『生かされている』んじゃない。


『生かされている』という言い回しがよく見られるようになってきたと思う。

最近はヴィーガンなどもなんとなく目につく機会も増えて、自然に感謝する・自然と生きるみたいなものが一つのテーマになりつつある。

その中で、自然に『生かされている』、他の動物や植物に『生かされている』という言い回しも多くなってきたように思う。

だが本当にそうだろうか?私たち人類は他に『生かされている』のだろうか?

私はそうは思わない。『生かされている』んじゃないと思う。

私たち人類はいわずもなく一動物であり、有機物で、自然の螺旋の中にたしかに存在している。そう、私たちこそが自然なのである。

そう考えると、自然に生かされているというのは自分自身に生かされているということになり、不思議な言い回しに思える。たしかに、自分自身に生かされているというのはある意味では的を得ているのかもしれないが、今回は触れないでおく。

とにかく、私たちは確かに自然のサイクルの中に組み込まれているのである。植物の実は動物により食され、繁殖範囲を広げる。動物は他の動物により食され、間引きされ、淘汰を回避している。

本来人類も同じく、食し食されるのが本来あるべき姿だが、今はそれとは遠く離れた生活を送っている人たちがほとんどだ。
人間も動物と同じで、数が増えすぎて絶滅するかもしれない。という観点では、にわかに囁かれる"人口削減"はまぁ理にかなっているとも言える。

でも、一部の人間が人間を間引くのは自然のシステムに反してるため賛成はしない。

日本人口は減る一方の中、世界人口は増え続けている。
自然のシステム通りに次世代にバトンをつなぐにはどうしたら良いのか。個人的に考えた。
それは、『死なないための医療』をやめることが一つだと考えついた。
今は西洋医学の発展で、脳が動いてなくても、心臓を動かす能力がなくなっても体を生きている"状態"にしておくことができる。

それは果たして"生きて"いるのか?
肉体に重きを置き過ぎる傾向があるように思う。
自然の通りに朽ちていくことで、新しいものが生まれる。
『死なない』というのは生命の巡りを滞らせていることなのだ。

だからこそ、医療や薬に頼るのではなく肉体を自然の通りに整え、動かし、巡らせ、苦しまずに次へバトンを渡すことが大事だと思うのだ。

私はちょっと前まで自然死しか考えてなかったのですが、何か他の生き物に食べられながら死ぬのもいいなぁなんて思うようになりました😹
きっと人工物の傷と違う痛みだと思うんですよね。
なのでライオンだか狼だかワニだかに食べられて死ぬ選択肢ができました

おわり‼️

#未来のためにできること

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