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ふれあいクラブ囲碁編

小学生のとき、ふれあいクラブという部活動があった。昔遊びの一環で囲碁、将棋、ゲートボールの3種類の内から1つを選んで1年間を通して遊んだり学んだりするというもの。将棋、ゲートボールを選ぶ同級生が多い中、私は『ヒカルの碁』に触発されて囲碁を選んだ。

ところがこれが選択の間違い(と言うと囲碁をやっている人に対して失礼ですが)だった。体を動かすわけでもない。戦況が目まぐるしく変わるわけでもない。その地味な活動に子どもだった私は簡単に飽きてしまったのだ。

私と下級生の女の子2人の計3人で、なんと校長先生が顧問を務めてくれた。他に担う先生がいなかったのか、単に校長先生が大の囲碁好きだったからかはわからないが、3人は校長先生の車に乗って老人会の囲碁活動が開かれる公民館へ。

小学生が囲碁をやるなんて珍しいと、私達はおじいちゃんおばあちゃんにちやほやされた。一手差すごとに「お、うまいなぁ!」とか「なかなか筋がいい」と褒めてくれて、それはそれは楽しく活動していた記憶がある。

ところがさっきも書いたように飽きはすぐにやって来た。正座はしんどい。勝ってるのか負けてるのかわからない。ゲートボールみたいに体を動かしたい。そういった思いから「ゲートボールに変更したい」とゲートボールの顧問である先生にお願いすると「君がいなくなっちゃうと後輩の女の子2人だけになっちゃうし、一度決めたんだから最後までやろう」と諭されて1年間ずっと囲碁を差すことに。

週に1回とはいえ、さすがに毎週のように差していたら強くなるとは思うが、本当にやる気のなかった自分はなんとなく、やがて適当に差すようになった。おじいちゃんおばあちゃんは孫のようにかわいがってくれて、面倒そうにしていて私にも笑顔で接してくれたけど、私の気持ちに気付いていなかったのか、それとも、気付いていたからこそ優しくしてくれたのか。

もう顔は覚えていない。覚えていないけど、姪っ子のおままごとに付き合うようになってからは、もっと楽しく向き合えば良かったなと心が苦しくなる。マグネット式の囲碁を押し入れの中から見つける。1人でなんとなく差してみると、パチン、パチンという軽い音だけが部屋の中に響いて、あの日の記憶を思い出してしまった。

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改めまして、秋助です。主にnoteでは小説、脚本、ツイノベ、短歌、エッセイを記事にしています。同人音声やフリーゲームのシナリオ、オリジナル小説や脚本の執筆依頼はこちらでお願いします→https://profile.coconala.com/users/1646652