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アスリートは私達にとって「気づき」の宝庫 ~①アスリートの本質的な価値


8月に投稿したアスリート企画のネタ(一枚の紙きれからロシアの果てまで)に予想外に大きな反響を頂いたので、関連ネタを書いてみたくなりました。
大坂なおみ選手も話題になり、社会的な問題やアスリートの在り方を考える人も多かったのではないでしょうか。

アスリートは、スポーツには関心がない人にも、実は普遍的な気づきをくれ、何かのキッカケを与えてくれます。
今回は、私が様々なアスリートへの取材をとおして、あらためて気づかされたその価値について。

勝利も明日も約束されていない 

アスリートには、プロデューサーや演出家もいないし、脚本もありません。
誰かに頼まれて、ではなく、競技に臨むも臨まないも自分次第。真向から勝負にさらされ、1回の成績(メダル)によって人生が大きく変わると言っても過言ではありません。オリンピックを目指す競技の選手は典型例です。
プロの野球やサッカーなど「チームから高い年俸でオファーされ監督に使われる」形もありますが、実力が評価されなければ戦力外通告。逆にいくら自分が望んでも、使ってくれるチームがなければプレーできません。

一線で活躍するボクサー、ゴルファー、スケーター、それぞれに取材したとき、奇しくも同じ趣旨の言葉を言っていました。

「一度勝ったって、次の勝利が約束されているわけではない。
過去の実績や肩書で勝てるわけでもない」

ハッとしました。
肩書や実績や過去に頼ることはできず、一回一回まっさらから挑む意識。
つい"肩書で"仕事(ある意味依存)しがちな社会や私たちに、初心を思い出させてくれる意識です。

どんな名優でも演じきれない 真実味の迫力

彼らは、やり直しのきかない"一瞬の勝負"に生身をさらしています。
一瞬のミスが勝敗を左右し、致命的になることもあれば、大勝利につながることも。
本番では、納得いくまでやらせてくれ、もなければ、もう一回同じことを再現、もできません。頑張った分が必ず"結果"で報われるとは限りません。
究極はオリンピック。4年分(以上)の鍛錬を、たったの数分、数秒にかけ、もし1秒前にケガやアクシデントがあっても誰も待ってはくれません。

フェアでもあり、とても残酷。理不尽でもあるかもしれません。

「負け」「逆境」を一身に受け止め、理不尽さも飲み込まざるを得ない。
私は、それがアスリートが持つ強さの一つだと感じています。
勝者以上に敗者に惹きつけられるのも、そんな筋書きのない、容赦のないドラマがあるからでしょう。

これは誰にもマネのできない、あえて言うなら、どんな名優でも演じきれない、作り物では表現しきれない魅力…以上の"迫力"です。

人間くさいメンタリティの凝縮

勝って嬉しい、負けて残念、なんて軽くない、それぞれそこに至るまでの思いや変遷、日々の積み重ねの重み。
「嬉しくない、良くない勝ち」もあれば、「意味のある負け」もあったり。

「負けからのほうが多くの学びがある」と多くのアスリートが言います。

「負け」や「失敗」をきちんと受け止め、分析・検証し、次からの行動に反映できる、「負けから学ぶことができる」アスリートが、成長・進化していくものだとも私は感じています。
負けや失敗は、決してネガティブではない、むしろ糧になることを教えてくれています。

いかにもフィジカルの競争のように思えますが、特にトップアスリートでは、メンタル的な要素が大きく左右すると思っています。
いくら恵まれた肉体とセンスがあっても、苦しい練習や緊張を支えるメンタルがなければ勝負には耐えられません。

調子は良い時ばかりではなく、必ずやって来る肉体的な衰えやライバルなどと、正面から向き合えるかどうかもメンタル。
あまりスポットライトの当たらないマイナー競技や選手には、環境との折り合いなどの苦境も抱えています。
厳しい現実から逃げずに肯定的に受け入れ、行動に反映させるメンタリティは、競技の技術力と同じくらい必要な力だと思います。

それでもアスリートは、ロボットではありません。
肉体的な強さや技の華やかさに目を奪われがちですが、自分の心とギリギリで闘っている、とても人間くさくて、泥くさい生業です。

「あの屈辱は忘れてはいけない、と思っている」

私がインタビューした初アスリートは、現役後年の北澤豪さん(元・サッカー日本代表)でした。抱いていたイメージより温かくてフレンドリーで、熱いトークになったことが印象に残っています。

女性誌の特集で、スポーツ専門誌とは異なる角度で、選手としての生き方や人となりがテーマでした。フランスW杯(98年)からは時が経っていましたが、やはり避けては通れない「代表から外された時」について尋ねると、北澤さんはサラッと言ってのけました。

「そりゃあ悔しかった。あのとき(フランスW杯)のことは忘れろ、という人がいるんだけど、俺は絶対に忘れちゃいけないと思ってる。
すごく悔しかったこと、屈辱的だったことって、消しゴムみたいに消せないんだし、俺はむしろ忘れないほうがいいと思う。
それをバネにしたほうがいいから忘れないようにしてる」

目からウロコ! 私はとてもスッキリしました。

まずは、あの残酷な局面に対して、言い淀むこともなく、「今は良い思い出」「忘れた」的なキレイ事や美談でスルーもしない北澤さん自身に感動。
消化できたからこそだとは思いますが、まだ現役の立場で「屈辱的」という自らの辛い心境をそのまま明かすのは、勇気がいることだと思います。

そして私自身。過去に味わった悔しさや傷ついた思いを、いつも根に持って恨むことはないものの、何かの折にはふと当時の思いが蘇ることがありました。まさに「もうそんなこと、忘れなよ」と言われても、無理やり消すこともできなくて、自分は執念深すぎるんだろうか、必ず消さなきゃいけないんだろうか…と思っていたので、救われた思いでした。

大事なのは、理不尽な屈辱や悔しさを、消してなかったことにするのではなく(恨むのでもなく)、正面から省みて心に刻み、それをプラスのエネルギーに変えることなのだと気づかされました。

また「アスリートも人の子」だとも感じました。
とかく、ストイックな別次元の人のような印象を持ちがちですが、けっして鉄のような強さではなく、私たちと同じように、もがいている一人の人間。
ただ起伏が激しい分、心が鍛えられているのかもしれません。

このとき、私はアスリート取材の醍醐味を覚え、アスリート企画に興味を持つキッカケにもなりました。

普遍的な人生訓のヒントに

その後も、よく観察していると、一流の選手ほど、自らの失敗やピンチをよく記憶して、原因を検証している傾向があります。(検証するから記憶しているとも言える)

アスリートの世界は華もあるけど、ときに残酷で理不尽。
勝利、嬉しさ、賞賛、進化、達成感、と表裏一体に、負け、失敗、屈辱、悔しさ、逆境、ライバル、限界とも向き合わざるを得ない彼ら。
そこには、人として普遍的な学びや哲学が凝縮されていて、それこそが、最もアスリートが誇れる、真の価値だと私は思っています。

私たち一人ひとりの人生だって、うまくいかなかない悩みはつきもの。
アスリートからヒントにできる考え方や生き方は、たくさんあると感じています。

しかしながら、その価値が活かされていなくて、私は残念に思うことも…。
続きはまた追って。


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