宿り、世界の物語(世界史)を展開し終幕まで導く時、そう呼ばれる。


「自我」という切り分けられた「井戸」に閉じ込められることなく、広大なネットの海に「ダイブ」する草薙素子少佐は、自分自身をアクセス可能なネットにまで拡大、延長しながらも、その拡大した「私」がすでに「世界に宿るゴースト」に満たされていることに気づいていたのではないだろうか。
そして自分の中に呑み込んでしまった「世界に宿るゴースト」が囁くのを聞き、こう嘯くのか。

「根拠ですって?そう囁くのよ、私のゴーストが。」

しかし少佐はあくまで例外である。
圧倒的多数は自分という「井戸」から出ることが出来ず、ネットの海から流れ込むものに満たされ生きていくしかない。
自らのを満たす流れ込んだ「世界に宿るゴースト」の余り水を、「私」自身のゴーストだと信じ込みながら。

「ゴーストのない人形は哀しいもんだぜ。特に、赤い血の流れてる奴はな。」

ネオンの神の汎神論。
ネットの海は広大でも、個別のデバイスに流れ込むタイムライン、区切られた井戸はあまりに狭い。
そしてその小宇宙は、流れ込む「ゴースト」にいつも満たされている。

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