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名曲よもやま話(1)ショパンの初恋

ノクターン 遺作/A.ワイセンベルク(ピアノ)

 ショパンが1830年(20歳)に書いた名曲ノクターン 嬰ハ短調(遺作)には、同時期に作曲したピアノ協奏曲第2番 へ短調 Op.21の各楽章の旋律の断片がパッチワークのように組み込まれています。その二番煎じ的な構成が、違和感なく新たな世界観を獲得しているのは、ショパンの天才たる所以でしょう。「第2協奏曲の練習用として姉に贈られた」という説が有力ですが、私は異なる推測を持っています。

ピアノ協奏曲第2番/J.オレイニチャク(ピアノ)

 ポーランド期待の新進ピアニスト、ショパンは、異国での活躍を期して、親友ティトゥスとともに、1830年11月ウィーンに演奏旅行に旅立ちました。ところが、ほどなくしてワルシャワで独立戦争が勃発しティトゥスは帰国、ショパンは一人ウィーンに取り残されます。そんな中、彼がウィーンから故郷の姉ルドヴィカに送った私的な作品のひとつに、このノクターンがありました。

 ショパンは当時ワルシャワに好きな女性がいました。親友ティトゥスには、その恋の悩みを明かしています。

ぼくにはすでに理想の女性があるのだ。まだ一言も話したことがないのだが、6ヶ月ぼくは心のなかで忠実に仕えてきたのだ。彼女のことを夢み、彼女への想いでぼくの《コンチェルト》のアダージョ(注:ピアノ協奏曲第2番の第2楽章)を書いたのだ(1829年10月3日)

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この女性こそ、ショパン初恋の人コンスタンツィア・グワトコフスカ。音楽院の声楽科に在籍する有望なソプラノ歌手でした。このあと、2人は距離を縮め、歌手と伴奏者として共演もしていますが、交際には至らなかったようです。ショパンは彼女への変わらぬ想いを抱きつつ、「決して忘れないで。ポーランドにはあなたを愛している人がいることを」という彼女の手紙を胸に刻み、ワルシャワを後にしました。

 そんなショパンが異国で綴ったノクターン 嬰ハ短調。主要テーマは、彼がかつてコンスタンツィアへの一途な想いを託した協奏曲の第2楽章を彷彿とさせますが、憧れに満ちた変イ長調は、憂いを秘めた嬰ハ短調へと姿を変えてしまいました。

2楽章

第2協奏曲の第2楽章

ノクターン1

ノクターン(酷似する旋律が短調に)

曲中で回想されていく協奏曲の旋律の数々は、コンスタンツィアの思い出の象徴でしょう(彼女への想いが創作の原動力になった協奏曲ですから!)。

3楽章

第2協奏曲の第3楽章冒頭

1楽章

第2協奏曲の第1楽章第2主題

ノクターン2_1

いまの2つの旋律がノクターンのなかで走馬灯のように回想される

そして、中間部には、19歳のショパンが恋に落ちた頃に書いた歌曲「願い」の旋律まで登場します。「もしもわたしがお日様なら、あなただけのために輝きます。もしもわたしが小鳥なら、あなただけのためにさえずります」このヴィトフィツキの詩は、ショパンの初々しい恋心そのものでした。

願い

歌曲「願い」

ノクターン2_2

憧れに満ちた「願い」の旋律が憂いを帯びて回想される

このような旧作の継ぎ接ぎの意味するところに思いを馳せると、本作品は、ショパンの、ワルシャワに置いてきた淡い初恋への追憶と訣別の辞ではないでしょうか。初恋の思い出を詰め込んだ小品で未練に区切りをつけたショパンは、異国で一人、前へと歩み始めるのです。

このエピソードを、私の演奏で動画にしてみましたのでご覧いただければ幸いです。

参考

ショパンのプライベートな歌曲を軸に生涯を俯瞰する、とても興味深い良書です。出版前提でなく、ちょっとした集まりのなかで即興的に披露された、ポーランド語の詩によるプライベートな歌曲は、ショパンのそのときどきの心情を映し出しています。絶版なので、古書が手に入るうちにどうぞ!

初出 月刊音楽現代 2018年7月号 内藤晃「名曲の向こう側」

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