見出し画像

編集長・松島直哉について

1971年10月31日、京都生まれ。26歳から大阪の広告制作会社でコピーライターとして15年勤務。その後、2002年7月1日より独立してフリーランスに。広告の仕事の傍ら、2013年に外国人観光客向けの英字フリーペーパー「ENJOY KYOTO」の編集と取材・記事執筆を創刊時から担当。とまあ、とおりいっぺんに書いてしまうと上記のようなことで間違いない。のだけれど、それでは「ぼく」を語ったことにはならないだろう。もうちょっと書いてみたい。

●instagramはこちら

●X(旧twitter)アカウントは @fuwa1Q71 で検索

さて、ぼくは去年の10月に50歳になったのだが、同じ去年の10月に、2002年以来およそ20年にわたって一緒に暮らしてきた猫(名前はリーナス。Linuxの創始者であるリーナス・トーヴァルズからとった)を喪った。老猫だったため一日中ほとんど寝てばかりだったこともあり、近年はあんまり一緒に遊んだりはしなかったのだけど、家の中で目に見える場所にいつも彼がいる生活が、あまりにもあたりまえなものだったので、ずいぶんショックだった(ショックを受けていることしばらく自分で気づけないくらいにショックだったのだ)。いつもそばにいる。ただそれだけのことが、どれだけ人に優しさをもたらのすかを、彼はその命にかえて教えてくれたのだろうと、いまもぼくは思っている。

考えてみれば、いまこのチームで一緒に取材をしたり企画を考えたりしてくれる学生メンバーたちは、全員が20歳前後。つまりリーナスと同じころに生まれた子たちなのだ。なんというか、それもまた巡り合わせのような気がしている。

そして50歳というと、いわばちょうど半世紀生きたことになる。と同時に、このチームで発信を始める今日2022年7月1日というのは、ぼくが広告制作会社を辞めて独立し、フリーランスのコピーライターになってちょうど10年の節目でもあるのだ。それほど信心深いわけでもないこのぼくであっても、これはちょっとした啓示のようなものかもしれない、と考えたって不思議ではあるまい。

ぼくはこの文章を2002年のヒットソングを聴きながら書いた。当時エミネムとかアヴリル・ラヴィーンとかコールドプレイが流行っていた。ぼくにとってそれらはついこないだの流行歌であるけれど、メンバーの学生たちにとっては生まれた年の音楽なのだ。つまり彼ら彼女らにとってのエミネムは、ぼくにとってのジョン・レノンでありジム・モリソンのようなものなのだ。そんな人たちとはたしてひとつのメディアを運営していけるのか。ぼく自身、ほんとうのことをいえば自信がない。

でも、である。コピーライターになったのが26歳になる年の1997年。それから15年間、大阪の制作会社で働き、2002年に41歳になる少し前に独立した。もはや仕事で「自信のないこと」に出くわすことは(ずいぶんと不遜な言いかたではあるが)ほぼないといっていいだろう。まあ大体のことはなんとかなるものだ。そういう自信を持てている。それには、ぼくなりに「得意分野だけで勝負できるだけのポジション」を自分なりに開拓し、やってきたからだという自負もある。

つまり逆説的な言いかたをすれば「自信のないことを始める」ということそれ自体が、考えてみればけっこうご無沙汰というわけなのだ。独立してフリーランスになった初年度は、一応もといた会社に義理を通すためにもともとのクライアントの仕事を(直接は)請けないという誓いを自分に立てていたこともあり、最初はまあ収入も減ったのだけど、あのとき以来の「不安な心境」といえるかもしれない。

ただ違っているのは、これは仕事ではない、ということ。ボランティアみたいなもので、どこからもギャラは出ない。もちろんいずれはお金を生み出すプロジェクトに育てたいとも思っているし、ここからライターになったり、起業したりする人が出てきたらうれしいなという思いもある。でも、いましばらくはビジネスではなく、でも逆にだからこそできることがあると思っているし、それを学生とやることに意味があるとも思っている。

というのも、ぼくが子どものころは55歳で定年だった。つまり、本来であればぼくはあと5年でリタイアしてもおかしくない年齢になったということ。もちろん将来の保障も退職金もないフリーランスだし、子どもも小さいのでまだまだ稼がないといけないのですが、でもなんというか、どうやって自分の「仕事仕舞い」をしていくのか。そろそろ終わりかたを考える年にもなってきたと感じるようになった。

そしてそれはやはり、次につなげていく仕事ということに尽きるだろう。広告や編集と京都の観光を扱ってきた自分ができることは、その「まなざし」を学生たちに伝えていくこと。このALKOTTOというメディアを通じて、これまでとはまったく違うアングルで、まったく違う動きかたで、自分の職能を活かしていけたら。

その手始めは、自分を手放すことだと思っている。それがどういうことなのかは、たぶんこれからのこのメディアでの記事や活動を見ていただければお分かりいただけるだろうと思う。できればそれまで、根気よくお付き合いいただければなと思っている。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?