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終わりなき夫婦喧嘩 | 「道草」 夏目漱石

今回は、夏目漱石の『道草』をレビューします。『道草』は大正4年(1915年)、朝日新聞に掲載された新聞小説です。漱石自身の出自や親族関係などを題材に書かれた、漱石唯一の自伝的小説と言われています。
漱石の個人史と重ねると、『道草』は、漱石が『吾輩は猫である』を執筆した明治38年ごろを描いているようです。
この小説で、漱石は夫婦関係を真正面から描いています。それまでも、『門』や『こころ』でも夫婦は描かれていましたが、それらの小説では、むしろ、夫にフォーカスを当てたものでした。『道草』では、夫ではなく、夫婦という関係性そのものにスポットライトが当てられています。この夫婦が暮らす家の客間には、夫の養父母や姉、兄、妻の父などの親族が現れ、この夫婦関係を揺さぶります。

繰り返される夫婦喧嘩。終わりなき夫婦喧嘩。それを描くことで、漱石は妻へのメッセージを小説として残したのではないか?

夫婦って、どんな関係?

夫婦って、なんでしょうね?

コロナ離婚って、最近あまり耳にしないが、去年はたまに聞いた言葉。でも実際にコロナによって離婚が増えていたわけではないみたいですね。緊急事態宣言が発令されて、感染が広がりつづけていたなか、在宅勤務が増えて、夫婦一緒に過ごす時間が増えた。それによって、子どもの面倒や家事を夫ができる時間が増えた、会話する時間ができて、将来のことや家のことをじっくり話せるようになった、という、より良好な関係へ発展すると、そういう夫婦もあれば、一緒にいる時間が増えたことで、むしろ気づまりに感じる、苦痛に感じることが増えた、旦那さんが思ったほど家事や子育てをやってくれない、今まで気づかなかったことが目につくと気になる、というような、相手に対しての幻滅や不満を感じることも増えたという、そっちがコロナ離婚につながっていると。つまりコロナ離婚というのは、コロナによって、今まで、見えていなかったこと、隠されていたことが見えてしまったということなんでしょうね。だからコロナはきっかけなんでしょうけれど、原因ではないですよねえ。性格やライフスタイルの不一致なんかの原因が、もともとあったということですよね。

夫婦の将来というのもわからないですよね。年数とか関係ないですもんね。熟年離婚。熟年でなくても、子どもがいても離婚する夫婦もいらっしゃいますもんね。

なぜ、こういう話をしているのかというと、漱石の『道草』を読んでいると、なんで、この夫婦、離婚しないのかなとかんじさせられるからです。そもそも、夫婦って何なんだろうと考えさせられる小説です。

『道草』は、夏目漱石が、大正4年、1915年に朝日新聞に掲載していた小説です。

自伝的小説と言われていて、実際、この小説に出てくる健三とオスミという夫婦は、漱石と鏡子というふうに重ねて読むことができる。鏡子さんは、夏目漱石の奥さんですが、彼女も『漱石の思ひで』という本を残しています。それによると、『道草』には、実際、夫婦のことだけでなくて、漱石の身の回りに起きたことと一致することが多い。漱石夫婦が2ヶ月別居していた、養子先の父親がお金を借りにきた、奥さんのヒステリー、出産予定日が狂って急に産気づいて夫が赤ん坊を取り上げた、などの出来事が題材にされている。自伝的といわれているのは、そういうことなんですけど。自伝的といえば、先週レビューした『がらすどのうち』も、自伝的エピソードがずいぶん書かれています。こちらはエッセーですが、そのエッセーでは自分が書いた小説を読んで欲しいという女性、いきなり短冊を送ってくる人など、漱石曰く、「私にとっては思いがけない人で、私の思いがけないことを行ったししたりする」、そう言う人を書いているんですが、途中から、自身の過去の記憶へ、内容が移っていきます。昔住んでいた家であったり、漱石が育った早稲田近辺の風景や幼なじみのきいちゃんの話になる。この「がらすどのうち」で書かれている親族は、実の両親、長兄、長兄というのは一番上のお兄さんですね、だけです。逆に、かれらは、『道草』では、ほとんど書かれていません。実の両親と一番上のお兄さんは死者なんですね、すでに亡くなっている。自分の記憶の中にしかいない、だから、書いても、実際に迷惑をかけることはない。だから「がらすどのうち」には書いている。

