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[解説] 映画「HELLO WORLD」を1回見た人向けに簡単にポイントを解説してみるよ

(ネタバレあり)映画『HELLO WORLD』、1回見て「!?」となった人は結構多いのではないかと思います。しかしそこで終わってしまってはあまりにもったいない。結構観客に「背伸びを強いる」作品で、ガッツリSFなところもあるのでちょっとハードル高い部分もありますが、そこを乗り越えると本当に面白くなってくるんです。

この記事では、初見だとちょっとわかりにくい部分を自分なりに解説してみようと思います。

自分自身、3回くらい観てもまだわからなくて、原作とスピンオフと解説記事を読んでようやくわかったという人間です(笑)。でも2回目、3回目を観たときの「そういうことだったのかー!」という発見の快感がこの作品は本当にすごい。だからこそ皆さんにも、何度でも繰り返し鑑賞してその境地を味わってほしいし、その際にこの解説が少しでも何かの参考になればいいなあと思います。

なお、この記事では、できる限り公式媒体で描かれていた事項だけに基づいた解釈を試みるようにしています。自分なりの解釈はありますが、あえて深い考察は書かずにそのままにしています。というのは自分の考察を押しつけたくないのと、そこを自分で考えてみるのが楽しい作品だからです。ただし制作側の意図はさすがにわからないし、どうしても自分の独自解釈が含まれてる部分はあるとは思います。「ここはちょっと違うんじゃないの?」「こうとは言い切れないよね?」と思った方はぜひぜひTwitter(@alltale2037)やコメント欄からお知らせ下さい。ちなみに、ラストシーンに関する自分なりの考察や感想についてはこちらにがっつり書いています。

(見出し画像クレジット:(C)2019「HELLO WORLD」製作委員会)


大前提:入れ子構造になった世界

まず、押さえるべきポイントは「世界が入れ子構造になっている」ということです。「入れ子」というのはマトリョーシカのように、あるものの中に同じものが入っていて、その中にもさらに同じものが入っていて…という構造のこと。この映画は一番内側の世界の描写から始まりますが、その世界の外にも世界があって、その外にもさらに…という構造になっています。

高校生の直実がいる2027年は現実世界ではなく「データの世界」(記録世界)。これをA世界と呼ぶことにします。このデータが収められているハードウェア「アルタラ」は、実は10年後の2037年の世界(B世界と呼びます)に置かれています。先生=大人のナオミはこのB世界のアルタラセンターの研究者で、特殊なベストを使ってB世界からアルタラ内のA世界にアクセスしています(ちなみにこのA世界、B世界という呼び方は公式でも使われていました)。

さらに後半、B世界に出現した狐面を目の当たりにしたナオミは「ここも記録の世界」だったことに気づきます。つまりB世界のさらに外にも世界がある。それが、ラストの月面世界です。

つまりA世界の外にB世界が、B世界の外に月面世界がある(A世界 ⊂ B世界 ⊂ 月世界)という包含構造になっています。このあたりの発想は、「インセプション」「マトリックス」「ゼーガペイン」などの映画・アニメ作品やグレッグ・イーガンの小説を知っているとわかりやすいかも知れません。

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『HELLO WORLD』の3層構造

ちなみに、この入れ子構造はさらに月世界の外にも無限に続いているのか? それとも月世界が本当の現実世界なのか? これについては明確な描写はありません。そもそも我々のこの世界だって、データだと言われても否定する材料がないですよね……。(月世界のシーンで急にそれまでの3DCGが手描きになってるあたりは、いろいろ深読みしてしまいたくなりますが。3DCG作品であること自体がデータ世界という作中設定とリンクしているようにも思えてしまいます)

データの世界ってどういうこと?

よく見る感想に、直実たちのいる世界はただの「シミュレーション」なのでしょうか? 住民はみんなゲームのNPCやAIなのでしょうか? というのがあります。

これらの問いに関しては、いいえ、と答えると、少なくとも色々と辻褄が合うかなと自分は思っています(ただしシミュレーションとみなす解釈も存在しますし、それはそれで面白いです。Wikipediaの記事はその解釈で書かれているようです)。

劇中では、シミュレーションという語は一言も出てきません。代わりに、

・ここはアルタラに記録された過去の京都である
・この世界は現実世界の完全な複写である
・現実かデータかを区別することはできない

という説明が与えられます。

つまり、すべてはすでに起こったことの「記録」、確定事項のスナップショットの連なりであり、未来を自由にシミュレートするようなものではないということになります。本や写真、DVDと同じようなものと思えば良いかと。DVDはある視点での映像と音声しか記録していません。しかし、もし全宇宙の全ての原子・分子の運動まで、十分短い時間間隔で正確に記録できたら? もはやそこには宇宙そのものがあると言えませんか?

