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【ファンタジー小説部門】ぜんぶ、佐野くんのせい(第44話)#創作大賞2024


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第十三章 明るみに出る真実

 アンナとレイトの遺体は大家の家の床下にあった。すでに白骨化しており、遺体を包んだシーツは体液とウジでボロボロになっていた。画像的に捉えていても、強烈な臭いが漂ってきそうな惨状だった。

 星来は、両親の動物クリニックで咬傷からウジを発生させた猫を幾度か見たことがあるが、二人の遺体の周りに群がるウジや害虫はその比ではなかった。所々にネズミの死骸も転がっている。身体の内側から痒みが湧き上がってくるような耐え難い不快感。

 ここまで酷い損傷だと、星来の浅い医学知識では死因を特定することは難しかった。片桐の話からレイトが絞殺されたことは確実だが、アンナはもしかしたらまだ生きていたのではないだろうか。瀕死の状態を事切れたと勘違いされ、レイトとともに大家の家に運ばれた。そんな考えが頭をよぎると、今にも正気を失ってしまいそうになる。

 透視した惨状を丈太郎たちにそのまま話すわけにもいかず、ただ「いた」と言うだけにとどめた。

 商業施設の医務室を出ると、星来たちは電話ではじめを呼び出した。この事件を高校生の自分たちだけで解決することに疲労と限界を感じた。特に、レイトによって殺害の瞬間の一部始終を疑似体験させられた片桐は憔悴しきっている。

 星来は浅はかに交霊を打診してしまったことを悔いた。もしここから先の人生で片桐のメンタルが不安定になるようなことがあったら、全部自分のせいだ。どう償っても償いきれない。自分は今どんな顔で片桐くんを見ているのだろう。不安に顔を歪ませたりしていないだろうか……。こちらの視線に気づいた片桐が笑みで返してきたことは、星来にとってなんの慰めにもならなかった。

 はじめはまだデートの最中だったようだが、さっき会ったときとなんら変わらない爽やかな顔で現れた。彼女とのデートを中断させてしまったことに関しては、後でなんらかの形で埋め合わせをするということで落ち着いた。多分、俺が二時間くらい全身マッサージさせられる……と、佐野はゲンナリした表情で言った。

 この出来事をどこから話せばよいのか、はじめと合流する前に四人で話し合った。星来、丈太郎、片桐の持つ特殊能力について説明することはやや困難を極めそうだったので、ここはパス。ベルとニナの話も上手く伝えられそうにない。

 レイトがすでに亡くなっていることに甘え、虚構のストーリーをでっちあげることにした。考えたのは佐野だ。
「レイトが俺の美少女姿にイカれてたってのは本当だから、そこから適当に考えよう」
「ある程度面識があったっていう設定にしたほうがいいかもな」
丈太郎が言った。
「アンナとの関係は?」
片桐が尋ねる。
「うん……」
しばらく考え込んだあとで、佐野はそれっぽいシナリオを完成させた。

美少女版佐野に振られたレイトは、美少女版佐野に瓜二つのアンナに出会う。事あるごとに佐野に当てつけるようにラブラブ近況報告をしてくる。あまりにもウザいので、今度アンナの顔を見に行くという約束をする。しかし、ある日を境に連絡がプッツリと途絶える。それでさっき、デート中の兄の邪魔をしてまでレイトの連絡先を知ろうとした。だか、先程マンションを訪ねたがどうもいる気配がない。そういえば、アンナの家の場所を聞いていたことを思い出し訪ねてみた。駐車場にはレイトの車があるのにこちらもなぜか応答なし。不審に思い、大家に鍵を開けて欲しいと頼みに行った。そうしたら、玄関戸を開けた瞬間、鼻を刺すような強烈な臭いが漂ってきた。これはただ事じゃない。きっと大家はレイトとアンナの所在を知っている。あれは絶対に腐敗臭だ。レイトとアンナは殺されたんだ!

とんでも話すぎたのか、はじめは胡散臭そうに四人を見回した。
「悠利。お前もしかしてそっちの気があるのか?」
どんなにラブラブ近況報告されても、本気でウザいって思ってたら無視するよな? とどこか憐れみ深い表情を弟に向ける。
「あるわけないだろ! 冷やかし程度に見てやろうって思っただけだよ」
そうだよな! と同意を求めるので、星来たちは大袈裟なくらいうんうんと頷いた。

「本当にこの短時間でレイトのマンションとそのアンナさんって人の家を見に行って、またここに戻ってきたのか? 夢でも見ていた可能性は?」
「俺と丈太郎はともかく、こちらのお二方は受験生なんだよ。すべて分刻みだから悠長にしている暇なんてないの。もう光のスピードだよこの二人。正直付いていくのがやっとだよ」
ふーん、と言いながらも年の離れた弟に甘いはじめは、表面上は納得した様子を見せた。

「それで? 俺にどうしろって?」
「大家に尋問して」
「お願いします!」
星来は深々と頭を下げた。はじめはあまり乗り気ではなかったが、星来がいつまでも頭を上げないのを見て、困惑したように承諾した。

