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作曲家・名曲よもやま話

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作曲家や名曲にまつわる知られざるエピソードをご紹介します。お馴染みのあの曲も、まったく違った意味をもって聴こえてくるかもしれません。
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記事一覧

ラヴェルの弟子、アンリエット・フォール

ラヴェルの弟子、アンリエット・フォール

Roger Nichols氏による、作曲家の回想録(Remembered)シリーズは、近しかった人たちの重要証言が網羅されていて、たいへんに興味深いものです。

わたしも一通り揃えて時々参照するのですが、ラヴェル編に収められた次の証言にはびっくりしました。

アンリエット・フォールは1922年(17歳)にラヴェルに師事し、翌年シャンゼリゼ劇場で世界初のオール・ラヴェル・リサイタルを開いた女性ピアニ

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ワーグナーを嘲笑するゴリウォーグ

ワーグナーを嘲笑するゴリウォーグ

 クロード・ドビュッシー(1862-1918)の《子どもの領分》(1908年)。愛娘シュシュのために書いたこのチャーミングな組曲のフィナーレを飾るのが、〈ゴリウォーグのケークウォーク〉です。一風変わったタイトルで印象に残りますね。ケークウォークは、「ウン・パ、ウン・パ」という2拍子のリズムが特徴的な黒人のダンス。万博でジャワ島のガムラン音楽に魅せられて、その音階で曲(〈塔〉)を書いてみてしまったミ

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ショパン16歳 ひと夏の恋

ショパン16歳 ひと夏の恋

 ショパンの孫弟子のひとりに、ラウル・コチャルスキ(1885-1948、ポーランド)がいます。彼は、少年時代、ショパンの弟子で楽譜校訂者(ミクリ版)としても知られるカロル・ミクリ(1821-1897)のもとで、1892年から4年間教えを受けました。ミクリは7年間ショパンと密に交流し、直接のレッスンのみならず他の弟子へのレッスンも聴講を許されていた愛弟子。コチャルスキは、現在録音が残っているピアニス

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クララ・シューマンの弟子たち

クララ・シューマンの弟子たち

音楽之友社から、ブラームス演奏にかんする論文集「ブラームスを演奏する」の邦訳が出た。

​自分は曽我大介先生に勧められ、ベーレンライター社の原書で読んでいたが、初めて読んだ時は衝撃を受けたものだ。クララ・シューマン門下のピアニストたちにブラームスがレッスンをし、その人たちの録音が残っているとは!作曲家に直接指導を受けた人たちの録音を聴くと、その作曲家特有の音楽観や美意識が朧げに見えてくるのである。

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亭主関白になれなかったシューマン

亭主関白になれなかったシューマン

 ピアニストとしてすでに名声を得ていたクララと、新進の音楽評論家として雑誌《音楽新報》を創刊したローベルトは、いわゆる「格差婚」カップルだった。恋人時代から、手紙でこんなやりとりをしている。

わたしも将来のことをよく考えてみました。(…)あなたとごいっしょに生活できたら幸せなのです。でも心配をせずに生活したいのです。(…)ローベルト、あなたが心配ない生活を維持できる状態にあるかどうか考えてみてほ

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モーツァルトとスヴィーテン男爵

モーツァルトとスヴィーテン男爵

 ある人物との出会いが、作曲家の音楽の作風に決定的な影響を及ぼしてしまうことがあります。モーツァルト(1756-1791)にとってのゴットフリート・ファン・スヴィーテン男爵(1733-1803)も、そんな存在です。

映画「アマデウス」でも、ヨーゼフ2世の宮廷での取り巻きの一人として描かれていましたね!

 スヴィーテン男爵は当時ハプスブルク家の宮廷図書館長をしていた人物ですが、たいへんな音楽通で

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シューマンとショパン

シューマンとショパン

「諸君、帽子をとりたまえ、天才だ」といってオイゼビウスが楽譜を一つ見せた。表題は見えなかったけれども、僕はなにげなくばらばらとめくってみた。この音のない音楽の、ひそかな楽しみというものには、何かこう、魔法のような魅力がある。それに僕は、どんな作曲家もそれぞれみるからに独特な譜面の形をもっていると思う。ちょうどジャン・パウルの散文がゲーテのそれと違うように、ベートーヴェンは譜面からしてモーツァルトと

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リストとシューベルト

リストとシューベルト

おお、優しさにあふれ、たゆまず成長する天才よ!
おお、わたしの愛する青春の英雄よ!

リストのシューベルトへの想いは、熱い。ショパン伝を出版するなど文筆活動もしていたリストは、一時期シューベルトの評伝を書こうと計画し、その友人作曲家アンゼルム・ヒュッテンブレンナーからシューベルトの思い出を聞き出しているほどだ。

熱に浮かされたように歌曲の作曲に没頭し、無名のまま31歳で死んでしまったシューベ

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名曲よもやま話(3)バッハは教育パパ

名曲よもやま話(3)バッハは教育パパ

 子どもたちの発表会の定番曲で、「バッハのメヌエット」として知られてきたト長調のメヌエット。実はクリスティアン・ペツォールト(1677-1733)の作曲したものであることが近年判明し、発表会のプログラムでペツォールトのメヌエットと記されることも増えてきました。

 このメヌエットが収められている「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」は、1725年頃にまとめられた私的な小曲集で、おそらくバッハ家の

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名曲よもやま話(2)リストが見たショパン

名曲よもやま話(2)リストが見たショパン

リストは、ショパンが亡くなってから、いちはやく彼の伝記をしたためて出版した。2年後の1851年のことだ。
ショパン伝はこんな風に始まる。あたかもリスト自身の豪華絢爛なピアノのように。

ショパン!霊妙にして調和に満ちた天才!優れた人々を追憶するだけで我々の心は深く感動する。彼を知っていたことは、何という幸福であろう!

ショパンはピアノ音楽の世界に閉じこもって一歩も出なかった。
一見不毛のピアノ音

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名曲よもやま話(1)ショパンの初恋

名曲よもやま話(1)ショパンの初恋

ノクターン 遺作/A.ワイセンベルク(ピアノ)

 ショパンが1830年(20歳)に書いた名曲ノクターン 嬰ハ短調(遺作)には、同時期に作曲したピアノ協奏曲第2番 へ短調 Op.21の各楽章の旋律の断片がパッチワークのように組み込まれています。その二番煎じ的な構成が、違和感なく新たな世界観を獲得しているのは、ショパンの天才たる所以でしょう。「第2協奏曲の練習用として姉に贈られた」という説が有力です

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