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「ラーゲリから愛をこめて」を見て。

公式サイトより・・
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運命に翻弄されながら再会を願い続けた2人の
11年に及ぶ愛の実話―

「生きる希望を捨ててはいけません。帰国(ダモイ)の日は必ずやって来ます。」
零下40度を超える厳冬のシベリアで、死と隣り合わせの日々を過ごしながらも、家族を想い、仲間を想い、希望を胸に懸命に生きる男が実在した――

第二次世界大戦終了後、約60万人の日本人がシベリアの強制収容所(ラーゲリ)に不当に抑留された。あまりにも残酷な日々に誰もが絶望する状況下において、ただ一人、生きることへの希望を捨てなかった人物…、それが山本幡男<やまもと はたお>である。ラーゲリでの劣悪な環境により栄養失調で死に逝く者や自ら命を絶つ者、さらには日本人抑留者同士の争いも絶えない中、山本は生きることへの希望を強く唱え続け、仲間たちを励まし続けた。自身もラーゲリに身を置き、わずかな食糧で過酷な労働を強いられていたが、仲間想いの行動とその力強い信念で多くの抑留者たちの心に希望の火を灯した。
そんなラーゲリで一筋の希望の光であった山本幡男の壮絶な半生を、その高い演技力と豊かな表現力で俳優・アーティストとして、多くの人々に希望を与え続けてきた二宮和也が演じ、映画化されることが決定。
そして、時代に翻弄されながらも愛する夫を信じて待ち続ける山本幡男の妻・山本モジミを、様々な役を演じ分ける実力派俳優として男女問わずに高い人気を得ている、北川景子が演じる。
更に、山本と共に極限のラーゲリを生き抜く抑留者仲間として、豪華キャストが集結。戦禍で友人を亡くしたトラウマから自身を「卑怯者」と思い悩む松田研三を松坂桃李、最年少でムードメーカーの新谷健雄を中島健人、昔ながらの帝国軍人として山本に厳しくあたる相沢光男を桐谷健太、過酷な状況下で心を閉ざしてしまう山本の同郷の先輩・原幸彦を安田顕が熱演する。また、山本幡男の長男・顕一の壮年期を、テレビドラマ「収容所から来た遺書」で山本幡男を演じた寺尾聰が担う。日本映画界を牽引する演技派俳優陣の共演により、観る者の心を掴んで離さない珠玉の人間賛歌がスクリーンに描き出される。
撮影は2021年10月下旬から12月下旬に行われ、2022年12月9日(金)に公開となる。生活様式や価値観が大きく変わり混沌とする現代にこそ贈りたい、鬱屈したこの時代に光を灯す、心震わす〈愛の実話〉が誕生する。
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ここから、簡単な私の感想です。

この作品は、シベリアに抑留された主人公が、いわれのない罪科で刑期を延長されつつ、しかし、帰国という希望を胸に、ともすると希望を失いかける日本の仲間たちに希望を与え続ける。

しかし帰国目前に、本人は癌が発見され重症化して、シベリアの地で命を終えることを知り、友人に促されて4ページの遺言を書く。

抑留地のシベリアでは、全ての文書は没収されてしまう。
それで、4人の仲間が遺言を暗記し、帰国後、それぞれが主人公の家を訪ね、その遺言を伝える。
・・という、とてもよくできた映画であり、これを見た多くの人が涙を禁じ得ないという作品だった。

ただ、ラーゲリという表題が付いていたので、私はラーゲリでの生活、悲惨この上ない実情が、もっと多く描かれているのだと思っていたけれど、そのシベリアでの悲惨な収容所生活はあまり描かれていなくて、少し残念だった。

私の母の兄(伯父)は、占守島からソ連に連れていかれ、腰までつかる極寒のシベリアの抑留生活を4年間体験して帰国して、その悲惨な実情を「北斗の果てに」という本に残している。

それと比較すると、この映画の、ラーゲリ生活は、とても表層的な作りだと感じた。まあ、終戦後の捕虜生活は、国際法違反だとソ連も分かつていたので、ずいぶん経った後半は少々緩い抑留生活だったのかもしれないけれど・・。

もちろん、この映画は、人間の希望と愛を死しても伝えようとした主人公の映画だから、そういう意味では、主題は、主人公の愛と手紙のほうだから、やむを得ないし、映画は成功していて感動を与えることができたのだろうけれど・・。

もう一つ、TBSが作っているという意味で穿って考えれば、TBSの裏の意図がちらちら垣間見えた気がしたのだ。

つまり、この映画は、ソ連の非情さよりも、日本の軍隊の、日本軍人のヒエラルキーというか、上官の傲慢さや、仲間の卑屈さをメインで描いている。

終戦後も、名前で呼ばずに「一等兵」と呼んで命令する上官とか、あるいは、自分の安全のために、仲間を告げ口して貶めていく人間とか、自分の保身のために見て見ぬふりをする人間とか、ラーゲリ内での日本軍人の醜い人間模様をたくさん描いている。

私は、もちろん、極限状態にある人間は、仲間も売るし、嘘もつくのだろうと思う。
ただ、戦争を知らない、私の言うことではないけれど、私が伯父の戦争体験記を読む限り、あるいは、色々の資料で、日本軍人の行動記録を読む限り、日本軍人は、世界の軍隊の中でも、規律と真面目さでは群を抜いてきちんとしていたらしいと思っている。

だから、この映画は、感動物語に出来上がっていて、それはそれで素晴らしいけれど、なぜにわざわざ、日本軍人の恥部をこれでもかと描くのかと、疑問がわいてきたのだ。

この主人公は、いつも英語の歌を歌う。その歌が美しいからだと。
原作を読んでいないので何とも言えないけれど、ソ連で、わざわざ、みんなで英語の歌を合唱するというのは、どういうことなのだろうと思った。
日本の歌では無いのだ。

確かに、第二次大戦では、ルーズベルトとスターリンが、仲良く並んでヤルタ会談に同席するなど、(ルーズベルトの側近には、ソ連のスパイがたくさんいたし)アメリカとソ連は、今のような敵対関係にはなかったのかもしれないけれど、終戦後には敵対関係になっていただろうし、アメリカの歌がラーゲリでのメインの歌として流れて大丈夫なのかと、なにか違和感を感じた。(原作が英語の歌なら、仕方ないけれど)

つまり、今の時に、戦争反対の気運と、日本軍は悪のイメージを、植え付けたいTBSの主張が底辺にあるようで、折角の映画に少しばかり肩透かしを食らい、残念に思う気持ちが残った。

(TBSに深い恨みがあるわけではありません、悪しからず)



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