 はじめの車で大家の家に到着すると、午前中とはまた違う緊張感に包まれた。なにもかもが手探りだった先程とは違い、今自分たちが対峙しなければならないのは冷酷な殺人犯だ。酷いことをしておきながら、平然と日常生活を送っている。許せない気持ちが増幅する。

「あれ、またあんたたち?」
玄関戸を開けに来た大家は、星来たちを見回した後ではじめに焦点を合わせ、急に緊張した面持ちになった。
「隠しきれてませんね」
唐突にはじめは言った。大家が出てきたら、真っ先に臭いのことを指摘して欲しいと星来は頼んでいた。実際に、床下にレイトとアンナの遺体があることを意識すると、さっきはそれほどでもなかった家の臭いが、生暖かい空気をまとって強烈に鼻を突いてきた。

「全然隠しきれてない」
はじめが畳み掛けると、大家はあからさまに表情を引き攣らせ、
「なに言ってるんだ? 気持ち悪いな……」
と言いながら玄関戸を閉めようとした。それを丈太郎と佐野が阻止する。

「犬の嗅覚ってどれくらいだか知ってます?」
丈太郎は大家の背後にいる芝犬を憐憫の眼差しで見つめた。
「人間の何万倍ですよ。俺、動物の心の声がキャッチできるんですけど、午前中ここに来たとき、あんたの芝犬がずっと臭い臭い、鼻がひん曲がるって訴えてきてたんですよ。俺は単純に、犬の嗅覚だとこの家の生活臭も耐えられないレベルなんだな、可哀想に……くらいにしか考えてなかった。でも、そうじゃなかった。本当に鼻がひん曲がるくらい酷い臭いが、この家から出てるんだ。この家の床下から!」
「な、なんのことだよ。変な宗教か? 悪いけど間に合ってる」
再び玄関戸に手をかけようとする。

「もう全部バレてんだよ! もうすぐここに警察が来る。なんで二人を殺したんだ!」
なんの前触れもなく佐野が本題に入った。星来たちは驚いて佐野を見たが、当の本人は自信に溢れた顔で大家を睨みつけていた。まるで名探偵気取りだ。とはいえ効果はあったようで、大家は怯えたように肩をすくませた。
「せ、正当防衛だ! 俺はなにも悪くない」
「ちょっ……。本当なのか?!」
半信半疑で弟たちに言われるがままにここまで来たが、まさか本当に殺人事件などというものに関わるとは思ってなかったらしく、はじめは近くにいた片桐の腕にしがみついた。

「なにがあったのか、包み隠さず全部話せ!」
思いの外大家が素直なことに気を良くした佐野は、畳み掛けるように言った。本来ならこの尋問をはじめに頼みたいと思っていたのだが、特に親しいわけでなくても大学時代の同級生が殺人事件の被害者になってしまったことは、余程ショックだったらしい。はじめの顔は見る見る蒼白になっていき、唇がわずかに震えていた。

「あの日、平坂さんから電話が入ったんだ……」
S高のことで佐野に絡んできた酔っ払い男の顔が思い浮かぶ。
「日下部さんが酒を分けて欲しいと訪ねてきたらしい」
泣き出しそうな声で言いながら、大家は頽れるように上がり框に腰を下ろした。芝犬が心配そうに駆け寄り、その腕のあたりをペロペロと舐め回す。

「平坂さんはそんな義理はないと言って断ったらしいが、日下部さん、ちょっと普通の精神状態じゃなかったようで……。そのうち、犬と猫を隠したのはあんただろと見当違いに責めてきたらしい。それで平坂さんからSOSの電話をもらって、俺は駆けつけた」
雨の中、平坂の家に向かって歩いている大家の姿が眼裏に浮かぶ。まさか、この後後戻りのできない過酷な運命を背負うことになるとは思いもしなかっただろう。星来は大家に対して同情している自分に気づく。

「暴れている日下部さんをどうにか落ち着かせようと思って、俺はその場の勢いで、あんたの犬と猫の居場所を知っていると言ってしまった。日下部さんは縋り付くような目で俺を見ていた。もう自力で歩けるような状態じゃなかったから、俺はあの人を抱き抱えて、家まで運んでやったんだ。そうしているうちに、なぜかすごくこう……ムラムラしてきた。実は、ずっとあの人が気になってた。本当にきれいな人だったからな。俺のような腹の出た小汚い中年男にも普通に接してくれたし……。それで、つい」
そこまで言って、大家は大きく息を吐いた。その時のことを思い出しているのか、頭を抱え込んで唸り声を上げている。

