今、良しとされていることが全てではない
新年度が始まりました。今年度も変わらず、子どもの医療のかかり方の講演をしたり原稿を書いたり短大で授業をしたり子どもたちのサポートに入ったり保護者の相談にのったり・・・しています。
予防接種のお手伝いもしています。これは新しく引き受けたことで、受付や誘導などです。お話して、緊張をといたり、かな。これまでも何度も医療機関からお声かけていただいたのですが、今までは断ってきたのに、今回は、期間限定ということもあり、引き受けました。
どれもこれもあの仕事がこっちへ活きてきてこの仕事がこっちで活きる、そんな感じでちょこまかちょこまか動いています。
ちょっとここのところ感じたことをぽつぽつっと残しておきたいと思います。
様々な子どもさんにかかわる中で、自分が感じていることですが、いま線を引いているここからが発達障害だよとか、そういう線って、もちろん本人が困っていて何とかしたいということはありますし、それに対応したり対策することが重要だというのはもう全くその通りだと思うのですが、一方で、この線って、なんだろうと思うときもあります。
ひょっとしたら、時代や地域が異なったら、この線は異なるのかなあと。
たとえばですが、毎日決められたことを決められたとおりに計画通りにこなせるとか、今の日本では良しとされているものが、案外ある国やある地域では、そのような毎日を生きられることのほうが障害と呼ばれるなんてこともあるのではないか、なんてふと思ったんです。
ものすごく時代が進んだり、また逆に遡ったりしたときに、この線は本当に意味を持つのか、ここで区切ることに意味があるのか、そんなふうにちょっと思ってしまいます。
やっぱりうまく言えません。
そんなふうな思いが湧き上がっていた時に自分の気持ちにぴったりくる本を見つけました。
生きのびるための「失敗」入門 (14歳の世渡り術) | 雨宮処凛 |本 | 通販 | Amazon
この本は子育て中の方にも特に最初の章などとても大切なことが書かれているのですが今回ここで紹介するのは別の章で
探検家の角旗唯介さんが行ってらしたシオラパルクの話として出てきます。
日本で、いまの社会で、大事だとされているような価値観が完全にひっくり返っている国や地域もある、という経験は過去にもしたことがありました。
それは昔、自分がマレーシアに行ったときに「母の手作り料理」みたいなものに(もともと日本の家庭にしては我が家にはそういうものを良しとする価値観はないほうだったとは思うのですが)、そこに意味を持たせたり特別な価値を置いていないということがいろんな家族の姿から感じられたのでした。手料理に限らないのですが、価値観は国によっても地域によっても様々に異なるんだ、というマレーシアでの経験によって、一つの見方に縛られずにいることができます。
ここで、この場で、良しとされていることが、この正義が、すべての正義じゃないぞ、といったことかな。
ぐるぐると自分の頭の中だけでめぐっていたことがほわーっと本の中から出てきたので、やっぱりそうだよねーと思えたのでした。
14歳の世渡り術シリーズではあるのですが、どの章も大人が読んでも納得の内容です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?