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#本多勝一
朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。⑨(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。
きのうの敵に温情
写真特集その二
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十二月二十二日の新聞掲載ゆえ、二十日ごろの河村特派員の撮 影である (占領八日目)。
タイトルは「きのふの敵に温情《南京城内 の親善風景〉」である。
寫眞説明 ①治療を受けてゐる支那負傷兵
第十三師団参謀長中津三夫大佐の東京裁判で の陳述によると、「南京は十一月下旬より遠 く東南前線の戦死傷者の収容所とな
朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。⑤(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。
暴かれた本田ルポの正体
しかし、中国側の言い分だけを煽情的に誇大に 記録しただけの「中国の旅」も、化けの皮がはが される時がきた。
例えば本多ルポは、
「撫順炭鉱には約三十の万人抗ができたとい うから、ひとつ一万人としても三十万人になる。 四十年間も日本に占領されていた炭鉱であれ ば、この数字は決して“白髪三千丈”の次元のものでないことが、大石橋の例からも理解でき よう」
と述べ、撫順
朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。④(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。
『中国の旅』の影響とその背景
日本国民の多くは、日本は戦争に負けたことでもあり、東條元首相以下七名が戦争の責任を「問われて処刑され、その中に松井大将もいわゆる南京大虐殺」の責任でくわえられた、やむを得ないことかもしれない―――程度の認識であった。
それから約二十余年、人びとの南京事件に関す る記憶もほとんど薄らぎ、忘れられつつあった時、 突如として衝撃的なレポートが朝日新聞に連載さ れた。