「つい、の先はなんとなく想像が付くよ。別に言わなくてもいい」
はじめの言葉は、星来に対しての配慮かもしれなかった。大家は救われたとでも言うように、涙が滲んだ目元を緩めた。
「しばらくすると、日下部さんが早く犬猫の居場所を教えろと凄んできた。俺は、知っていると言ったのはあんたを落ち着かせるためだと白状した。そうしたらあの人、また取り乱して。突然噛みついてきたんだ。もう人間の顔じゃなかった。俺は恐怖と酷い痛みに耐えられず、あの人を殴った。でも、殴れば殴るほど、あの人の歯が腹の肉に食い込んでくるんだよ。本気で噛みちぎられるんだと思った。俺も必死だったんだ」

「その後、レイトがきたんだね?」
片桐が問う。アンナの恋人だよ、と付け足すと、大家は「ああ……」と言って頭を抱えた。
「どちらも正当防衛だ。ああしないと、俺が殺されていた」
「だからって遺体を隠していいことにはならない!」
丈太郎が声を張り上げる。大家はビクッと肩を上げただけで、なにも言い返してはこなかった。

 遠くにパトカーのサイレンの音が聞こえてくる。思ったよりも来るのが早い。星来は膝を抱えたまま鼻を啜りはじめた大家を静かに見下ろした。すべてはボタンのかけ違いのような不運が重なった結果だった。いったい彼らの歯車はどこから狂いはじめたのだろう。根本を辿って、一つ一つ丁寧に修正していったら、また違う未来に辿り着くこともあるのだろうか。ふとそんなことを考えて虚しくなる。気がつくと、涙が頬を伝い落ちていた。

「本当は、あんたたちみたいなのが来てくれるのをずっと待ってたんだ」
聞き取れるか聞き取れないかの声で、大家はそう言った。
「ずっと苦しかった。誰にも打ち明けられず、こんな思いを一生抱えて生きていくんだと思ったら絶望しかなかった。ああ、長かった。長かったよ……」

 警察が到着する前に、星来たちは大家の家を後にした。アンナとレイトの遺体を見つけて表に出してやること。それが果たされた今、自分たちにできることはもうなにもなかった。

 乗り込んだ車の中で、はじめは運転しながら「俺、役立たずだったな」と呟いた。四人同時に「そんなことない!」と声を重ねる。自分たちだけじゃ絶対説得力に欠けていたし、大家だってあんなふうに簡単に心を開くことはなかっただろう。大人のはじめがいてくれただけで、安心してあの場に立つことができたし、大家とも真っ向から向き合うことができたのだ。

 車の外はすっかり夜になっていた。時計を見ると、間もなく十九時に差し掛かろうとしている。
「腹へったな」
佐野の言葉を合図に、急激に空腹感が襲ってくる。
「じゃあ、俺の奢りでファミレスでも入るか」
はじめが言うと、みんなが歓喜の声を上げた。

 土曜日の夕食時の混み具合は常軌を逸している。名前を書いてファミレスの待合いスペースで十五分ほど待たされたあとで、ようやくテーブル席に座ることができた。丈太郎と佐野は、はじめの「遠慮するんだぞ!」の念押しなどお構いなしにドリンクバーを注文し、さっさとセルフコーナーに行ってしまった。はじめが「ちょっとトイレ」と言って席を外すと、期せずして片桐と二人きりになった。

 星来は改めて、考えもなしに交霊を頼んでしまったことを謝った。殺害される側の体験をしてしまったことで片桐くんがトラウマを抱えたら、私は後悔してもしきれない。そう言うと、片桐は優しく微笑んで言った。
「山本さんが心配することはなにもないよ。レイトの見せた映像は画質の荒い映画を見ているような感じだったから怖さはだいぶ抑えられてたし。まあ……。実害と言ったら、しばらく悪夢にうなされる程度かな。それに……」
言葉を切って、片桐はまっすぐに星来に視線を送ってきた。
「靴の中に石ころが入ってしまうのは避けようがないしね」
それを聞いた途端、星来はなぜか急に感情がぐちゃぐちゃになって涙が溢れ出した。

 靴の中の石ころ。星来が片桐の苦悩を軽くできたらと思って、昨日のバスの中で思い切って切り出した話だ。ずっと張り詰めていた糸のようなものが緩んでいくように、心が徐々に開放されてゆくのが分かる。

「ありがとう片桐くん……」
涙に埋もれそうになりながら、星来はやっとのことでそう言った。片桐は丈太郎や佐野が戻ってきたときの反応を恐れてか、やや挙動不審になっていた。その姿が可笑しくて、星来は思わず吹き出してしまう。もはや自分が泣いているのか笑っているのかさえ分からなかった。

 本当に、長い一日だった。だがここでみんなで夕食を食べ終えたら、それを境に時間は急速に動き出すだろう。おそらくここから先、スピードが緩むことはない。自分たちはあっという間に未来へと押し出され、どこかの地点で今日という日の出来事を懐かしく思い出すのだ。そこにはどんな感情が絡んでいるのか。想像すると感傷的な気分になる。だが、どんな場所にいても、丈太郎や片桐、佐野との繋がりを忘れずに持っていたい。どんなに慌ただしくても、ふとした瞬間に、なにものにも侵されない温かい記憶として思い出せるような───。



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