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亭主関白になれなかったシューマン

 ピアニストとしてすでに名声を得ていたクララと、新進の音楽評論家として雑誌《音楽新報》を創刊したローベルトは、いわゆる「格差婚」カップルだった。恋人時代から、手紙でこんなやりとりをしている。

わたしも将来のことをよく考えてみました。(…)あなたとごいっしょに生活できたら幸せなのです。でも心配をせずに生活したいのです。(…)ローベルト、あなたが心配ない生活を維持できる状態にあるかどうか考えてみてほしいのです。(1837年11月24日 クララ)
きみのお父様の霊がきみの背後にいて、きみに口述したのだろう。(…)雲の上から救いの手が伸びてこなければ、ぼくの収入をきみのために短期間でどれだけ増やすことができるかぼくにはわからない。(…)でもぼくは2年ぐらいしたら、良心にやましいところなく、1人か2人ぐらいらくに養っていくことができると思う。(1837年11月28日 ローベルト)
オルタイル編『シューマン 愛の手紙』より

 そして、ヴィークと法廷闘争を始めるにあたっては、こんな念押しをしている。

結婚したら、最初の一年は自分が芸術家であることを忘れ、もっぱら君自身と家と夫のためにのみ生きてほしい。…なんといっても妻という存在は女性芸術家よりもさらに地位が高いのだから。(1839年6月13日 ローベルト)

 1840年7月7日、ヴィークが裁判から退却し、2人は法的に結婚を勝ち得る。その4日後に書き始めた《Frauenliebe und Leben 女の愛と生涯》Op.42は、まさにこの手紙と重なり合うような、ローベルトの《関白宣言》みたいな曲だ。シャミッソーの詩は、終始女性目線で、憧れの男性を慎ましく仰ぎ見るように描く。その描き方があまりに前時代的なので、この曲は歌いたくないという女性歌手もいるほどだ。いよいよ結婚が現実のものとなり、ローベルトは、クララに求める「理想の妻」像や、2人の将来への願望を、シャミッソーの詩に重ね合わせたのかもしれない。

《女の愛と生涯》歌詞対訳(「梅丘歌曲会館」より)

 しかし、現実はそううまくいかず、格差婚のコンプレックスはローベルトを悩ませ続けた。当初、ローベルトの出版と作曲にかかわる年収は、クララの演奏会のギャラ2〜3回分であった。そして、クララは演奏活動で家計を救いながら、7人の子どもを育て上げるが、A.エードラーは、このようなクララの「妻の鑑とも言えるはたらきが、シューマンの劣等感を強め、鬱病を呼び起こした」と指摘する。あるとき、カフェ・バウムでの仲間内の集まりで、誰かが「シューマンの作品が聴衆に受け入れられたのはクララのおかげだ」と言うと、ローベルトは立腹して店を出てしまう。デュッセルドルフの指揮者に就任してからも、最初の演奏会の終演後の祝宴で、前任者のヒラーが自分に言及せずクララに対してだけ祝いの言葉を述べると、怒って出て行ってしまう。

 そして、合唱団との不和からデュッセルドルフの音楽監督をクビになると、いよいよ彼の精神がプッツンしてしまい、ライン川投身事件を起こす。そのまま自ら希望して精神病院に収容されたローベルトは、エンデニッヒで寂しい最期を遂げる。病院の方針により、2人は死の間際まで会わせてもらえなかった。こうして、《女の愛と生涯》最終曲で夫に先立たれる〈Nun hast du mir den ersten Schmerz getan 今あなたは初めての痛みを与えた〉は、図らずも現実となってしまうのである。

 なお、この最終曲のピアノの後奏こそ、曲集の白眉だと思っている。ピアノで淡々と第1曲〈Seit ich ihn gesehen あなたと出会って以来〉が回想され、出会った頃の追憶をその詩とともに喚起するのだが、旋律はそのままではなく、不意に変奏・短縮され休符がおとずれる。ここは、〈Wo ich hin nur blicke,Seh ich ihn allein? どこを見ても、あのひとの姿が目に浮かぶ〉と歌われるところで、Seh〜はフライングして入り、まさにihn(あの人、彼)で中断。虚ろな静寂。あの人はもうこの世にいないのである。そこはかとない喪失感。それは、ローベルトを喪ったクララの痛みを予見するかのようだ。

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 シューマン家の四女オイゲーニエが、のちにこんなことを語っている。

母にこんな質問をされたことがある。ー…失ったものを補い、精神的にも支えてくれるブラームスやヨアヒムなしで、生きてゆけるわけがない。音楽を通して苦しみを和らげてやろうという、愛に満ちた二人の努力がなければ、恐ろしいほどの悲しみに耐えることはできなかった。私(オイゲーニエ)にそれが理解できるのかー。
天崎浩二編『ブラームス回想録集 3』より

参考

550ページにわたる労作。シューマンは、評論集やクララとの手紙以外にも、日記帳や仕事上の手紙など、かなりの一次文献が残されていて、それらをフルに活用して、シューマンの人生や作品の深奥に迫ろうとしている。著者はハノーファー音大で教鞭をとっていた音楽学者。たとえば、シューマンが発掘し初演への道を拓いたシューベルトの「グレイト」交響曲と、シューマンの交響曲第1番の類似性の詳細な分析など、面白いトピックが目白押し。



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