見出し画像

【ファンタジー小説部門】ぜんぶ、佐野くんのせい(第42話)#創作大賞2024


★第41話はこちら



★第1話はこちらから




 我に帰ると、石畳の足元が砂のようになって、片桐の身体は胸元まで飲み込まれていた。レイトはすでにいなくなっている。すっきりしたような顔をして、アンナを迎えに行くと手を振りながら消えてしまった。レイトが身体から抜けたら自分も元の場所に戻れると思っていた。だが、空間は一層いびつになり、足元を掬われる。

「誰か───!」
このまま自分は地獄にでも落とされてしまうのだろうか。罪はなんだ。たった一度きりの人生を真剣に生きようとしなかった罪か? 冗談じゃない。まだ僕にはやらなければならないことがたくさん残っている。ここを出たら、アンナとレイトの遺体の場所を警察に知らせて、ベルとニナにもちゃんと報告しなきゃ。それが落ち着いたら受験勉強に専念するんだ。幼い頃から教師になることを父さんや母さんに勧められていたけど、別に嫌じゃなかった。嫌じゃなかったから、言いなりになっているようで癪だったけど、僕はあの大学を選んだんだ。はじめさんにも色々と相談に乗ってもらおう。僕も、彼のような先生になりたい。それから……。気晴らしに丈太郎と写真を撮りに出かける。他愛もない会話をしながら最高傑作を撮影することだけに集中して。彼の……フォトアカウントのコメント返しを見て腹を抱えて笑って……。ああ嘘だろ。全部叶わなそうだ。

 鼻孔の奥に砂が入り込んでくる。自分が息をしているのかしていないのかさえ定かじゃなかったが、喉の奥を締め付けられるような苦しみだけはリアルだった。いや、きっとここに感覚なんてものは存在しない。これはただの抽象的なイメージだ。レイトが言ってたじゃないか。ここは僕が作り出した世界だって。ならどうして抜け出すことができないんだろう。本当にこんなところで、僕の人生は終わるの?!

 その時だった。突然空に光が差し込んだ。懐かしい光。いつもそばで感じていた暖かくて強くて優しい光。丈太郎?! だが、そこに出現したのは翼だった。このいびつな世界すべてを覆い尽くすような大きな大きな黄金の翼。そして、片桐がこの翼を見るのはこれで二度目だった。

 最初に見たのは今日の正午近く。山本さんの家で、丈太郎がニナの意識に潜入したときのことだ。膨大な光の膜が鋭利になってニナの中に吸い込まれていくと、膜が薄くなったところに突然この翼が現れた。

 小さく折りたたまれていたのが徐々に花開くように、それはゆっくりゆっくりと大きく広がっていった。眩しくて目を開けていることに苦痛を感じた。薄目を開けて観察していると、それは大きくなったり小さくなったりを繰り返し、時々人の形や動物の形になる。

 片桐は、小学生の頃に読んだエジプト神話を思い出していた。確かこういう感じの翼を持った女神がいたはずだ。片桐が呆然と見つめていると、人の輪郭になった翼がニッコリと微笑んだように見えた。その瞬間、胸が熱くなって泣き出しそうになった。光の膜が分厚すぎてずっと見ることのできなかった丈太郎の背景。それが目の前にあった。

「丈太郎……」
助けに来てくれたんだね───。翼に身体を掬い上げられてしばらくすると、片桐は気が遠くなり意識を失った。

「先輩」
耳元で囁くような声。かかる吐息がくすぐったくて思わず身を捩る。
「起きてくださいよ、いい加減」
そう言いながら、次の瞬間にはS高伝統の応援歌を歌い始める。なんの悪ふざけだ丈太郎。

「早く起きないと先輩の恥ずかしい秘密みんなにバラしちゃいますよ」
恥ずかしい秘密? そんなもの、僕にはない。
「あ、寝返り打った」
この声は佐野。
「本当に寝てるだけ?」
山本さん。

「だって、寝息聞こえるじゃないですか。スースーって」
「なんか気持ち良さそうね。このまま寝かせておいてあげたい気もする」
「でも、起きたらレイトに身体乗っ取られているパターンもありそうだし、やっぱり早めに確認しとかないと」
佐野が覗き込んでくる気配を感じる。嫌な予感。

