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パラグライダーで墜落。そして入院。その8 ~腰の本手術~

墜落してから23日経った日の話です。ついに腰の本手術の日になりました。

正直に申し上げますと、俺は、、、とても緊張していました。
怪我をしてから3回目の手術となり、最も重要なものになります。この手術の結果次第で、どれだけ運動機能を回復できるのか、どれだけ後遺症が残るのかが決まるからです。

まず運動機能回復に関してはカメラマンとして、そしてパラグライダーパイロットとしてまた復帰できるのかに直結します。
次に後遺症に関してですが、入院直後から粉砕骨折した骨が神経を圧迫している影響で痺れの症状が足に出ていました。右足は太ももの前面側、そして左足は太ももの前半分と太ももから足の小指まで外側全体に痺れがあります。痺れというのをもっと詳しく言うと、ずっと痺れを感じているわけではありません。触った時に触られている感覚と痺れる感覚を覚えます。場所によって触れている感覚と痺れの感覚の比率は結構かわります。痺れの感覚が強い左足の太もも外側あたりと左足の小指まわりは優しい刺激では触れられているか全然わからない部分もあります。

手術自体の難しさに関しては医師からは「運動機能は高い確率で復帰できる状態になりそう。神経を圧迫している骨の除去はメスを入れて見てみないとわからないけど、あまり期待しないで」と言われていました。

こちらからしたら、多少痺れの感覚が残っても運動機能が回復すれば万々歳だと思っていました。それだけでとてもありがたいことです。でも手術がもしうまく行かなかった場合の話もされるので、当然不安にはなりますよね。

だから、、、手術の前はとても、とても緊張していました。
そしてこの緊張がちょっとした悲劇を生みました笑

今までの手術はオペの前の記憶は全くないのですが、この日のオペの前のことははっきり覚えています。
緊張しているなかベッドごとオペ室へ移動。続いてオペ室の前の準備室でオペ用のベッドに移動。そこで麻酔を打つ予定でした。

悲劇を生んだのはこの麻酔です。
元々、自分は色黒です。肌の色的に静脈が見えづらいです。そこに緊張で拍車がかかり、、さらに血管が見えづらくなっていたみたいです。しかも注射を打ったのはメインの麻酔科医の先生ではなく、その人の弟子の方だったんです。

ぶっとい針を俺の左腕に指したんですが、失敗。。。クソ痛い。。。
麻酔科医の先生は弟子の方に再度トライするように指示します。

えぇ。わかります。私も「人を育てる」ということには多少興味のある人間です。失敗することも含めて、経験して行くことで人は成長します。再度トライをしなさいと指示するところからみても、しっかりと弟子を育てようとしている、素晴らしい麻酔科医の先生だなと思いました。その瞬間は。

だけど聞いてない!4回も失敗して、右腕に挑戦して、そこでも4回くらい再トライするだなんて!!!!!(泣)
しかも途中で看護師さんにもトライさせてるし!!
めっちゃ痛かったです。。。辛かったぁぁ。。。。

8回目か9回目トライで弟子の先生の「あ、今回はうまく入ったと思います。」の一言の安堵感。。。。その2,3分後には俺の意識はなくなっていました。

今だから振り返って弟子の先生には言いたい。
こちとら、痛いのクッッッソ我慢したんだ。頼むから俺の経験を踏み台にして、いい麻酔科医になってくれよ。どんな人にもスムーズに麻酔入れられる人になってくれよ!!!!

ちなみに俺はこの経験以降、注射が嫌いになりました。今ではちっちゃい注射針でも緊張するような体になってしまいました。。。笑

そんなこんなで無駄に(?)痛~~~い思いで始まった腰の本手術。
まずはレントゲン写真を見てもらうとイメージがしやすいです。

左側から見たレントゲン。左の写真が手術前 右の写真が手術後。新たに金属が第2腰椎に入っているのがわかりますでしょうか。
前から見たレントゲン。左の写真が手術まで、右の写真が腰椎に金属を入れた後の術中のレントゲン(術中のため、鉗子も写っています)

左の写真の時点で入っている、縦に伸びる2本の金属棒とその棒から伸びて腰椎を固定している10本のスクリュー。これは墜落した日に受けた緊急手術でうけた処置によるものです。
詳しくはこちら

第2腰椎は錐体の変形が強く、体を支える十分な強度がありませんでした。今回の手術は錐体を金属に置き換えて安定化を図るものでした。さらに神経に張り出している骨片をすべて取り除けるとよかったのですが、合併症のリスクが高いと判断されたため、リスクの少ない一部を取り除くに留まりました。

大きな骨片を取り除けなかったのは残念ですが、脊柱の安定化はしっかり得られたため、手術としては成功です。また、足の痺れに関しても右太ももの痺れは術後改善していました。ちなみに骨片はある程度吸収されるそうなので、さらに痺れがゆっくりと改善していく可能性もあります。

手術は成功してリハビリ次第では運動機能を90%以上取り戻せるだろうと言われたときは本当に安堵したのは言うまでもありません。痺れの症状は残りましたが、生活している中で致命的な影響があるわけではありません。あれだけの大事故で、運動機能がほぼ戻るだけでも本当にありがたいことだと心底思っています。

さて手術が成功して、めでたし、めでたし。とは行きません。
手術から目を覚ました瞬間から新たな戦いがはじまりました。

激痛。。。。

実は今回の手術、背中からではなく、左の脇腹から腰椎にアプローチをしています。つまり手術後、目を覚ました瞬間から左の横腹から背中の中心までの広い範囲でとんでもない痛みが走りました。病院では「痛さを1~10で言ったらどれくらい痛いですか?ちなみに5からが我慢できないくらいの痛みです。」と聞かれるのですが、自分はそれに「9」と返答しました。10をこの世の終わりレベルの痛さとして、その一歩手前の痛さだと思って「9」と即答しました。

ちなみにこの時点で痛み止めの薬は最大限使ってくれていたそうです。それで「9」の痛みが目を覚ました瞬間の夕方から夜中の2,3時くらいまでずっと続きました。。。。

病院という場所にいながら、、、恥ずかしながら「もう殺してくれ!!」とまで叫んでしまいました。。。。ごめんなさい。。。それほどに、地獄のような苦しさでした。

寝れたらどんなによかったでしょう。。。ですがあまりの痛みに一睡もできませんでした。3時あたりからは我慢できるレベルの痛みに落ち着いてはきましたが、、、それでもめちゃくちゃ辛かったです。。。さらに術後の関係なのか水分を取ることができず、喉もカラカラでした。それによってまた苦しさが倍増していました。

そんな感じで今までに経験したことのない苦しみを経験することとなった手術。なんとか成功に終えることができて本当によかったです。


しかし、しばらくは色んな形で痛みとの戦いは続くのでした。
続く。



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