住民たちも、原子レベルで複写されている以上、我々と寸分違わぬメカニズムで「生きて」おり、AIやNPCではないはずです。たとえデータであっても、彼らにとって周囲の世界は紛れもなく「現実」です。

決定論的な記録世界で、彼らに自意識や自由意志はあるの? と思うでしょうが、劇中で引き合いにだされるSF作家イーガンの世界観に沿えば「ある」ということになります。この辺はハードル高いので、「そういうもんだと思うしかない」かもしれません。

パソコンに多少詳しい人なら、仮想マシンやエミュレータとの類似で考えるとわかりやすいかもしれません。Macの上でWindowsを動かすとき、Windowsの上で動くアプリにとっては、そこが物理マシンなのか仮想マシンなのかの区別は無意味で、全く等価な振る舞いをするということと同じ、と考えると分かったような気になりますかね…。

直実が行き着いた「新しい世界」って?

映画終盤、狐面の化け物(九尾の狐)を倒し、泣きながら先生を消した直実。はっと気がつくと雨上がりの京都駅ビル屋上にいて、そこに瑠璃もいます。元の世界に帰ってきたのかと問う瑠璃に直実は

きっとここは——まだ誰も知らない、新しい世界なんです

と答えます。この世界は一体なんなのか?

これは、千古教授のいう「開闢(かいびゃく)」によって生まれた宇宙です。B世界の千古教授がアルタラの自動修復システム(A世界にとっての「制御棒」にあたる)を停止したことにより、情報が無限に増大し、A世界は新しい宇宙として独立しました。物理的な演算基盤(アルタラのハードウェア)を持たない、「それ単体として在る」宇宙です(このあたり、非常にとっつきにくいのですが、イーガンの著作の世界観やその中の「発進」という概念が参考になります。ハードル高いですが…)。要は「ただのデータ」ではなくなり本物の宇宙になったということです。

元の世界(A世界)と同じように見えるけれども、もはや狐面の監視していない、完全に独立した自由な宇宙。過去の記録ではなく、まっさらなノートの1ページのように、これから物語が書かれるのを待っている新世界。そしてエンドロールの直実と瑠璃のカットは、この新世界での後日譚になります(後日譚を描いたスピンオフ短編小説『遥か先』も必見です↓)。

ちなみに、新世界で同じく茫然と立っていた瑠璃。病院着に白衣という姿なので非常に紛らわしいのですが、これは心身共に16歳の瑠璃です。B世界の26歳の瑠璃がそのまま現れたものではないです(自分は最初、26歳の身体かと思ってしまったんですが、そう思う人は少数派みたいですね……)。大階段を下りる前の彼女は、身体は26歳、記憶は16歳(ここは自分の解釈ですが、脳死で壊滅的なダメージを受けたB世界の瑠璃の精神を、A世界の量子データで修復したもの)でした。しかし、京都駅ビル大階段でカラスの作った「コンバータ」をくぐりぬけることで、身体もA世界の体(16歳)に変換され、その状態でA世界に一足先に戻りました。しかしA世界はリカバリの真っ最中。すんでのところで開闢によりA世界が独立し、また白衣のポケットの中の金の羽根(後述する金の羽毛のカラス)の導きもあって、直実と再会したというわけのようです。

ラストの月面の女性は誰?  金のカラスとの関係は?

ラストシーン、病室のような場所で目覚めたナオミに女性が泣きながら抱きつきます。この女性、「やってやりました…!」という決め台詞を吐いていることから、瑠璃であることがわかります。しかも突然の月面。

これは、2037年よりさらに未来の瑠璃であり、脳死になっていたのは実はナオミのほうだった、というどんでん返しです。2037年のナオミが脳死の瑠璃を助けようとしていたのと同じように、この世界では未来の瑠璃が、脳死のナオミを助けようとしていたのでした。

大人になった瑠璃はナオミのアルタラダイブ用ベストと同じようなベストを腕に抱え、モニタには「同調」を示すゲージが表示され、ナオミと同じ「中身と器の同調」について語ります。それまで受動的なヒロインでしかなかった瑠璃こそが、実はナオミを救ってくれていたのです。

