見出し画像

「春に」とともにいきる

「この気持ちはなんだろう」
から始まる谷川俊太郎氏の「春に」という詩が僕は好きだ。

この詩との出会いは中学生の頃。
僕が中学1年生の時に、3年生の先輩たちが合唱発表会のラストの大トリで歌う学年合唱曲だった。

初めてこの詩を曲として聴いた時、
百人単位で合わせる混声合唱となって耳に届いた時、

ピアノの旋律の美しさに、
全パートの声の響きが一致した
ハーモニーの残響の美しさに、
とても圧倒されたのを覚えてる。

特に伴奏が本当に綺麗でずっと耳に残った。

それをきっかけに
いつか自分もこの合唱曲の伴奏を弾きたい、と思い
伴奏にも、合唱にも、興味を持つようになった。

そんな、自分の中で大切な曲であり詩だった。

3年生になり、
卒業式の伴奏のオーディションがあり、
見事弾けることになった。

歌詞を理解して自分の中に落とし込む作業や、
曲全体でどこを押し出す、力強く弾くのかとか、
旋律を弾く上でどうやったら感情を上手く表現できるのだとか、
そんなことを考えながら弾いてた。
全てが楽しかった。
(伴奏の楽しさ、合唱の楽しさについてはまた別の記事でゆっくり書きたいな)

その時、同時に歌詞にも凄く魅力を感じた。

「この気持ちはなんだろう」の問いかけ文が4回も繰り返されるこの詩。

自分自身でも分かっていない、不確かな心のうずき、
なんとはなしの気分として感じられてくる心の動きや衝動。

その、自分の心の些細な動き全てを
自然と絡めて表現する谷川俊太郎氏の感性に凄く惹かれた。

曲になるとスッと入ってきた。

それを演奏にも反映させてみたかった。
みんなの気持ちも、
歌声と自分の伴奏に乗せてその機微を穿つように。

僕は特に


心のダムにせきとめられ
よどみ渦まきせめぎあい
いまあふれようとする

という部分、それでも

あしたとあさってが一度にくるといい
ぼくはもどかしい
地平線のかなたヘと歩きつづけたい
そのくせこの草の上でじっとしていたい
大声でだれかを呼びたい
そのくせひとりで黙っていたい
この気もちはなんだろう

という、結局自分の気持ちを押しこめてしまう、ある意味矛盾ともとれる部分が自分と重なって凄く好きだ。

今、まさにこんな気持ちなのかもしれない

このもどかしい気持ちをどうやって表現したらいいのだろう

この気持ちはなんだろう

この記事が参加している募集

#スキしてみて

526,895件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?