見出し画像

【ファンタジー小説部門】ぜんぶ、佐野くんのせい(第45話)#創作大賞2024


★第44話はこちら



★第1話はこちらから




最終章 丈太郎の決断

大家に自白させた翌日、丈太郎は祖父冨次の家に行き、アンナを見つけることができたとベルに報告した。ベルは一直線に丈太郎を見上げ「よかった」と一言だけ言った。  

 その後はほとんど会話という会話もなく、窓辺にトボトボと歩いて行くと、日に焼けた畳の上にゆっくりと身を横たえた。その背中があまりにも寂しげで胸が締め付けられる。丈太郎は傍に行くと、その首元に顔をうずめ、一緒に横になった。冨次が頻繁にトリマーに連れていっているせいで毛艶がよく、獣臭さもない。

 どのくらいの時間そうしていただろう。遠くから聞こえる冨次の「ジョウくん、昼飯できたぞ」の声でハッと我に返った。いつの間にかウトウトしていたようだ。上体を起こすと、ベルもゆっくりと体勢を変えた。ふと正面で目が合った。

───丈太郎

「どうした?」

───僕、前に進む

 力強いベルの声の響きに、丈太郎は虚をつかれる。だが、すぐにその言葉が丈太郎の中にも浸透してきて、内側から熱を帯びた。前に進む。いつだって自覚していないと忘れてしまいそうになるな。ふとそんなことを思う。俺も前に進まなきゃ。ちゃんとすべてにケジメをつけるために。

 この日の一週間後、山本さんの提案でベルとニナを会わせることになった。動物クリニックで二匹が偶然の再会を果たした日から二週間が経っていた。ベルは子犬のように自分の尻尾を追いかけ、身体全身で喜びを表した。

 一番最初に出会ったとき、目の前でブラインドを落とされたように拒絶されたことを思い出す。あのときは役立たずと言われたようで悔しかった。だが、今目の前にいるベルは本来の無邪気さを取り戻していて、キラキラと輝く瞳で丈太郎に全幅の信頼を寄せている。俺に心を開いてくれてありがとう。素直にそんなふうに思っている自分がいた。

 塾の模試がある片桐と午前中歯科治療がある佐野は、午後から合流することになった。片桐のほうはどう頑張っても二時は過ぎてしまうとのことだったので、待ち合わせ場所を市民公園にし、ベルとニナの交流は丈太郎と山本さんで行うことになった。移動は母に頼んだ。冨次に頼まれてベルの薬か何かを取りに行くとでも思ってくれたので、色々と説明が省けて助かった。

 山本動物クリニックの前で「到着しました」とスマホでメッセージを送ると、しばらくして山本さんが現れた。山本さんはベルの頭をクシャクシャッと撫でると、「どうぞ入って」と言って、二階へと通じる階段へと案内してくれる。

 途中、ベルが受付横の椅子をクンクンと嗅いで離れなくなった。山本さんは優しく微笑むと、
「今日はニナは上で待ってるのよ」
と言った。
「ベル、早く行くぞ」
丈太郎はリードを軽く引っ張った。

 お馴染みの部屋に行くと、ニナがすでにドアの所で待っていた。もうキャリーは必要なく、ニャーンと言いながら丈太郎の足に身体を擦り寄せてくる。しかし、久々の再会を噛み締める間もなく、その小さな身体はベルに持っていかれる。
「おい、ベル! 当たりが強いって!」
丈太郎の注意など全く聞かず、ベルは野うさぎのようにぴょんぴょんと飛び跳ねながら、ニナの身体を抱きすくめた。

「うわっ。ニナ可哀想……」
頭を大きな口で舐めまわされている。あまりのしつこさに、ニナが軽くシャーッと怒った。山本さんが一眼レフを構えて二匹を連写している。丈太郎も思い出したように動画を回した。感動的な瞬間。二匹がなんの制約もなく、会いたいと思ったときにいつでも会えるようになった特別な日。そう。そんな特別な日に、俺は山本さんにある告白しようとしている。やばい、緊張するな……。

