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アイ



それぞれに愛の形が存在するのは既知の事だろう。だがその在り方に関しては何回新しいものに出会ってもそれは違うのではないだろうかと否定されてしまうことが多々ある。考えや行動によって示されるそれは他人が否定していいものではないが自分の考え方や指針から少しでも外れてしまうとそれは愛ではないと自分から切除しようとしてしまう。私の場合そういった場面を見る機会が人よりも多いと思う。細かにいえば私の場合は人には人の考え方があってそれ自体には納得はできなくとも理解するようにしている。例えば私にとって最大のラブソングは他人にとって気色の悪い理解し難い歌のようで否定されがちだ。もっといえば今までの人生でそれを理解してくれる人物には未だかつて出会ったことがない。きっとこれに関しては今後も他人に理解してもらえないのだろう。だがそれもいいのではないか思う。その歌が彼らにとっての愛ではないのなら彼らにとっての愛の在り方は定まっているということになる。否定的な意見を持つのは自身にとって正解が存在する証拠だ。ただ受け入れるのではなく否定し拒絶するのは正しいとはいえない。人によって違うものはどうやったって正解を導き出すことはできないのだから。理解されずとも自身の中に抱けているのであればそれでいいのだ。

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