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『ゴジラ-1.0』遅まきながら鑑賞感想

 『ゴジラ-1.0』が、2024年3月に第96回アカデミー賞の「視覚効果賞」を受賞しましたね。これは、日本映画として初めての受賞の快挙であることから、注目を集めました。視覚効果は、監督の山崎貴氏が所属する映像制作プロダクションの『白組』がVFXを手がけた様です。『ゴジラ-1.0』は、戦後間もない焦土と化した日本にゴジラが現れる物語で、国内興行収入は60億円を超えて、今でも増えて行っています。全米でも話題を集め、日本の実写映画の歴代興収で1位に輝きました。山崎貴監督は、日本におけるCGを駆使した映像表現・VFXの第一人者であり、この受賞は彼の才能と日本映画の進化を示すものであると思います。このアカデミー賞受賞をきっかけに、遅ればせながら映画館に足を運んで見に行ってきました。
 まずは、『ゴジラ-1.0』の前に、過去のゴジラに関して書かせていただきます。私のゴジラ歴は、モスラ対ゴジラから始まったと思います。モスラ対ゴジラは、1964年の春に公開になりましたが、当時、映画の繁栄は、その牙城をテレビに崩されつつある中で、まだまだ、地方の主要都市にも数件の映画館が残っており、私もその地方の映画館で鑑賞しました。
1964年に公開された映画『モスラ対ゴジラ』は、日本の怪獣映画の流れを変えたとも言ってよい作品です。ゴジラ映画としては4作目になりますが、ゴジラと巨大生物が本格的に戦うという展開では2作目になります。しかしながら、対決の相手が、巨大な蝶とその幼虫ということに合わせて、双子美人歌手のザ・ピーナツの歌に呼応して活動するなど、ファンタジー性に富んでいる点で、怪獣映画の大きな変化点になりました。内容は、巨大台風で漂着したモスラの巨大な卵が発端となり、これから生まれたモスラのさなぎがゴジラと闘いながら、最終的に東京タワーでさなぎを作り、そこから羽化した巨大な蝶であるモスラがゴジラを撃退するというものでした。卵から幼虫、さなぎから羽化の場面で、ザ・ピーナツの歌う歌と祈りが大きな役割を果たしている点、幼虫の武器が口から噴射する糸だったり、蝶が羽ばたいて降り注ぐ羽のりんぷんだったりと、非常にユニークでしたし、ファンタシーで幼心揺さぶらされました。
 それから、ゴジラの昭和映画シリーズは、『三大怪獣 地球最大の決戦』、『怪獣大戦争』、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』、『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』、『怪獣総進撃』、『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』、『ゴジラ対ヘドラ』、『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』、『ゴジラ対メガロ』、『ゴジラ対メカゴジラ』そして『メカゴジラの逆襲』と続いていきました。私が実際に、劇場で見ていたのは『ゴジラ対ヘドラ』でしたが? それ以降は、テレビでの再放映で見たのではないかと記憶しています。ゴジラの息子が登場したころから、ゴジラは、日本を襲撃して危機に陥らせる存在から、見る子供たちに寄り添った存在に変わっていきました。生活を脅かすより大きな存在に対抗するのがゴジラで、子供たちがゴジラを応援する様な映画の作りになっていきました。私自身は、『ゴジラ対ヘドラ』まででゴジラ映画を卒業した次第ですが、今でもテーマソングは歌えます。「水銀、コバルト、カドミウム、鉛、硫酸、オキシダン、シアン、マンガン、ナトリュウム」という言葉で始まる歌です。三つ子の魂100までもというところです。また、シリーズで印象に残るのは、キングギドラですね。頭が三つもあり、空を飛べる宇宙怪獣は、発想が飛んでおり、また、金色の胴体は忘れようがありません。好きだったのはミニラです。怪獣に愛らしさを入れ込み、親子愛まで織り込んでいった点は、画期的であったと考えます。
