息子成長記録 長男の水泳編

息子の成長記録です。(書いたのは2020 年12月末。アップするのも忘れてた💦)

どこかに書かないと楽しい日々、葛藤、何もかも全部ぜーーーーんぶ、忘れてしまう私。

あんなに夢中でやっていたのに、親子して、完全に過去の思い出。過去になり過ぎて、今のうちに書き残さないと、私が完全に忘れ去ってしまいそうなので、書き残します。

小学5年生の5月に、それまで週一回やっていた空手をやめて、水泳をやりたいと言い出しました。
空手でも可愛がってもらって、というか、ゆるゆる空手教室で、寝っ転がって挨拶しても笑ってくださるような、おじいちゃん先生でした。

5月からスイミングに通い始め、小学生の間に何度か、選手クラスへ移ることをコーチから言われましたが、本人、断固拒否。

前にどこかで書いたと思うのですが、ある日、コーチに『本気でやれ』と言われて『僕は本気でやってます』(本気で楽しんで泳いでる、の意味)と言い返したなんてエピソードもありました。(→5年前のFBが教えてくれた、これは言ったんじゃなくて言いかけた、でした。訂正。苦笑)

あれは、確か中学生になる前の春休みだった気がします。
ある日、息子が水泳の帽子を忘れました。

コーチは『パンダの耳のついた帽子と普通の帽子、どっちがいい?』と聞きました。普通の帽子、と答えると、それなら選手クラスの体験を受けること、と言われて、渋々体験に行きました。

帰ってきたら、『とても楽しかった!』と笑顔です。もっと全然違うものを想像していたそうです。ただただ、のびのび泳ぐだけだった、という感想でした。

それが中1のときで、高2の11月までだから、5年間、高校受験のときにお休みしていたのを除くと、4年半くらい、が彼の水泳選手としての日々でした。

書いてみて、そんな、ちょっとなの?と私も驚くほど。

でも、本当に傍から見ていても、楽しげな水泳生活でした。

この期間、嫌がって行かない、という日がまるっきりない。雨の日も嵐の日も喜んで飛んでいきます。週に6回、多いときは7回。

高校生になったというのに、一番に帰ってきては一番にスイミングスクールに行き、小学生を出迎えるような日々。

泳ぐのが楽しくて楽しくて仕方ない、というのが、真近で見て取れました。

それは、大会のときも、そうでした。

ゴールして上がってくると、いっつもそれはそれは嬉しそうな顔で、楽しかったー!気持ちよかったー!って。

見ていて、みんな、笑っちゃう。

ベストタイムが出たかどうかで、大会に出ているみんな…選手も親も頭がいっぱいの方が多かったのですが、そこは小学生からやってなかった強み、出る大会、出る大会、毎回気にしてなくてもベスト更新という感じで、とにかく楽しい!は最高!をまざまざと見せつけてくれました。

ある大会で、それは1500mの種目でしたが、辰巳で25mで1500を泳ぐ(短水路、といいます。長水路だと50m)という種目に出場したとき、でした。
最後の何周かで、それぞれのレーンの鐘が鳴ります。息子のレーンの鐘が鳴ってるというのに、1500を過ぎても1525…1550…を過ぎても、まったく止まる気配がなくて、他の選手たちはゴールしていますから、我が子のレーンの鐘が鳴り響いています。
1625mのターンも変わらずに勢いよくしたところで、審判が水の中に入りなんとか泳ぎを止めて、1650mで終了しました。
会場内は爆笑の渦。
前代未聞とみんなに笑われました。
上がってくると、本人、大笑い。
ぜんっぜん、鐘の音が聞こえなかったーあー気持ちよかった!と。気持ちよかったじゃねーよーと笑いながらコーチは大会本部に呼び出され、大目玉。
反省文を書かされてしまったそうです。(ごめんなさい)

大会は厳しく時間管理されていて、標準タイムを通過した人だけが出場できるもの。標準タイムを大きく超えてしまったりすると、そのチームの長やその学校長へ連絡が入るという厳しいものです。

1500のタイムはもちろんクリアしていましたが、1650ですからね。(笑)

本当にいま思い出しても笑ってしまう、まだ止まらない、まだ泳いでる、おーい!とみんなで叫んだこと、楽しい思い出です。

長距離はこのあと出なくなりましたが、バタフライやクロールでたくさんの大会に出場しました。

体力があって、スタートの25くらいだと最後のほうにいるのですが、50、100…200とぐんぐん抜いていくような泳ぎでした。こんなに離されたら無理!?と思うような後ろのほうから、何周過ぎてもずっとタイム変えず、むしろ上げてくるので、ほんとスタミナの人、って感じでした。
ベストは都大会4位。1500でもバタフライでも同じ記録でした。

1人辰巳にいて仕事に夢中になってると、階段上がって着いたら出番終わってた、なんてことも多々。(笑)

抜けてる親。
親子とも、よくチームの仲間に可愛がっていただきました。笑っていただきました。

中学も半ばを過ぎたあたりからは、大会の度にそのチームの管理というかな、小学生達の招集やタイム測定、ビデオ撮影なんかに関わるようになって、いつもみんなのマスコットキャラ的な扱いだった彼が。。。とほんのり感動的でもありました。(とはいえ、小学生達にとっては、最後の最後まで、マスコットキャラだったらしいです)

高校1年生くらいまでは大学に行ってもコーチ業のアルバイトをするから、都内の大学に行きたいなんて話していました。
コーチもそのつもりだったんじゃないかなー本当に様々に指導してくださっていました。

まさか、それがパッタリ辞めるなんて。

親としても驚きました。

やりきった、泳ぎきった、新たな道を模索したい、そうです。コーチも、仲間も、大好き。でも、おしまい、という言葉を聞いたときは、兄弟まるで性格が違うのに、同じ幕引きなんだと驚くやら笑ってしまうやら。

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一度も行きたくなーいなんて漏らすことがなく、水筒と水着を準備して、ササッと水泳カバンをかけては、21時くらいまで連日週6、夏休みには1日に2度も3度も。水着も自分で、毎日手洗い。(流して絞るだけですが)

よくやったなぁーと思います。 

コロナで今年の大会がずっと中止、やっとあった9月の大会がYou Tube配信だったので、最後のレースが見たかったな、という気持ちも直後あるにはあったけれど、やれるだけやり切って自分で決断したので、何も言うことはないです。

11月に辞めて、しばらくして(1週間位!?)、学校の生物部に入り、この間は埼玉の爬虫類ショップまで一人で自転車でヘビを探しに出掛けて行ったり(部室で買っていいという許可をもらえたとかで)、その後も生物のことで西へ東へ。

もうすっかり彼は新たな世界を満喫していて、この新しい話を聴くのもまた楽しくて、そうこうしていると、泳いでいたことすらあっという間に(私も)忘れてしまいそうで、書き残そうと思いました。

楽しい時間をありがとう。次の章も、自分らしく楽しんでね!

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