「ゴロワーズというタバコを吸ったことがあるかい」
「ゴロワーズというタバコを吸ったことがあるかい
ほらジャン・ギャバンがシネマの中で吸ってるやつさ…」
-ムッシューかまやつ『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』
僕がゴロワーズを吸い始めたのは、大学学部生卒業間近、修士課程の先輩に混じって現代思想のゼミに参加していた頃だった。サルトルが吸っていたタバコというのが気になったのと(ちょうど別のゼミで『存在と無』を読み始めていた)、当時粋がってバーに行き始め、酒とタバコを勉強しようと思っていたから、試しに吸ってみたのだった。
妙な言い方だが、あの時初めて、シガレットというものを「嗜む」愉しみを知った気がする。鼻腔の奥でくゆらすように味わう愉悦、とでも言おうか。
ここ半年は仲良くしてくれる女の子がタバコ嫌いなので禁煙していたのだが、誕生日に別の女の子からゴロワーズとアル・カポネ(コニャックで浸けたシガリロで、これもゴロワーズと同じ時期に覚えて以来お気に入りだ)を贈られたので、もらいものという言い訳で最近少し吸っている。
するとどうだろう、久しぶりに吸うゴロワーズがひどく美味しくて、煙を吹き出した瞬間に違う世界が立ち現れたような心地がした。まさに「ひと口吸えばパリにひとっ飛び」だ。
また禁煙に入る前に、僕の二十代を薫り高いものにしてくれたこのフランスタバコについて、書き残しておきたい。
来るべき新しい青春に備えて、旧い青春に永の別れを告げるために。
発酵した葉と葉巻の薫り
僕の吸っているのは、「GAULOISES-BRUNES」というタイプのもので、両切り(フィルター無し)の短いものだ。タバコ葉を堆積発酵させた黒煙草と呼ばれるもので、特有の強い匂いがする。
若干葉巻に近い。だからこそ、鼻腔の奥で転がす=肺まで入れない愉しみ方ができる。
ただし、これは個人的な印象だが、これも葉巻と同様に、他のシガレット以上に「生モノ」というか、鮮度が落ちやすい気がする。シケモクになると吸えたものじゃない。
また、これも個人的な好みだが、屋内よりも青天井の下、それこそパリ(というかヨーロッパ)によくあるカフェのテラス席などで一服した方がおいしい気がする。例えば街の夜風、例えば海辺の潮風、森の中のそよ風、「外気」に包まれながら燻らすことでまた薫りが開いていくような感じだ。
(逆に葉巻は、それ専用の「セット」の中で愉しむのがいいかもしれない)
また、両切りでフィルターが無いので短くなるまで吸うことができる。
いや、「短くなるまで吸わなくては駄目だ」。
タバコが短くなるにつれて変わる薫りを楽しみながら、何をするでもない、アンニュイな時間を楽しむのが「粋」なのだ(と、勝手に思っている)。
飲み物との相性
野外の喫煙所で外気に触れながら吸うのもいいが、喫茶店やバーで吸うのもまたいい。
その時、飲み物との合わせ方で味わいが変わるのもいい。
個人的な好みだが、紅茶よりコーヒーが明確にいい。やや甘めの豆のブラックコーヒーとか。ゴロワーズの深いスモーキーさと淡い苦みが、コーヒーの丸い苦味と甘みを引き立ててくれる。
同じ強いスモーキーさという点で、アイラ・ウイスキーも相性がいいと自分では信じているが、マイルス・デイヴィスとジョン・コルトレーンが同時にソロをしてしまったような過剰さがある気もしていて、好みが別れるかもしれない。
「どこかの安いバーボン・ウイスキー」とも上手く協調出来るだろうが、すっきりしたスコッチの方が薫りを殺し合わない気もする。
ブランデーのフルーティーな甘みともよく合うが、ブランデーなら葉巻やシガリロの方が似つかわしいだろうか。僕はアル・カポネのほうが合うと思う。
概して、色が濃い蒸留酒なら何でもそれなりに引き立て合えると思う。それは自分自身のアロマを確固として持っているからであり、その上で他者を受け入れる余地というか、「遊び」もあるからだと思う。
…などと書き連ねているうちに、頼んだコーヒーが空き、ゴロワーズをすべて吸い終わってしまった。
ジャン・ギャバンのように、短くなるまで吸いきって。
喫茶店を出てもサンジェルマン通りには通じていないだろう。
僕は自分のいる土地で、目の前にある道を踏みしめるしかないのだ、それがどこに通じているか分からなくても。
禁煙は、出来ないかもしれない。