 これに対し、近年のゴジラは、原点回帰でしょうか? 人類の敵という本来の怪獣の姿として描かれています。今回の『ゴジラ-1.0』も怪獣としてのゴジラ像を追求し、破壊者であるゴジラとこれと闘う人という切り口で展開されています。今回は、アカデミー賞受賞以外の情報は無く、まったくの事前知識無い状態での鑑賞となりました。さて、始まりは、ゴジラシリーズのお決まりの展開で、離島でのゴジラ出現でしたが、ここでの人間模様が、最後まで物語を繋いで行く点は、あっぱれでした。
映像の多くの時間を、特殊な状況下にあった日本の太平洋戦争の状況をベースにしていますので、全体的に重い雰囲気で展開されています。私も当然、戦争の経験はありませんが、小学生の頃に近くに図書館があったことから、書庫に入り込み、貴重な戦争の資料をあさって見ていた経験もあり、戦争下の悲惨な状況は、理解していましたが、戦争に負けた日本の個人の生活の大変さを描くことが出来ており、米国に打ちのめされて何も無い日本が、ゴジラを退治していく様は、なおさら戦争の悲惨さを描き出した様に感じました。
 さて、主人公が焼け野原の実家で戦後の生活を始め、一人の女性と出会うのですが、これが、神木隆之介さんと浜辺美波さんでしたので、見た瞬間『らんまん』だと思ってしまった次第です。『らんまん』を見ていない方に解説ですが、NHKの朝のテレビ小説で、この二人は夫婦役を演じていたのです。初顔合わせでなかったせいか? 非常に息のあった演技でした。
 ゴジラは、離島から東京まで太平洋を渡って東京に襲来します。何故、広い太平洋を移動して東京を選ぶのかとの疑問は置いておくとして、東京襲来を防ごうとする場面は、ジョーズを彷彿とされる様な描き方で、強力な火器を有していない木造船で挑む描き方は、かなりスピルバークのジョーズの影響が強いなと感じた次第です。また、アメリカとソ連の冷戦の影響から、武装放棄した日本が、ゴジラに対峙しなければならないシチュエーションを作り出した点は、流石だなと感じ入りました。
 日本に到達したゴジラは、なんと銀座にやって来てしまうわけですが、銀座の街の作りの精密さと、破壊に巻き込まれる人々の詳細な描写が、映像のリアルさを高めたと思います。復興間もない銀座にゴジラが襲来し、服部時計店(現在の和光ビル)を含む建物を破壊してしまうのですが、このシーンでは精密なジオラマと実写及びCGを組み合わせたディオラマにより描かれておる様ですが、良く出来ています。また、あろうことか銀座でその口から熱線を放出するのですが、この映像は、正に原爆の爆発として描いており、破壊力、きのこ雲、衝撃波の様子まで、実際に原爆を経験した日本人でしか理解できないような描写でした。最後に黒い雨まで降らせており、これを、日本人以外は、その意味を理解できないのでは無いでしょうか? よく描かれていました。
 次に特出すべきは、ゴジラ攻撃用の火器、用具類及び戦艦の出来栄えです。四式中戦車、重巡洋艦高雄、局地戦闘機雪風とそこに装備されている用具は、圧巻でした。物理シミュレーション、3DプリンターとCGを組み合わせての作成とされていて。その詳細は分かりませんが、技術力及びVFX『白組』のチーム力には敬服します。特に素晴らしかったのは、戦艦が海を進み、波をかき分ける場面で、これまでに無い波の形で、ところによると新しい波のシミュレーションを導入したとのことで、これまでにないリアル感を生み出していました。また、自衛隊進撃の場面で流れた『怪獣大戦争マーチ』だと思ったのですが、これは子供のころから耳に残っていて懐かしかったです。
 銀座を破壊したゴジラは、どこに行ったのかは正確に描かれていませんでしたが、相模湾に引き寄せて、ゴジラを葬るための作戦が提案されました。ここでのキーポイントは、壊滅した日本軍は、役に立たないし、占領軍である米軍は、ソ連との冷戦下で動きが取れないことから、民間の集団で、ボランティア的に構成された部隊での対峙となりました。命の保証が無いことから、集まった人たちも、多くが身を引いていく場面が描かれています。その過程では、戦後良く言われていた精神状態で、「戦争で行き残ってしまった命」ということが描かれることが在りましたが、私自身、戦争経験がありませんので分かりませんが、同じ精神下でのボランティアとしての参加者によって、遊撃隊は結成されました。また、加えて、新兵器や重火器ではなく、民間のちょっとした技術とアイディアで戦うということで、軍力を否定した戦いで描かれています。
