海に眠る徳利?あがる徳利/【酒器の魅力シリーズ】
こんにちは!
酒器研究家のちどりです。
当記事にお越しいただき、ありがとうございます。
酒器の魅力を語るシリーズ・・・
著名な方の語る酒器にまつわるストーリーなど取り上げます。
今回は・・・
土を使いこなすことで著名な、
陶芸作家の巨匠
辻 清明(つじ せいめい、以下敬称略)氏の語る
酒器の魅力・・
海底の酒器~~~
海に眠る酒器?!あがる酒器?!
徳利いいモノは海底に?!
徳利・・ぐい呑み・・
辻清明曰く・・
いいものは、まだ、たくさん世界中のどこか、
海底?!海の底、湖の底、地の底などに
眠っているはず・・・なんだそうです。
例えば・・
日本海、能登半島の珠洲(※珠洲焼で有名な陶芸産地でもあります・・)
のあたりの海底からは、
時として漁師さんが網で、
大甕(オオガメ)を引き上げることがあるそうです。
江戸時代?はたまた鎌倉時代?安土・桃山時代??
いつの時代やら、船が荷造りしたまま難破してしまい、
船の中から、大ガメが出てきて・・
その中にさらに、壺やらなにやら、入ってたり・・
そこには、徳利もあったとかなんとか・・。
「海アガリ」徳利!
備前(岡山県)の徳利は、瀬戸内海・海底のどこかに眠っていて・・
時々、海からでてくるものもあるんだそう。
そういうものを 辻清明は著書の中で、
”海あがり”と呼んでいらっしゃる。
ネーミングが、「海アガリ徳利」・・
風呂アガリのビールならぬ、海アガリの徳利?!
・・なんとも言葉の響きがよく・・
それは、長年、塩とミネラルにどっぷりユラユラとつかっていた徳利~~~
日本酒をこの徳利に入れて・・しばしユラユラ・・
飲んでみたら、ミネラル分染み出てきて、
日本酒がうまそ~~~
・・・なんて妄想に浸っております。
北前船で甕・壺が各地へ!
日本列島ぐるっとまわる船と一緒に沈んでしまう大甕?
かつて江戸時代から明治時代にかけて
仕組化された廻船問屋や航路・・
関西からぐるっと西へ瀬戸内海をまわり、
そこから日本海にでて北へと・・
北海道まで航行していた「北前船」(きたまえぶね)。
利尻島の昆布など名産を関西圏まで運んでいたり・・。
各地の産物・商品を運搬しつつ、
途中で売買しながら航路をまわる仕組みの廻船ですが、
備前焼(岡山)の甕(かめ)が海をわたり、
山形で発見されていたという記録もあり・・
灘(兵庫)の日本酒が備前焼の甕にいれられて、航路を回るとか?・・
これは、先日、
西宮(灘)の日本酒で有名な白鹿さんで撮影した甕(かめ)。
以前、酒造りなどに利用されていたという大甕。
この甕たちがどこでつくられたものか?
資料館へ備前焼作家さんと一緒に訪れました。
先方の学芸員ご協力のもと、
江戸時代の酒造りに使われていたとされる甕や壺を調査。
それは、備前焼・・
・・古いモノでは、安土・桃山末期か、江戸初期頃に作られたと推察。
ということは、当時、やはり・・
備前焼の産地、岡山からは瀬戸内海を通じで、
甕や壺などが酒造りや保管用に行き来していたり・・
遠くは北前船で、東北地方や北海道まで旅をしたということか!
その場で大甕を目にしたら、一瞬・・
タイムスリップしたような感覚に襲われましたが・・
辻清明のいうように、
今の時代にも、海の底にお宝となるようなものも、
ずっと眠ったままでいるんでしょうね。(遠い目・・)
辻清明は陶芸家で作陶のかたわら、
酒器をコレクションしており、
酒器に対する考えや目利き力はとても鋭いものがあります。
この先、酒器の魅力シリーズでは、
辻清明が酒器に見出した魅力なども、
取り上げていきたいと思います。
参考文献:
『ぐいのみ』辻 清明著
保育社カラーブックス(1976年初版)
以上、ここまでお読みいただきありがとうございました!
~~~ Written by CHIDORI©2024~~~
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