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【ファンタジー小説部門】ぜんぶ、佐野くんのせい(第40話)#創作大賞2024


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「バカだね、お前は」
目の前のレイトが卑屈な笑みを浮かべていた。
「ここは……」
丈太郎も山本さんも佐野もどこにも見当たらない。商業施設の屋外イベントスペースにいたはずの大勢の客も跡形もなく消えていた。空間のそこここに歪みが生じていて、まるでホログラムを見ているかのようだ。

「ねえ、ここどこ?! 僕、帰らなきゃ……!」
「何言ってるんだ。ここはお前が作り出した世界だろ。帰りたいのはこっちなんだよ。おい、泣くな!」
「だって……!」
怖いと認識した瞬間、ポロポロと涙が溢れて止まらなくなった。ふと、目を拭う自分の手の甲に違和感を感じた。小さい。柔らかくて肌のキメも細かく、指のそこかしこが逆剥けだらけになっている。この手……。小学校低学年の頃の僕の手?! まだ切り替えスイッチを使いこなせていなかった頃。クラスメートの「背景」に触れるたびに身体の中に解消できないドロドロした感情が溜まっていって、どうすることもできなかった。

 指にできたささくれをむしったとき、なぜか少しだけ心が落ち着いたように感じた。そこからが悪循環の始まりだった。心の平安のために指の皮を剥く。しばらくは穏やかな気持ちで過ごすことができる。だが行為はエスカレートし、やがて爪の境目から血が吹き出す。ヒリヒリと脈打つような痛みが罪悪感を増幅させ、もう二度といじらないと固く誓うのに、結局不安に打ち勝つことができずに同じことを繰り返す。

 母親に、傷口からバイ菌が入ったら全部切断しなくちゃならなくなる、と脅かされたこともあった。息子の自傷行為をやめさせたい一心から出た言葉だったと今なら分かるが、あの頃よく見ていた悪夢の中では、片桐の指を切断しに来るのはいつだって大きな裁ち鋏を持った母親だった。

「どうしたらここから出られる?」
聞く相手を間違えているような気がしたが、今の片桐に頼れるのはレイトだけだった。
「出る必要ないだろ」
「僕の居場所はここじゃない!」
「おい、唾を飛ばすな! クソガキ」
「レイトが僕に近づきすぎてるんだ。離れてよ!」
「お前が俺を結えつけてるんだろ! 間違えるな!」
言われて視線を落とすと、レイトの下半身が自分の腹のあたりに深く埋まっていた。嫌すぎる……。

「どうせ戻ったって居場所なんてないんだろ? 誰もお前の苦悩なんて理解できないんだから。お前は俺と一緒なんだよ。欲しいものは何一つとして手に入れることができない。どこまでも自分を殺して、偽りの人生を生きていくくらいしか残されていないんだ」
「君になにが分かる! もう僕は昔の自分じゃない!」
「忘れるなよ。今、俺とお前は一つに繋がってるんだ。お前のことは全部筒抜けなんだよ!」
情けない……と言いながら、レイトは舌を鳴らした。

「親の敷いたレールをバカ真面目に辿ってるだけのくせに。その先に何がある? ママの言うことは全部正しいのか? ママの言うとおりにしていれば無駄に頭を使う必要もなく楽に生きることができるのか? そんなのはただのバカの考えだ。もう昔の自分じゃない? よく見てみろよ自分の顔。家畜と変わんねえじゃん。飼い慣らされて毎日与えられてる変わり映えのしない餌を愛情と勘違いして。お前は豚なんだよ。ただの食肉用の豚!」
耳を傾けるな。そう自分に言い聞かせるも、レイトの声は魔力を帯びたように不穏な波になって、耳殻の奥を震わせる。悔しいのに抗うことができない。

