見出し画像

言葉を身につけること

アルゼンチンは緩いロックダウンが続いていて、ついに今年度は登校しないまま終わることになりました。授業は1年の復習やまとめに差し掛かっています。

週に1度、小2の三女の学年は国語「practica del lenguaje(言葉の練習)」で、絵を見て想像で話を作る自由な課題が出るようになりました。

やりたい子だけでいいので、まだスペイン語で話を書けない三女は最初から諦めていたんですが、「あなたは日本語で作っていいよ。わたしたちはまだ日本語読めないけど、勉強して読めるようになったらいいなあ。もし誰かがスペイン語に訳してくれたらもっとたくさんの人に読んでもらえるからもっといいな〜」と先生が話していました。

すごい言葉じゃないですか?

国語って文法、語彙、発想、構造、手順、文字化などものすごくたくさんの要素を使いながらそれらを鍛える勉強です。
だから、基本の言語を身につけることは、翻訳機があれば済むことではなくて、思考すること、それを人に伝えること、ひいては自分があるということ自体を証明する道具を手に入れることです。

言語が安定している環境に長くいられたらなんとなく手に入れられるものだけど、外国人の子どもにとっては、崖っぷちの戦いです。


この課題を母語でやらせてくれる、その上、まだ日本語を知らないから読めないけど、という言い回しを添えてくれる先生、かっこいい。

普段はもちろんスペイン語の読解やら説明文を書くやらでひーひーしていて、日本の勉強もついつい漢字や読解に偏りがちですが、わたし自身書きながら考えをまとめるタイプなので、その大切さを思い出させてくれました。

そして「誰かが訳してくれたら」は私に伝えられてるんだなあ、と後から気づきました。

好きなことを書いて好きな写真をあげているだけですが、サポートしてくれたら張り切っちゃいます。