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「素敵な姉さま」(ちいさなお話)

 私には素敵な姉が居ます。姉は黒と赤のドレスを持っていました。たくさんのリボンが波のように幾重にも縫い付けられた赤いドレスは、永遠の恋人との結婚式で着ていらっしゃいました。ドレスよりも光沢のある赤いハイヒールには、甲の部分に一粒の真珠の飾りが付けられており、姉がドレスの裾を摘まみ上げる度に、きらりと光を返していました。それはまるで花を摘むように可憐な様子で、式に出席していた方々は、溜息のように姉の名前を零していたものです。姉の名前は花の名前でした。赤く、可愛いその名前が人の口から零れる度に、私はどこか心地の悪いような気がしたものですが、母などは反対に大層に機嫌良く、まるで大輪の花を褒められているかのような顔をしていたのでした。姉は晴れの日のように明るく笑い、その唇に塗られた紅には、金が混ぜられているかのように不思議な奥行きを持っておりました。その輝きは、姉の口元で咲き乱れているようでした。本当に式の時の姉は美しく、花が盛りに香をつよく放つように、生きる力に満ち満ちて、光を内側より放つかのようなひとであったのです。それが変容したのは、結婚をして数か月が経った頃でした。姉は永遠の恋人が夫になったことを嘆いているようでした。「恋は永遠になってしまった。永遠はもう私を去ってしまった」そう言って泣き暮らす姉に、義兄は心底同情したようでした。情けが深いというのでしょうか。いいえ、私にはただまるで彼が姉の一部と成ってしまったように感じました。夫婦とは全く違う欠片同士で球を作るようなものでしょうか。それは長い長い時間を過ごし、時には自身の身を削って相手を思いやり、思いやってくれた分を相手が補っていくようにして、いつしか一つの球に。私はそう思っておりましたが、どうやらそう上手く球に成れる夫婦は、それほど多くはないようです。姉と義兄も、そうはなれない二人だったのでした。義兄は嘆く姉の為に、その身を投げて姉に永遠を返上したのでした。姉は静かな黒いドレスを着て、永遠を出迎えたのでした。踵の低いその黒い靴は、けれどよく磨かれていて、飾りの一つもないはずなのに、ほっそりとした姉の足の先で期待を感じているように光を返していたのでした。それを見た参列の方々は、それぞれに手で隠した口をもごもごと動かし、どうやら姉の名前を落としていたのでした。その時の姉の名前は、まるで花の首が落ちるような重たさを持っていたようでした。雲の多い日でありました。湿った土の匂いが辺りに漂い、そこに新鮮な花首が幾つも落とされている。それはどこか義兄への皆様方の思いやりのように思われたのでした。短い姉の結婚生活は終わりましたが、姉はけして家には帰っては来ませんでした。「お姉さん、たまには家にいらして下さい」と私が言いますと、未亡人になった姉は天人のような笑顔で言うのでした。「私はあの人の全てを頂いたのだから、私の全てはあの人に返っていくことを祈らなくてはならないの」姉は真っ白のドレスを作り、毎日それを着るようになりました。あんなに素敵だった真っ赤なドレスも、あんなに姉を自由にした真っ黒のドレスも、二度と袖を通すことはありませんでした。姉はただ白いドレスを身に着け、裸足で静かに家の中を動き、全ての気配を肌で受け止めているようでした。私のたったひとりの花のような姉。彼女の家は、いつまでも永遠の中に取り残され、一対の瞳を透明の涙で満たしているのでした。花は花であるだけでいいのだとして、花は果たしてどの場面に幸せを満たすのでしょうか。一枚一枚と花弁を散らす。その時こそを夢にみているのだとしたら。

 そんなことを、私は姉の居なくなった家の窓で考えているのでした。冬の夕暮れの、姉の名前の花を思い浮かべる時刻の、戯れのことでした。

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