「可哀想な紘也。お前はただの操り人形。親友もいない。好いてくれる女もいない。未来は全部ママの手の中」
「やめろ!」
片桐は声の限りに叫んだ。だが、レイトはやめなかった。
「俺はそういうのが嫌で、自分で自分の殻を破ったんだ。お前と一緒だよ。親が中途半端にインテリだから小さい頃から勉強三昧。でも、努力の甲斐虚しく志望していたS高には受からなかった。それがずっと俺の呪縛になってて、そこから何もかもが変わってしまった。俺だって昔は温かい目をしてたんだ。好きなものは素直に好きと言えたし、嫌いなものを好きになる努力だって怠らなかった。でも、S高に行けなかったら、俺のそんな側面なんてなんの意味も成さないんだよ。親にプレッシャーをかけられて必死に頑張ったけど、俺の能力ではあの大学に合格するのが精一杯だった。でも、そこで佐野はじめに出会った。俺の一番嫌いなタイプ。学力があるわけでもないのに、ただニコニコしてるだけであいつの周りには女や仲間が集う。そして、恥ずかしげもなく言うんだよ。俺は高校教師になって生徒たちの人生を明るい未来に導くって。どうして真面目に努力してきた俺じゃなくて、ただ口が達者なだけのあいつが重宝がられるんだ」
悔しそうに頬を震わせた後で、レイトは急に静謐をまとった。

「けど、あいつを見ているうちに俺もその毒にあたってしまった。真実と疑わなかった人生がすべてまやかしだったことに無理矢理気付かされたんだ。俺が自分だと思っていたのは全部他人だった。S高に行けなかったら自分にはなんの価値もないと思わせていたものも、あの大学に行っている奴らを蔑んでいたのも、親に強制されたわけでもないのに教師にならなければならないと思い込んでいたのも、全部他人。そのことに気づいたら、あとは自分の人生を取り戻すことに集中すればいいだけだった。俺は一般企業に就職しながら、本当に自分がやりたかったこと、革製品作りに励んだ。自分のブランドを作って、みんなが俺の作った革を身につけて幸せそうにしている。そういうのを望んでいた。だが、そんな簡単な話じゃなかったんだよ……」
「その先の話は君の手記で知ってる」
片桐はグスンっと鼻を啜った。レイトの顔は無表情だった。

「結局、うまく行く奴はたいした努力をしなくてもうまく行く。ダメなやつはなにをやってもダメ。それがこの世の仕組みってわけだ。俺が恋に落ちた少女の話は知ってるか? あの子は存在すらしてなかった。絵の中にしかいない虚構の女に俺は心をかき乱され、そして狂った。毎日毎日、彼女に宛てた手記を書いたよ。永遠に手に入らないと知りながら、それでも止めることができなかった。あのときほど自分を惨めに感じたことはなかったな。何度も、彼女が絵の中から実体を持って出てくることに期待してS高の前で待ってた。だが、現れたのはだらしなく制服を着崩した寝ぼけ眼の少年。俺はこいつが憎くて憎くて、本気で締め殺してやろうかと思ったくらいだ。もう頭がイカれてたんだ。はじめの弟があの少女を匿ってるっていう妄想が始まって、止めることができなくなった。終わっても終わってもすぐにまた始まる。無限ループだ」
片桐はふと自分の指に目を落とした。ささくれだらけだった手は、いつの間にか十八歳の今の手に戻っている。けれど、ジンジンと血を滲ませて脈打っていたあの感覚がまだ鮮明に残っていた。やめたくてもやめられない。終わっても終わってもすぐに始まる……。自分もレイトと一緒だ。

「もう限界だった。バカなことをする前にさっさと死んでしまわないと……。そう思ってふらふらと川に入って行った。腰まで水に浸かったとき、背中に誰かが声をかけてきた。それがアンナだったんだ。犬を連れていた。俺は神なんて信じてなかったけど、あのときだけは確かに大いなる意思の存在を感じることができた。俺に差し伸べられた慈悲深い手。虚構だと思っていた少女が実体を纏ってそこに立っていた。その指先に触れたとき、俺はようやく正気を取り戻すことができたんだ」
「それなのに、どうしてこんなことになってしまったの?」
「こんなこと?」

「君がベルに暴力を振るって、それを止めさせようとしたアンナに怪我を負わせた。そのあと、君たちにはなにが起こったの?」
「おい待て。俺はそんな話をしたいんじゃない。お前にここにいろという話をしてるんだ。あっちに戻ってまた偽りの人生を歩むのか?」
「アンナの話を始めたのは君だろ」
「ダメだ。もう一回戻る必要がある」
急に体が重くなって頭の中がグルグルと回転した。



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