またこれもなかなか初見で気付くのが難しいですが、後半に出てきたしゃべるカラス、あれは未来の瑠璃の介入によるものです。そもそも、前半のカラスは頭が真っ黒で目にもハイライトがない、後半のカラスは頭に金の羽毛があり目にハイライトがある、そしてしゃべる、という明確な違いがあるところは要注目です。明らかに区別して描かれています。そして、月面の瑠璃のシーンで、

・「器と中身の同調が必要だったんです」という台詞が、カラスの声優(釘宮理恵)から瑠璃の声優(浜辺美波)に重なりながら変化する
・瑠璃のシーンで金の羽毛のカラスのカットが一瞬インサートされる(この手のフラッシュバック的なインサートが頻出しますが、いずれも「HELLO WORLD」を読み解く鍵です)
・瑠璃の服に、カラスの羽根を模した金色のバッジがついている

とかなり念入りに「瑠璃=カラス(金)」であることを強調しています。

つまり、オーロラに飛び込んだ直実をカラス(金)が救い導くのは、月面の瑠璃による手助けということになります。

カラス(金)のグッドデザインは、しゃべれる、少し離れたところにもモノを生成できる、処理速度も速い、など色々な点でカラス(黒)よりハイスペックで、やはり一歩さらに未来のテクノロジーだといえます。

ちなみに、前半のカラス(黒)も瑠璃なのか? それともナオミが作ったただのツールなのか? については明確に示されていませんがいくつかの解釈が可能です。このあたりは考察してみると楽しい部分ですね。

アイドルっぽい女の子は結局何だったの?

勘解由小路三鈴(かでのこうじみすず)、かでのんですね。彼女は、物語の導入時に一行さんと対比されるフェイクヒロインとしての役割を持っています。

映画本編では意味深な動きをしつつも結局はそれ以上活躍しないかでのんですが、彼女を主人公にすえて新たな意味づけを行ったスピンオフ作品、「HELLO WORLD if ー勘解由小路三鈴は世界で最初の失恋をするー」があります。これを読んでからまた映画を見ると、全く違って見えること請け合いです(なお、このスピンオフは本編の足りない部分の補完というわけではなく、ある種のパラレルワールドとして自由な発想で執筆してもらったものであると監督やプロデューサーは述べていますが、本編と同じ世界と見ることもできるようになっていて、解釈は観客の自由に委ねられています。筆者もいくつかの理由からパラレルワールドと考えていますが、同じ世界の話と解釈しても素敵です)。

結局すべては月面の瑠璃の掌の上だったの?

そう考えることもできて、だとするとこれはなかなかのブラックなホラーとして楽しめます(笑)。一方、各世界は住民にとって現実であり優劣はない、全ての世界が肯定されている、という本作品の基本姿勢から考えると、見方はちょっと変わって来ます。

もし本当にそれほど万能ならこんな回りくどいことをしなくてもナオミを助けられそうなものですが、恐らく記録世界は記録である以上、そうそう思い通りに改変はできないものと思います。

最上位から全て操られてたというわけではなく、それぞれの世界の個人は主体的に行動しており、そこにちょっとだけ介入したり見守ったりしていたのが上位の世界の存在だという程度のスタンスで考えると良いのかもしれません。

この「A世界もB世界も月世界も優劣はなく等価で、あまねく肯定されている」という世界観を共有してないと、ラストでちゃぶ台返しをくらってそれまでのストーリーを全否定されたように感じてしまうかもしれませんね。

このあたりは、ナオミの視点を描いたスピンオフアニメ『ANOTHER WORLD』を観てから考えてみると、また違った印象になると思います。B世界でのナオミの失われた10年間を描いたこの作品、これを観ることで『HELLO WORLD』は何倍にも味わい深くなるといっても過言ではありません。ぜひぜひ観て頂きたい逸品です(dTVチャンネル、ひかりTVの無料おためし登録で無料視聴できます。またBlu-rayスペシャルエディションにも収録されています。視聴方法がちょっとわかりにくいので、こちらにまとめてみました)。追記:現在、ネット配信は終了してしまいましたが、Blu-rayスペシャルエディションで鑑賞できますので、ぜひ見ていただきたいです

瑠璃はなぜナオミに違和感を抱いたの?

