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【ファンタジー小説部門】ぜんぶ、佐野くんのせい(第41話)#創作大賞2024


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 また戻された。小さなささくれだらけの手。また泣いている。拭っても拭っても涙は次から次へと溢れ出し、母親の叱る声が頭の奥でドラの音のように鳴り響く。いったい母さんはなにをそんなに怒っているのだろう。恥ずかしい。ママは恥ずかしいと言っている。母親が手に持っている本を叩きつけるように振るのが怖くて、片桐はよろめく。

「どうしてお友達をつくらないの?! 学校でいつも一人ぼっちでいるんですってね。ママ、先生に言われたわ。紘也くんは友達に遊びに誘われても無視して本を読んでいるって。確かに読書も大事よ。そのときにしか出会えない本ってあるものね。でも、それと同じくらい小学校三年生のこの瞬間も今しかないのよ。ママもパパも子供の頃はクラスの中心だったわ。それを誇りに思っていた。あなたにはリーダーシップを取れる子になってほしいってずっと思って、そういうふうに育ててきたつもりよ。なのに、先生から指摘されるって、これほど恥ずかしいことある? あなた、本当に大きくなったらママやパパみたいな教師になれるの? 協調性もないし社交性もないし───」
母親の声がさらに強くヒステリックに響く。ハッとする。母さんってこんなんだったっけ? 確かに決めつけたような物言いは多かったけれど、僕が泣き崩れるまで頭ごなしに叱りつけることなどなかった。言葉を飲み込む癖のある僕を、いつだって辛抱強く待ってたのではなかったか?

 これはレイトの罠だ。それに気づくと、急に体の芯が冷たくなってゆく感じがした。僕をどうしてもここにとどめておきたいらしい。でも、その手には乗らない。片桐は目の前でしたり顔をしているレイトを引き寄せ、やや乱暴に抱きしめた。レイトは驚いたように身悶えたが、片桐は爪を立てて動きを封じた。

「君と僕が一緒ってのは、確かにそうかもしれないね。どっちも佐野に振り回されている。でも、僕が人間関係をしっかり結べないのは佐野のせいじゃないし、君とアンナが死んでしまったのだって佐野のせいじゃないだろ? 僕は君の力になりたいんだ。ねえ、なにがあったのか僕に話してみて」
レイトの抵抗が止まり、気がつくとその身体が片桐の身体に中途半端にめり込んでいた。ものすごく不快な感覚が広がってゆく。内臓を直接手でいじられているかのようだ。猛烈な吐き気が襲ってきて、実際に吐いたような気がしたが、ホログラムの足元に吐瀉物はなかった。

 レイトを完全に孕むと、身体の不快感は消えた。自分の一部がレイトになっているのを感じる。
「君は病院にアンナを連れて行った。これは間違いないね?」
「ああ。間違いない。俺がバカだった。ついムキになって」
レイトの声は腹のほうから聞こえた。なぜかとても従順になっている。

「その後どうなったの?」
「出血はあったが軽い引っ掻き傷だった。俺はアンナを家まで送っていった。車の中でアンナは俺にこう言った。ことあるごとにベルを切り札に使われるのには耐えられないって。確かにあの日、俺は少々やりすぎた。全ての覚悟を決めて、アンナの人生を丸ごと引き受けるつもりだったんだ。それで少し興奮していたんだと思う」
「ベルを切り札に使う? それってどういう意味?」

「アンナはアル中だった。寝ても覚めても酒のことしか頭にない。俺はそんな彼女を心配して、財布を取り上げた。もちろん同意の上でだ。だが、酒が切れてくるとアンナは見境がなくなった。俺に掴みかかって酒を要求し、大騒ぎになる。そのたびにベルが吠えてとんでもない修羅場だったよ。だが、ある程度するとアンナが正気に戻るんだ。ベルの鳴き声で。それを知ってしまったら、俺だってさ……」
レイトの声が詰まると、なぜか心臓のあたりがチクリと痛んだ。降霊による身体への負担はある程度覚悟しないとならないかもしれない。

「俺だって辛いもの。そりゃあベルを切り札に使いたくなるだろ。あの日もそうだったんだよ。アンナにプロポーズするために、俺はめかし込んでいた。薔薇の花束と手作りのプレゼントを持って。だが、案の定また酒の話。俺を財布を盗んだ泥棒だから警察に突き出す。自分にはそのくらいのことができるんだって喚いていた。それで俺も耐えられなくなって、ついベルを……」
片桐の中のレイトのイメージが大きく変わる。自分を苦しみから救い出してくれた人だから、自分もその人の苦しみを一緒に背負う? そんなこと、僕にはできるだろうか。想像すると身体のそこかしこがシクシクと痛くなる。

「車の中で、俺は明確に別れを意識した。アンナを救いたいだけだったんだけどな……。俺の存在が逆にアンナを苦しめていたんだから、もうこれ以上俺にできることなんてなにもないだろ。でも、アンナは別れ話に首を横に振った。俺がいないとダメだって強い口調で言ってくれたんだ。嬉しかった。あの死へと向かっていた川で差し伸べられた救いの手。今度は俺がアンナにその手を伸ばすことができたんだ。だから、本当に嬉しくて嬉しくて───」
「アンナを家に送って行った後に、なにがあったの?」
そろそろ身体がきつい。気の抜けた風船のように、どこかから生気が漏れ出て行っているような気がした。ちゃんと全部を聞き届けられるだろうか。

「ベルニナ───アンナがそう呼んでいたから俺もあの犬猫コンビをそう呼んだ───がいなくなっていることに気づいた。アンナは取り乱した。自分の命より大事に思ってたからな。そこでまた口論だよ。なんで鍵をかけなかったんだって。俺は黙って殴られ続けることしかできなかった。アンナの出血を見てパニックになったとしても、鍵をかけるくらいの頭は回せたはずだ。だが、そんな単純なこともできなかったんだ。俺はアンナに病院から処方されていた睡眠剤を飲ませて、その日は別れた。翌日は仕事を休んで、一日中アンナと一緒にベルニナを探した。だが、見つけることはできなかった」
あんな目立つ大型犬なのに。誰も目撃してないっていうんだからな……と、レイトの声は片桐の腹の奥で寂しそうに響く。

「レイト、そろそろ僕の体は限界だ。よかったら、君たちがどうして亡くなったのか教えてくれない?」
「どうしてお前はそんなに知りたがるんだ。俺はこんなふうになってしまったけど、思い出したくないことだってあるんだ」
「でも……。君が成仏できなくて佐野に憑いてるように、アンナもベルから離れられずにいるんだ。君たちはなぜいなくなったの? 君たちの遺体はどこにあるの? それが分かれば、君たちがこの世界に残しているわだかまりは解消されるはずだよ」
フンッと、レイトは鼻で笑った。俺はわだかまりがあるからはじめの弟にくっ付いてたってわけか、と言って沈黙する。

「たとえばさ、僕だったら……。自分が死んでしまったことを誰にも気づいてもらえないのは悲しい。多分、僕は丈太郎に憑くと思う。それはあいつが僕の灰色だった世界にカラフルな色を付けてくれた大事な友人だから。どうしても知ってもらいたい。涙を流してほしい。悲しんでほしい。そして、時々思い出して懐かしんでほしい───。そんなことを思いながら、僕は気づいてもらうのを待っていると思うんだ。きっと、それと同じようにレイト、君も佐野に……。美少女姿の佐野に、純粋な感情を持っていて……。気づいてほしいと……」
「ひ弱だな。もう限界か?」
レイトはため息をついた。
「分かったよ。どうして俺とアンナが死んだのか、教えてやる」



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