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夏のカレーフェア#SS

 マスターが壁にポスターを貼っている。 

夏のタンカレーフェア!!
タンカレーとご一緒にタンカレージンベースのカクテルを
ご注文されたお客様はご飲食代金を20%オフにさせていただきます!!

 「国産ジンも入れていきたいからさ。こうしたらはけやすいでしょ?」

 ロンドン発祥のタンカレージンはうちのバーで一番よく出ているスピリッツだ。クリアでドライな味わいは、どんな割り方をしても食事によく合う。

牛舌タンだったらシチューの方が合いそうですけど。カレーじゃないと……駄目なんですね」
「うん。カレーじゃないと意味がない」

 今年五十歳になるマスターは八年前に酒造会社を辞め、このバーを始めた。ほか、新米バーテンダーの俺だけの小さな店。でもってマスターは、大変なダジャレ好きである。

「アイスを愛す」
「卵が先か鶏天が先か」

 こういったフレーズを、俺は勤務中ずっと聞かされている。最初はお愛想で笑ってあげていたが、だんだん疲れてきて今ではしっかりスルー技術を覚えた。ダジャレが聞こえなくなったらそれは、マスターの命がこと切れている合図である。

 カクテルと一緒に出す軽食は、ビルの一階の洋食屋「肉らし食っ亭」で作ってもらっている。ちなみにこの店名はマスターが付けた。肉らし食っ亭にタンカレーを依頼し、さっそくフェアを開始すると連日好評で、飛ぶように売れた。

「マスターごめん、タンが足りないんだよ。明日から普通の切り落としでもいい? これだっていい肉なんだからさー」

 肉らし食っ亭のおやじがやってきた。

「マスター。別にタンにこだわらなくてもいいじゃないですか」
「ええー、やだやだ。タンじゃないと意味ないもん~」

 いい歳して、変なところで頑固で子供じみている。しかし食材がなければ仕方がない。ということで、タンカレーから普通のカレーに変更し、その分値段を下げた。

「タンカレーじゃないと……意味ないもん……」

 マスターはまだ、ぐずぐず言っている。タンカレーをタンカレーで食べる。これがものすごく高級でイケてるダジャレであると思っているらしい。そのうちタンカレージンまでが足りなくなってきた。

「そろそろフェアは終わりですかね」
「えー、新規のお客さんが増えたのにもったいない。もう少し続けようよ」

 国産ジンの翠や季の美に変えてフェアは続行された。もともと国産ものを売りたかったのでちょうどよいのだが、マスターのせっかくの傑作アイデアから遠く離れてしまったことになる。

「仕方がない。こうなったらカレーしばりでいこう」

 こうして彼の一存で、以下のお客様がフェア対象に変更された。

 

・ドリンクと一緒にカレ・・イの唐揚げをご注文のお客様

カレー・・・色の服や小物を身に着けてご来店のお客様

・カップルでご来店のお客様(カレ・・氏同伴)

枯れ・・おやじ

・ロダンの彫刻「カレー・・・の市民」の物真似をするお客様

・備え付けのカラオケで河合奈保子の「エスカレー・・・ション」を歌うお客様

・振り付けも完コピのお客様はなんと無料

 

「ウォウウォウウォウあなたと~、コミュニケーション~、エスカレー・・・ション~」

 マスターは八十年代アイドル、なかでも河合奈保子の大ファンであった。歌割引は彼と同年代のおっさん連中はもちろん、昨今の八十年代ブームで知った若者にも評判がよく、ほぼ使っていなかったカラオケ機器が常に稼働状態になってしまった。

 歌は後に「マスカレー・・・ド」や、エンケン(遠藤賢司)のその名もずばり「カレー・・・ライス」も追加された。

 騒々しい。ああ、静かに飲めるのがウリの店だったのに。それに客のほとんどは枯れおやじだから、ほぼ全ての客が割引になる。フェアが始まってから赤字続きだ。もはや無茶苦茶である。

 閉店後。掃除を終えると、マスターに声をかけられた。

「おつかれ~・・・
「おつかれ・・さま……です……」

 ハッとして俺はマスターを見た。彼の目は大いに満足そうにうるんでいる。



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