病室のシーン。ナオミは瑠璃にしおりを渡し、二人の顔が近づきますが瑠璃は「違う」といってナオミを押し返します。なぜか。

ポイントは、ここでの瑠璃は身体は26歳だけれどもA世界の16歳当時の記憶を持っているということです。A世界の瑠璃は、花火大会のことなど知りません(家で本を読んでいたら急に瞬間移動させられただけ)。だから、「覚えてる? あの日の、花火のこと」と言われてもピンと来ないはずです。また渡されたしおりも茶色くて、自分の慣れ親しんでいた青とは違う。

戸惑いつつ、ナオミを受け入れようと思いながらも、ふと口をついて出た「あの本」という台詞。ここも、音声だとなかなか難しいんですが(浜辺さんも松坂さんも大健闘していますが)、原作のほうがわかりやすいです。

瑠璃「あの、本」
ナオミ「……あの本

瑠璃「違う。貴方は、堅書さんじゃない」
——野﨑まど「HELLO WORLD」

「あの本」というのは『大湖底都市』です。古本市の前日、直実が徹夜で復元してくれた本。瑠璃は「堅書さんが、どうやったのかわからないけど自分のために復元してくれた」というのをちゃんと理解しています。それがわかるのが図書準備室での告白シーン。

貸し出しカードの一番目に、鴨川の河川敷で見た時にはなかった「一行瑠璃」という行が追加されている。そして瑠璃はそれに気付いた。

のがポイントです(これも一瞬なので気付きにくいですが要チェック!)。恐らく直実が徹夜で朦朧としながら瑠璃のことを思って無意識にやったんでしょうかね。瑠璃にとってはこれが直実への好感度爆上げポイントであり、ずっと心に残っていたからこそ、栞を見たときに口をついて出てしまった。

これに対し、ナオミの台詞は「疑問形」になっている、つまり「あの本」が何かわかっていないんですよね。そりゃ、ナオミはグッドデザインを持っておらず、本の復元もできなかったので当然です(とはいえ、ナオミはナオミで瑠璃のためにまた別の大変な苦労をしてたのですが。スピンオフアニメ『ANOTHER WORLD』参照)。

これが決定的となって、瑠璃はナオミを押し返したんだということかなと思っています。

なぜ瑠璃のデータはコピペができないの?

A世界から一行瑠璃のデータを引っこ抜いてB世界に連れて行ってしまった先生(ナオミ)。そのせいで直実の前から瑠璃はいなくなってしまいます。勘のいい方なら「データならコピペすればいいじゃん! なんでコピーじゃなくてムーブなの?」と思ったかもしれません。映画内では「データの行き来は不可能。向こうの彼女はもういない」といういい方しかしていないのですが、これにはちゃんと理由があります。

コピペできない背景には、量子力学の基本的な定理「量子複製不可能定理」があります。うんとぶっちゃけて言うと、「量子データは複製できない!」というものです。映画のほうは尺がかなり削られていますが、小説版のほうでは「原理的にデータのコピーは取れない」などと少し詳しい説明があります。この基本定理を逆手にとって、先生と直実が瑠璃を取り合う、というシチュエーションが生み出されているわけです。

もちろん「量子記憶装置アルタラ」は、厳密には世の中のいわゆる「量子コンピュータ」そのものではない完全に架空のギミックとして登場しているんですが、量子力学の実際の定理をうまく利用したシナリオになっていますねー。

クライマックスの回想シーン、使い回してません?

これ、自分も初見時はそう思ってしまったんですよね……(殴りたい)。クライマックス、Nulbarichの曲とともに直実とナオミがそれぞれこれまでを回想するシーン。ぱっと見、同じシーンの使い回しのように見えた方もいるかと思います。

でもこれは断じて手抜きからの使い回しではなくて、そういう演出なんだと思ってます。何回か観るうちにそれに気づいてからは180度見方が変わりました。

こちらの記事でも指摘されてますが、普通に考えて、尺が限られてるのに(ずいぶんシーンを削ったらしいです)けっこうな分量の回想シーンを2回流すなんてよほどの演出上の意図があるはずなんです(実効的に、手間が省けたのはたしかでしょうがw)。で、よく見ると、確かに両者共通してるのですが、ナオミの長い独自回想の中に直実の回想と同じ部分が含まれているという形になってます。ナオミと直実は一緒に同じ3ヶ月間を過ごしてきたんだし、思考回路も同一なのだから、互いに相手のことを考えたとき同じシーンが思い出されるのは当然といえば当然かもしれませんし、それだけ絆が強いことの表れかもしれません。そして、ナオミの回想にしかないシーンとそこにかぶる台詞を考えるとまたエモいのですが、これは完全に個人の解釈になるので別のところで書きたいと思います。