私はいままでひとのことと私のことをごちゃごちゃに書いた。ひとのことをかくときには、なるべく相手の迷惑にならないようにとのケネンがあった。私の身の上を語る時分には、かえって比較的自由な空気の中に呼吸することができた。それでも私はまだ私に対してまったくいろけをとりのぞきうる程度に達していなかった。うそをついて世間をあざむくほどのげんきがないにしても、もっといやしいところ、もっとわるいところ、もっと面目を失するような自分の欠点を、つい発表しずにしまった。


こう、「がらすどのうち」の最後に漱石は書いています。もっといやしいところ、もっとわるいところ、もっと面目を失するような自分の欠点、それを書いたのが『道草』なんではないのか、では、漱石がもっといやしいところとかっていってるのは具体的に何か、夫婦喧嘩なんじゃないのか。

夫婦の絆って?

夫婦について、漱石は、『門』や『こころ』でも書いていたんですけど、夫と妻の関係にスポットをあてて書いているのは、この『道草』だけのはずです。ただ、この奥さんの姿は、『草枕』の那美さん、『三四郎』のミネコに、イメージが近い感じがします。主人公の不意を突く、驚かせる女性。『草枕』の那美さんは、主人公が風呂に入っているところに、はいってきたり、主人公が庭を眺めていると、振袖来て山の向こうに現れたりする。ゆめまぼろしのような情景が書かれています。『道草』にはそういう情景はありません。ありませんが、奥さんのおすみさんに夫の健三があたふたする場面はでてきます。おすみさんはヒステリーなんですが、その症状がでたときは健三はまったくどうしていいかわからない。また、いつ、その症状が出るのか、健三さんは不安だし怖い。ふだんの奥さんとは明らかに違う姿がいつ現れるのか、それを怖がっている。ただ、奥さんのヒステリーがあるからこそ、夫婦関係が保たれていると、そういう面があります。

発作は都合好く二人の関係が緊張した間際に起こった。健三は時々便所へ通う廊下にうつ伏せになって倒れている細君をだきおこして床の上まで連れてきた。真夜中に雨戸を一枚開けた縁側の端にうずくまっている彼女を、後ろから両手で支えて、寝室へ戻ってきた経験もあった。
そんな時に限って、彼女の意識はいつでももうろうとして夢よりも分別がなかった。瞳孔が大きく開いていた。外界はただまぼろしのようにうつるらしかった。
枕辺にすわって彼女の顔をみつめている健三の眼にはいつでも不安がひらめいた。ときとしてはふびんのねんがすべてにうちかった。彼はよく気の毒な細君の乱れかかった髪にくしをいれてやった。汗ばんだ額をぬれてぬぐいでふいてやった。たまには気を確かにするために、顔へ霧をふきかけたり、口移しに水を飲ませたりした。

奥さんが発作の時は旦那さんは、むちゃくちゃやさしい。でも、その時以外は、というと、ほぼ日常生活のほとんどは、顔を合わせれば夫婦喧嘩しています。

ロジックの通じない相手とどう寄り添えるか

性格の不一致といえばそうなんでしょうけど、ご主人の健三さんは、イギリスに留学していて、大学講師で、自分のロジックに自信がある。奥さんのおすみさんにも、そのロジックを振り回すんですけど、おすみさんには、まったくそのロジックが通用しません。彼女には、それは実のないもの、屁理屈でしかない。健三さんには、自分のロジックが通用しないおすみさんにいらいらしている。自分は何も間違ったことはいっていない。それがわからないのはどうかしている。そうすると奥さんのやることが気に入らない。冷淡な態度で自分に接しているように見える。奥さんのおすみさんからみると、自分の何が気に入らないのかわからない、ずっといらいらいらいらしているし、健三さんは自分のことだけしか考えていない、と言う風にしか見えない。

「字が書けなくっても、しごとができなくっても、やっぱり姉のような亭主孝行な女の方がおれは好きだ」
「いまどきそんな女がどこの国にいるもんですか」細君の言葉の奥には、男ほど手前勝手なものはないという大きな反感が横たわっていた。