「おーい! 片桐先輩」
次の瞬間、両脇腹をくすぐられた。自分でもびっくりするほどパッ! と目が開いた。
「起きた!」
丈太郎の嬉しそうな声。佐野はまだしつこく片桐の脇腹に触れていた。思わず腕を叩いてしまう。
「痛っ……」
「良かった! 片桐くん」
山本さんの目にジワッと涙が溢れた。
「私が軽はずみにお願いなんてしたせいで……」

身体を起こすと、自分がベッドに横たわっていたのだということに気づく。
「ここは?」
「救護室です。俺たちが先輩の異変にあたふたしてたら、親切な人がインフォメーションに言いに行ってくれて。ここで休ませてもらうことになりました」
「救急車呼ぶって話になったんだけど、まさか霊に憑依されたかもしれないとは言えないし、咄嗟に持病の貧血を起こしたってことにしときましたよ」
佐野はしたり顔で言う。

「ずっと目の様子がおかしかったの。突然笑ったようになったかと思ったら、次の瞬間には怯えたようになったり。でも、途中から寝息が聞こえてきて……。何度声をかけても起きないからちょっと心配になっちゃった」
山本さんはまだ濡れている目尻に人差し指でちょんちょんと触れながら、無理させてしまってごめんなさいと頭を下げた。

 片桐は首をゆっくりと横に振った。
「レイトとたくさん話せたよ。それに……。戻れなくなってもがいてた僕を丈太郎が助けに来てくれた」
「本当ですか!」
丈太郎の顔にフワアッと花びらのような笑みが広がってゆく。我慢したいのに堪えることができないとでも言うように、それはやがていやらしいニヤニヤ笑いに変わった。

「俺、絶対できると思ったんですよ! ハンドパワー」
ニナの意識に潜入したときのようにエネルギー量を最大限にして、ずっと片桐の身体にハンドパワーを送っていたらしい。

「ハンドパワー……」
思わず顔が引きつる。あのホログラムの世界は、翼の出現と同時に神秘的で荘厳な雰囲気に変わっていた。かすかに聞こえる讃美歌のような音楽。黄金の翼の内側は慈愛と平安に満ち溢れ、ずっと包まれていたい、この安息がいつまでも続けばいいのにと心の底から思った。自分が美しい絵画の一部になったようで、その陶酔感に身も心も溶けてしまいそうだった。

 なのに、現実では眉間にシワを寄せてかざした両手をクネクネと動かした丈太郎が、なぜかS高の男くさいドスの効いた応援歌を歌っていたのだ。戻ってこれたのは本当に奇跡だったのかと思ってしまう。

「で、レイトとの交霊はどんな感じだったんですか?」
佐野が改まった様子で尋ねてきた。
「うん。色々知れた」
片桐はそっと腹の辺りに触れる。まだ奥のほうに僅かにレイトの感触が残っていた。

 アンナがアルコール依存症だったこと、アンナを正気に戻すためにレイトがベルを手段として利用していたこと、病院から戻ってきたらベルとニナがいなくなっていてアンナが取り乱したこと。それらを淡々と説明した。はじめに対するレイトの嫉妬心や美少女版佐野への狂った恋愛感情に関しては触れないでおくことにした。これは自分の中だけにとどめておこう。なんとなくそう思った。

「まさかアンナがアルコール依存症だったとはな」
三人のショックが伝わってくる。
「でも、ベルとニナにとっては最愛の飼い主だったんだよな」
依存症の恐怖については、学校の特別授業で何度もやっている。薬物依存、ネット依存、ギャンブル依存。身近でありながらどこか現実味がなかった。ベルが傘で襲撃されるきっかけになった口論が、同意の上で財布を預けているのに、レイトを泥棒扱いして警察に突き出そうとしていたことだと知り、三人の顔にはあからさまな恐怖が滲んだ。それは、これまでの人生経験からでは到底理解の及ばない恐怖。人が人としてのモラルやプライドを平気で捨ててしまう恐怖。

「その先は聞けたの? どうしてレイトとアンナは死んでしまったのか……」
山本さんの問いかけに、片桐は「うん」と頷いた。だが、話そうとすると強烈な吐き気が襲ってくる。まだレイトの体験した恐怖の芯のようなものが、体のどこかに残っているのかもしれなかった。

 喘いでいると丈太郎がペットボトルの水を差し出してきた。
「まだ開けてないんでよかったら飲んでください」
「ありがと……」
半分ほど一気に飲むと、片桐はゆっくりと息を吐いてから目を閉じた。



#創作大賞2024
#ファンタジー小説部門


★続きはこちら


サポートしていただけたらとっても嬉しいです♡いただいたサポートは創作活動に大切に使わせていただきます!