結局…ラストのナオミはいつからああなってたの? その他「○○の正解は何?」シリーズ

ラストシーンのナオミは、いつどういう経緯で脳死になったのか。何年くらい寝ていたのか。そしてあの月世界はいつの話なのか。

これらは明確には描かれていません。意図的に、描かないようにしているといってもよいと思います。

製作陣は恐らく自分なりの答えを持っているのですが、あえて観客の自由な解釈に委ねているようです。監督も「軽々に説明し過ぎない」スタンスと明言されていました。

100%答えを明かすのではなく、一端を隠したままの状態に意図的にしているので、フリーハンドで書き足していってもらいたいんです。

もちろん我々が考えた「答え」は用意しているのですが、本当にそれが正しいかどうかも分からない。そうした楽しみ方ができる作品として作ったつもりですので、作品を見て、自分なりの答えというのを導きだしていただければ嬉しいですね。

——アニメイトタイムズ「難解と言われても敢えてお客さんに背伸びしてもらいたかった|映画『HELLO WORLD(ハロー・ワールド)』伊藤智彦監督&武井克弘プロデューサーロングインタビュー」

他にもたくさんの気になる疑問が浮かんでくるでしょうが、それも自由な解釈に委ねられています。本質でないところまで全部説明してしまうと、話がブレるし、野暮になる。

恐らく「正解」はありません。観客がそれぞれ「観たい物語」を紡ぐことのできるように作られているのが本作品だと思います。そのためのヒントは劇中にふんだんに散りばめられています。

ネット上の他の方の考察を見ても、「2037年に瑠璃を助けた後、脳死になった」「いや、2027年に瑠璃の身代わりで脳死になった」「2027年だけど身代わりじゃなくてそれが正史だった」「何年かはわからないけどアルタラの技術者になった後に脳死になった」「大階段から落ちて脳死になった」「ダイブの後遺症や脊髄損傷で脳死になった」「ダイブから戻ってこれなくなった」「月面での事故で脳死になった」…と諸説紛々で、いかにこの物語が色々な解釈の余地をはらんでいるかがわかるかと思います(ちなみにWikipediaのあらすじはこのうちの一つの説に基づいたもののようです)。しかしロジックで考えていくと大枠でだいたい数パターンに収束するのが面白いところです。

公式に「すべての答え」を示してほしい、と思う人には、消化不良感がある作品かもしれません。しかしここで強調しておきたいのは、決して観客に「全部丸投げ」ではないということです。本筋部分のストーリーはすべてギミックが明かされていて、答えはちゃんと提示されている。1回見ただけだとわかりづらいところもあるけど、丁寧に追っていけばわかる。映画だけで完結していて、スピンオフがないとわからないという作りにはなっていない。

ぶっちゃけ「世界は3層構造だった」「現実で脳死になってたのは瑠璃ではなくナオミだった」「全員ハッピーエンドになった」という単純明快な話で、あくまで「答えがない」のはナオミの背景とか本筋じゃない部分です。でもその部分こそが本作の一番楽しいところかもしれません。ガチガチに論理的考察をするもよし、自由奔放に妄想するもよし。ぜひあなたなりの解釈を考えてみて下さい。楽しいですよー! 

追記:よくある解釈と自分のガチ考察はこちらに書いています(前編はよくある解釈のおさらい、中編は考察本体、後編はややマニアック向けな補足)↓。

2回目はどこに注目して見れば良い?

さて、疑問点がある程度わかってきたら、もう一度観たくなって来ませんか?(笑)

すでに世界観や物語構造はわかっているので、2回目は全く印象が変わるはずです。例えばナオミ視点で見ると、全然違って見えるはず。あちこちの伏線にも気付くと思います。

原作本(小説版)を読んでから見るのもおススメです。本編の脚本家自身による小説で、映画では省かれたり削られたりしていた心情描写も多く、かなり理解の助けになると思います(集英社さんは「原作」と呼んでいますが、厳密には本映画はオリジナル作品なので、映画制作と同時並行的に書かれたノベライズ作品といったほうが正確かもしれません)。

ほかにも、理解の助けになる副読本やスピンオフはたくさんあります!(特に『遥か先』『ANOTHER WORLD』『HELLO WORLD if』はオススメ)さらに世界が広がるはず。

あとは

・貸し出しカードをよく見る
・後半のカラスの頭をよく見る
・先生(ナオミ)の顔の傷をよく見る
・しおりをよく見る

などでしょうかね。

見れば見るほどじわじわと面白さがわかってくるスルメのような作品ですので、ぜひ末永く楽しんでみて下さい!


以下ではもう少し詳しい考察、感想いろいろ書いています。よろしければどうぞ〜↓


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