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世俗的な事柄に対する嫌悪感の自己分析

どうも『Alex Lab』のAyatoです😸
今回の【思考の旅路】は、世俗的な事柄に対する自己分析の結果を掘り下げました!
自分語りになっちゃうかもしれないですが、抽象化してみると皆さんにも当てはまることはあるのではないかと思います。
自己分析から新たなる問いが生まれたので、今後も内面から掘り下げて抽象化して、皆さんの視点や疑問に繋がればと思います😆


【前提】

様々な媒体やコミュニティにおいて、ニュースとなり炎上したり、蔑んだり自慢したり等が行われる共通点には、世俗的な欲求が大きく関わっている。

【自己分析】

その上で世俗的な欲求(Social status、Alcohol、Sex等)に対して自分が感じるものを分析してみた。

まず、嫉妬による批判の的になりやすい[世俗的な欲求テーマ]に対して、多くの人の感情背景にあるような「羨ましさ」が自分の中で沸く事があるのも事実ではある。

しかし、感情割合の6〜7割くらいは、そういった世俗的な欲求に対して、一歩引いて"離脱"する事ができているのも事実。
これは相反する感情や感覚が自分の中で内在しているという事。

その背景として、
自分はそんな低次元な事には左右されないという認識が少なからずある。
この"離脱"に必要不可欠な認識は、
寓話「狐と葡萄」における酸っぱい葡萄のように、世俗的な事を捉えているだけでは?と考えたが、どうやらそれだけではないのでは?
という自己に対する問いが生まれた。
これは自分のスタンスが本当に自己主導的であるか、それとも他者に対する嫌悪感や自分の価値観の正当化であるのかを掘り下げる契機になった。

大なり小なり世俗的な事柄に対する距離感について、「羨望」と「嫌悪感」の間で揺れる姿勢は、多くの人が持つ二重性だと思う。

自分は世俗的な欲求に対して、同じ理性を持った人間がサルのように振り回される事を"滑稽"に見ている節がある。(人間が自己制御を超えて本能的欲求に従う姿)

これはメタ的な視点で、人間のレベルに至らないそういったサル達になりたくないと感じるのである。(ここでいうサルとは、動物単体の猿を指してなく、人類の進歩以前の本能のみで動く生物を、概念として一括りにしたものを指している。)

これに対して自分が羨んでいるだけでは?という意見も真っ当だ。確かに一理あるかもしれない。

少なからず世俗的な欲求に対する嫌悪感はあれど、以下に説明するように、問題なく受け入れている部分は存在している。この線引きを分析していこうと思う🤔

自らの意思決定のみで全てを確定出来るのであれば、それでも良いと思う。
となると、自己以外が関わることに対して振り回されるのが嫌なのかもしれない。

そこには個人的な意思決定よりも、他者の同行との擦り合わせによる事がコストに感じられるからだろう。
これは根源的な価値観=自己を持たず他者に振り回されることへの拒絶反応と言える。

という事は世俗的な事やニュースに嫌悪感を多少感じるのは、この振り回されている存在に対してのみであり、同じホモサピエンスでありながら理性なき人以下に見えてしまうからか🤔

おそらく自分は、個人の意思決定を重視し、他者の行動や社会的な流れに自分を無理に合わせたくないという独立性の感覚が強いのだろう。

違った視点で見ると、歴史的にはstatus、alcohol、sex等は人類にとって当たり前の欲求であり、文化的にも深い意味を持っている。
そこに対して"滑稽"と捉える感覚自体がとてもマイノリティであると自覚している。

【哲学的な視点として】

これらの認識は賛否あるが、人類の思考のバージョンを上げていく為に必要な「一段上の認識や感受性」であるのだと考えている。

ただし、こうした視点があまりに偏ると、他者との共感や相互理解が難しくなるリスクもある。
あくまで、世俗的な欲求を肯定的に受け入れる人に対して、排他的にならず、かつ、求めすぎず価値観を押し付けない対応が必要だと捉えている。

今回思考したことを振り返ってみると、やはり自分は個人主義的であると感じざるおえない。
世界とのバランスを取る為にも、この様に社会的文脈を考慮して自己を問い直す必要があるだろう。

【考察を深める為に生まれた問い】

🟢自分が「サルのように振り回されている」と判断する基準は何か?

🟢歴史的・文化的背景を踏まえた上で、世俗的欲求を持つ人々とどう向き合うべきか?

🟢今回捉え直した価値観が「一段上の認識」だとしたら、それは具体的にどのような社会的変化をもたらす可能性があるのか?

🟢そして、この価値観が縦方向の力関係でなく、横方向の同列の関係であった場合、他にはどんな価値観があるだろうか?

自分の中で生まれた自己否定的な問いも繰り返し、自分の今の価値観をこねくり回して新たな問いを生んでいきたいと思う。



今回の思考の旅路を通して、自己に根ざしている価値観には、物事は一方向にのみ進んでいくという西洋的な進歩主義があるのかもしれないと感じました😅

今までは、そんなことないだろうと否定しつつも、今回のテーマから自分にも隠れ潜んであると知りました😌
とても有意義な旅路だったと思います!
皆さんはどうでしょうか?

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最後まで読んで頂きありがとうございました♪
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