 丈太郎は山本さんと向かい合ってソファに腰を下ろした。山本さんが持ってきてくれた冷たいお茶を飲みながら、気まずい空気に身を委ねる。思えば、二人きりで会うのは今日が初めてだ。改まるとなにを話したらいいのか分からなくなる。緊張感に耐えられず、丈太郎はソファの背もたれに身体を捻って顎を乗せ、ベルとニナの様子を窺った。

 今ではベルも落ち着き、床に顎を付けて目を閉じている。そんなベルの前脚を、やっと坊やが落ち着いたとでも言うように、ニナが毛繕いしていた。丈太郎の視線に気づくと、ニナはニャーンと優しい声で鳴いて目を細めた。うわっ。超絶可愛い。そして、すごくお母さん的。ニナ、いいな。可愛い。本当に。本当に。ああ……。

「丈太郎くん」
山本さんに呼ばれ、丈太郎はビクッとした。
「はい!」
思わず声が上ずる。
「後で動画私にも送って」
「もちろん!」
なんて声だ。俺は緊張していますと公言しているようなものだ。山本さんが苦笑しているじゃないか。

「ねえ、丈太郎くんは進路もう決まってる?」
しばらくしてから、山本さんが尋ねてきた。学校の進路希望調査では、今のところ関東近辺大学の理工学部で提出している。だが、今回の出来事で将来の方向性が大きくブレている。今からこんな思い切った決断して大丈夫かな。そんな不安に何度となく駆られたが、多分、いや確実に、自分はもう軌道修正が困難なところまで来てしまった。

「俺、獣医師を目指します」
「え……」
そうだよな。そのリアクションだよなやっぱ。キョトンとしている山本さんと向かい合っているのが気まずくなってくる。だが、山本さんが進路の話を持ち出してくれたのは都合が良かった。これから俺がしようとしている告白に、山本さんはなんて言うかな……。

「動物の心の声が分かるって、なかなかないですよね。俺、この力は天から与えられたものなんじゃないかと思って。なのに、それを自分の人生でうまく活用しないってすごく罰当たりな気がするんですよ。今回、ベルやニナと一緒にアンナの遺体を探し出したこともそうですけど、生まれて初めて心の底から満たされている感じがしました。弱きに寄り添うなんて言ったら傲慢かもしれませんけど」
そこまで話して、急に怖くなった。俺はここからどう繋げようとしているんだ。本当にいいのか? 言ってしまっていいのか? 言ったら終わるぞ。すべてが終わってしまうんだぞ。

 山本さんは不思議そうにこちらを見ていたが、やがて穏やかな笑みを浮かべながら言った。
「私と一緒ね」
「はい。なんとなく、山本さんは獣医師を目指しているんじゃないかと思っていました」
「同じ志を持っている人がこんな身近にいるなんて、なんだか嬉しい。丈太郎くんも頑張っているんだと思ったら、私きっとこの受験乗り越えられる」

「あの……」
「ん?」
「俺、山本さんが好きです」
「うん……」
「その、ちゃんと自分の口から言ってなかったんで。分かってると思いますけど、恋愛対象として本当に……」
「うん」
「佐野くんのせいで、なんか山本さんも俺に恋愛感情があるみたいな話になっちゃったけど、俺、気づいてました。山本さんが本当に好きなのは俺じゃない」
「え?」
山本さんの表情が固まる。心底目の前の男がなにを言っているのか分からないとでも言うように、徐々に眉間に皺が寄っていく。