 さて、実際の作戦ですが、相模湾に誘き寄せたゴジラの体の周りにフロンガスボンベを巻き付けて、一挙にガスを吹き付けることにより表面張力を消失させて、深海1,600mへ沈める。この深海で、水圧を掛けて体に巨大な圧力を印加して、その直後に巻き付けたバルーンを膨らまして、浮上させて、急激に圧力を減圧することにより、体の構造維持が出来ないようにしようとするものでした。その名も『海神(わだつみ)作戦』。その圧力の変化は、地上の±160倍までの急速な変化になりますから、通常の生命体には耐えられません。物体の表面を気泡で覆い浮力を無くす原理は、「ライデンフロスト効果」を応用したという設定だそうです。実際は、高熱の金属に水滴を落とした時に薄い気泡の膜が発生して、金属と水の接触が起こらない現象の様です。高温の金属球を水の中に落とすと、浮力の抵抗を減少させ、沈む速度を増加させる実証もあるようです。また、風船で浮上するために使用されたバルーンは、「東洋バルーン」という架空のメーカーまで作り出して、出演者の制服の胸に「東洋バルーン」のオレンジのロゴが付いていました。凝っていますね。一方、些細なことですが、フロンガスの供給のために船上に乗っていた技術者は、帽子もヘルメットも被っていなかったのが気になってしまいました。
ちょっと脱線しますが、元防衛相の石破茂さんが、『シン・ゴジラ』に対して、「ゴジラ被害は、天変地異的な現象と見なし、あくまで災害派遣で対処するのが妥当。自衛隊法に規定された国または国に準ずる組織による我が国に対する急迫不正の武力攻撃ではないとし、害獣駆除として災害派遣で対処するのが法的には妥当」と述べたそうです。ゴジラは害獣であるから、対応は防衛相の管轄でなく、農林水産省の業務だろうか? 
 さて、相模湾のゴジラは、水圧の急増急減にも耐えて、最後の戦いに入ります。ここで登場が、終戦の直前に登場した幻の局地戦闘機「震電」です。上空1万メートルから飛来して日本本土を焼け野原にした米軍のB-29爆撃機を迎撃するために開発された戦闘機で、当時の日本保有の戦闘機では、その高高度に到達することもかなわなかったが、「震電」の性能は段を抜いていました。求められたのは高度1万2000m で、最高速度740km/時ということで、現在のジェット旅客機が、900km/時ということから考えても、プロペラ機として破格の性能を達成していました。この高い要求を達成するため、斬新な設計が、盛り込まれました。2,000馬力を発揮するエンジンを搭載し、エンジンとプロペラを機体後方に搭載する構造を取ったのです。それは、まるで今のジェット戦闘機の機体シルエットとなっています。戦後放置されていたこの機体の復活には、映画の前半で描かれていた離島の人間ドラマが綾を成していきます。ゴジラの襲撃で全滅したなかで生き残った守備隊の責任者が、この「震電」の復活、調整を行っています。また、神木さん演じる特攻生き残りが、機体の復活を依頼し、そのパイロットとなりました。島の守備隊全滅を避けられたかも知れないキーポイントを特攻生き残りの主人公は、実行できなかったことから、飛行機の復活を担った守備隊の責任者は、この主人公を恨んでいる状況から、如何にして、このプロジェクトを推進できたのかも、大きな人間模様となっています。
 出撃した「震電」の飛行は、軽快で、機動性が高く、縦横無尽に飛び回ります。『天空の城ラピュタ』や『紅の豚』を思い出します。「震電」には、エンジン、プロペラが後方配置になっていることから、操縦席前方に相当量の爆薬が搭載可能で、『海神作戦』でも生存し続けるゴジラへの特攻を行うわけです。
 映画の顛末の最後に関しての詳細な説明は避けますが、『海神作戦』の出撃の際も合言葉としてありましたが、「一人も命を無駄にさせない」、「生き残りましょう」と言った、前の大戦で命を軽視した軍事作戦を否定した様な本来のあるべき姿を表現していましたし、この映画では、主たる出演者は、生き残っています。映画の根底には、戦争の悲惨さ、無意味さ、原爆の脅威とともに生命の大切さを描いているように思います。また、これらを際立出せるものがVFXによるリアルな画像ではないかと思った次第です。
 ゴジラ映画の次作は、『ゴジラ対キングコング 新たなる帝国』ですが、多分、映画館には足を運ばないかも。

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