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自分の価値は他人が決める

自分の価値は自分で決めたい欲が強いし、
フリーで生きていく以上、自分の価値は自分で決めて
流されず、軸をもたないといずれ社会の波に流されていくと日々感じているのですが、

タイトル通り、価値は人が決めると思っております。

これは基準がないからです。


いわゆる「普通って何?」と同じです。


比べる対象がないと平均もなにも、個々が全てであって
「普通」が生まれないのです。

モノの価値が〜相場が〜と最近ちょこちょこ書いてますが
価値観それぞれで、特にデザインや芸術など
パッと見で価値の分かりづらいものはお金に換算する場合
人によっては安いといい、またある人は高いという。
なので大体の基準があって、それに準じて決めないと
第三者もわからない。

費やした時間を割って算出していけばいいらしいですが。

自分の価値もそうで、
商品として売り込む場合、自分はこうだ、こういうことが出来る。
他の人よりここが優れている、とPRしたとして、
第三者は受け取った情報を判断基準として
他の人間と比べて判断されます。

技術や経験、清潔さや話し方。
どこを重視されるか。相性も、もしかしたら無意識的に加味しつつ
総合的に使えるかどうか。

カメラマンは需要が色々なので、
商品のブツ撮りなら極端に言えばクライアント様のイメージに沿った納品物を
作れればあとはなんでもOK。クライアント様との打ち合わせと撮影技術。あとは納品の確実性などでしょうか。ただしライティングなどは自分で作り込める分、経験と知識が高くないと成立しません。

七五三撮影やモデル撮影となると、ポージングや笑顔の引き出し方など
シャッターを押す以外の部分が出てきます。
清潔感も必要かもしれません。

スクープを狙う雑誌社のカメラマン。笑顔を引き出すとか陰影の作り方は要りません。
その代わり現場を瞬時に把握し、確実に撮影出来る技術が必要です。

例によってザックリです。細かくしたら大変でした笑

カメラマンという大枠の中で細分化して、
自分がどこに当てはまるかは
もちろん自己分析、培ってきた経験、
様々な要素を吟味して自分の価値はこのくらい、と決めますが、
結局使えるか使えないかは結果としてどうだったか、
相手が決めます。

天職か適職か、自分がやりたい分野をアピールする相手が違ければ
お互いに残念なことになってしまう。

自分の突き進みたいものに対する自分の価値を誰かに委ねてしまうと
自分が求めている撮影なのか
自分に合っている撮影なのか定まらずふわふわしてしまうけど

ビジネスとして行うのなら、自分に合っている撮影はここなんだな、
というのが相手を通すことで判断材料になるかと思います。

そして自分がやりたい、求めたい撮影に対しては
自分の価値観は自分で持っていて、いい。
他人に踏み込ませない。


一言で言うと我を貫くところとそうでないところを自身で把握しよう、てことだーッ。
まとめると一行で済むのか。。。。

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