健三さんは「妻は夫に従属すべき」と考えている。一方おすみさんは、夫というだけで尊敬なんてできない。尊敬してほしいのだったら、尊敬されるのにふさわしい人間になってこいと考えている。健三さんは古い、形式的な、妻というのはそういうものだろうと、そんな考えをもっているんですが、おすみさんは、そういう考えを強制されるのは、心底、嫌なんですね。健三さんの考えを押し付けられているように感じる。それが彼女にはたまらない。

価値観が違うんでしょうね。今だとそれだけで、離婚の原因になりそうですよね。

実際の漱石は、奥さんの実家に離縁すると乗り込んだこともあったらしいですし、『道草』にも、奥さんが子どもを連れて実家に帰る場面も出てきます。

どちらも最終的に破綻には至っていません。だからこそ、『道草』という作品が書かれたんでしょうけど、旦那さんは神経質で、気性の波を激しいし、奥さんもヒステリー発作をもっている、お互いの間に深い溝がある。

 健三はこうした細君の態度をにくんだ。同時に彼女のヒステリーを恐れた。それからもしや自分の解釈が間違っていはしまいかという不安にも制せられた。

ヒステリーへの恐れは、奥さんへのやさしさにつながる。もしや自分の解釈が間違っていはしまいかという不安。それって学問を積み重ねてきて鍛え上げてきた自分の論理だけでなく、自分の物の見方、考え方じたいがぐらつくことに対しての不安です。つまり、健三さん自身が誇りにしていたり、自分はこういう人間だと思っている、アイデンティティ、それをひっくりかえされてしまうという不安です。それは不安というより、実際、繰り返されています。そして、それは、夫婦関係を続ける限り、続いていくでしょう。『道草』のラストは、こんな夫婦の会話です。

「じゃどうすれば本当に片付くんです」
「世の中に片付くなんてものはほとんどありゃしない。一遍起こったことはいつまでもつづくのさ。ただ色々な形に変わるから人にも自分にもわからなくなるだけのことさ」
 健三の口調は吐き出すようににがにがしかった。細君は黙って赤ん坊を抱き上げた。
 「おおいいこだいいこだ。おとうさまのおっしゃることは何だかちっともわかりゃしないわね」
 細君はこういいいい、いくたびか赤い頬に接吻した。

『道草』は養父が健三さんの元に現れて、金をせびられて、金を渡す。ギュッとまとめると、そういう話の流れで、金を渡してせいせいした、一件落着とオスミさんが思っているところに、健三が水をさすようなことをいう。オスミさんはこれで片がついたと安心している。それを健三さんは、「片付いたのは上部だけじゃないか。だからお前は・・・」といって、オスミさんの機嫌を損ねる。

この夫婦の喧嘩はこれからも繰り返されていくんでしょうね。

終わりなき夫婦喧嘩

ただ、喧嘩もおしゃべりですから。ただ、そのおしゃべりを通して、あれ、おれのほうが間違っている? 健三さんは自問自答する。それも繰り返されていく。

漱石は「私」を問い詰めたひとで、問い詰めていく中で、小説を書いたひとですけれども、その内情として、自分に自問自答を促す奥さんの存在があった、それを漱石は『道草』という小説で書き残して置きたかったんではないか、そんなふうに感じます。

鏡子夫人が自分の死後、回顧録を書くんじゃないかと、それを予想して『道草』を書いたという説もあります。その真偽は私はわかりませんが、いずれにせよ、小説を書いてこれたのは奥さんのおかげという気持ちは、『道草』という小説で残しておこうと思ったのではないか。ただ、どうでしょうねえ、こういうふうに夫婦のことを書かれた奥さんの気持ちは。そこは奥さんにも伝わっているような気はしますが、奥さんが創作の泉だったという・・・漱石の奥さんの名前は鏡子さん、鏡の子ですよね。

漱石にとって、鏡子さんは自分を写す鏡だった。

そういうふうに、漱石は自身の夫婦関係を『道草』という小説で、残して置きたかったんでしょうね。

それでは、また、次回、よろしくお願いいたします。

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