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ギフトとしての言葉

先日からnoteを書き始めた友達に、記事を読んだ感想を伝えたところ、すごく喜んでくれた。記事には友達の思いが乗っていたし、友達の核となる部分に触れられた気がしたから、素直に言葉にしただけ。

素敵な文章を書くなと感心したと同時に「やっぱり人を動かすのは、熱量がこもった文章なんだな」とも再認識した。


さらにもう一つ、大事な気付きを得た気がする。

記事を読んだり人が活躍したりしている様子を目にしたとき、言葉にして伝えているだろうか。

「良い文章を書くなぁ。素敵だなぁ」と思っていても、言葉にしなければ自分の中で終わってしまう。もちろん自己完結してもいいんだけど、せっかく抱いたプラスの感情は相手に伝えたい。

相手が喜ぶ姿を見て自分も喜ぶ。お金をかけなくても“言葉のギフト”で喜んでくれる人たちがいる。言葉にして初めて、化学反応が起こることもある。


SNSで発信を続けていると「この間投稿していた〇〇、見ましたよ!」という話から会話が始まることがある。

「この人は自分の投稿を見てくれているんだ」という安心感や喜び。言葉にしなくてもいいものを“あえて言葉にする”ことで、喜ぶ人がいる。ポジティブな感情であればどんどん届けたらいいと思う。


言葉はギフトにも凶器にもなり得る。自分はどんな使い方をするのか。

せっかく使うなら人を喜ばせられる方に。良い循環が起こっている人には良いことが起こっていく。誰でも使える言葉だからこそ、丁寧に言葉を紡いでいきたい。


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