「山本さんが好きなのは片桐先輩」
「え、どうしてそうなるの?」
「見ていれば分かります」
丈太郎の眼裏に様々な光景が蘇ってくる。どんな時でも山本さんと対等な関係を結べているのは片桐だった。決定的だったのは、はじめに連れて行ってもらったファミレスでの一幕だ。ドリンクバーコーナーからふとテーブル席のほうに目をやると、山本さんが顔を覆うようにして泣いていた。片桐は慌てた様子でハンカチを差し出していた。そのとき山本さんが片桐に向けた目は、二人の絆がより深まったことを示すかのように穏やかだった。

 丈太郎は、胸のざわめきを抑えるのに苦労した。佐野も二人の様子に気付き、「あっ! 先輩のやつ」と悪態を付いたが、丈太郎はその腕を掴んで懇願した。お願いだ。山本さんの涙には触れないでくれ。気づかないふりをしていてくれ。佐野は不機嫌になったが、丈太郎の余裕を失った表情を見ると理解を示してくれた。きっとどうしようもなく酷い顔をしていたのだろう。

「山本さんは自分で気づいていないんです。俺が思うに、誰かが言わなければ多分、山本さんは一生自覚しないまま終わる」
「だって……」
山本さんはなにか言おうとしたが言葉が見つからなかったのか、ゆっくりと口を閉じた。

「山本さんは俺のことを好きだと思い込んでいるだけです。それは決して恋愛感情なんかじゃない。山本さんが俺に向けている眼差しは母親が子供に向けているものと同じです。バスの中で俺の手を握ったとき、どんな気持ちでしたか? きっとあのときドキドキしていたのは俺だけだ」
「丈太郎くん……」
「だから、決めました。今の段階でどんなに努力しても、俺は片桐先輩には敵わない。ここで意地を通して山本さんの傍らを陣取っても、ますます惨めになっていくだけだ。自分が嫌になる前に俺はちゃんとけじめを付けます」
「けじめってなに?」
山本さんの表情が今にも泣き出しそうになっている。胸が締め付けられた。だが、言わないわけにはいかなかった。

「山本さんと釣り合う男になる努力をします。正直、今の学力で獣医学部とか無謀だって言われそうですけど、俺、絶対に合格します。それから自分磨きもちゃんとやります。絶対格好いい男になって、片桐先輩なんて目じゃないくらいいい男になって、もう一度山本さんの前に現れます」
きっとその頃には、山本さんは多くの恋愛を経験して一段と素敵な女性になっていることだろう。もしかしたら、片桐がその中に含まれる可能性だってあるかもしれない。だが、それでも構わない。俺は絶対に山本さんをドキドキさせる男になってやる。これから山本さんを彩ることになる男たちが、ただの記号の羅列になるくらい情熱的に、ひとっ飛びにその心を掻っ攫ってやる。

「なんか不思議。寂しいのに嬉しいんだけど、この感情に名称ってあった?」
言いながら、山本さんの頬を涙が伝った。
「私、もしかしたら待ってしまうかもしれない」
「待たないでください。山本さんの人生は山本さんのものだ」
「そうよ。だから、私に決める権利がある」
いたずらっぽく微笑むと、山本さんは立ち上がった。机の上にあったティッシュで涙を拭うと、突然フフフッと笑った。

「私、丈太郎くんが好きな自覚、十分あるんだけどな」
ティッシュを丸めてダストボックスに投げ入れると、そのまま丈太郎の横に腰を下ろした。腕と腕がわずかに触れ合う。
「でも、きっと私の大好きな男の子は相当な覚悟を決めちゃってるから、どんなに私が好きだって言っても聞き入れてくれない」
そう言ったかと思うと、突然山本さんの手が丈太郎の両頬を挟んだ。一瞬、何が起きているのか理解できなかった。間近で目を閉じている山本さん。唇に感じる柔らかい感触。花のような甘い香りが鼻先をくすぐる。───時間が止まった。
「好きよ、丈太郎くん。とっても」



#創作大賞2024
#ファンタジー小説部門



★続きはこちら


この記事が参加している募集

サポートしていただけたらとっても嬉しいです♡いただいたサポートは創作活動に大切に使わせていただきます!