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パラグライダーで墜落。そして入院。その2 〜緊急手術とその後〜

パラグライダーによる墜落。
今回は緊急手術とその後について書いていきます。

前回すこし触れましたが、怪我としては
・骨盤輪損傷(仙腸関節離開、左恥骨結合離開)
・第1,2腰椎破裂骨折
・第1〜4腰椎横突起 棘突起骨折
・左踵粉砕骨折
・右肘頭開放骨折
でした。

レントゲン写真で見るとこんな感じです。(腰の骨はありませんでした)

特に深刻なのは骨盤と腰椎の骨折。
この二つが緊急手術の対象でした。

応急処置的な手術で骨盤には左右にそれぞれピンを立てられました。そのピンは骨盤から体外に出ていてオヘソの前で橋渡し役の金属の棒で固定されました。つまりコの字型金属の棒が肌を突き抜けて骨盤の骨に突き刺さっているような感じです。
これで一時的に不安定な骨盤を繋ぎ止められました。次にある本手術でスクリューなどを使って骨盤をきちんと固定される予定です。

続いて腰椎について。
腰椎破裂骨折というのは腰椎の圧迫骨折のさらに酷いものとなります。違いとしては圧迫骨折は骨の前側の壁が割れる骨折なのに対し、粉砕骨折は骨の前側だけでなく、後ろ側の壁まで割れてしまっています。文字通り骨全体が「破裂」している折れ方です。それだけ落下時のエネルギーがすごかったということでしょう。また、破裂骨折は骨の後ろの壁まで割れているので、割れた骨の破片が神経を圧迫するため、足の麻痺や痺れなどの神経症状が出ることがあります。
自分の場合は特に第二腰椎の破裂が高度な状態でした。
緊急手術では脊椎を安定化させるために骨折した錐体を橋渡しするようにして上下2つずつと、比較的安定している第一腰椎にスクリューネジを入れて、それぞれをロッドという棒で連結して固定されました。
まとめると、とりあえず腰椎を金属の棒2本をつかって安定化させる緊急手術を行いました。高度に破裂している第二腰椎は別途手術をして安定化させる必要があります。

この骨盤と背骨の緊急手術をしたあと、全身麻酔が効いている間に左の踵も「大本法」と言われる方法で整復されました。
患者がうつ伏せになり、踵を両手で挟み込んで握り、左右に揺らしながら持ち上げる??ことで整復をするものです。こちらも別途、骨の接合手術が必要となりました。

右肘の骨折に関しては肘をうった事により、肘の骨が少し欠けるように骨折してしまった形です。打ったところの傷口から骨が見えている形だったので「開放骨折」となっていますが、運動機能には支障がない骨折だったために縫合して終わりました。開放骨折した時は骨に雑菌がつくと治りがおそくなって色々大変になるのですが、幸い感染もなくスムーズに治療できました。

怪我のことを詳しく書いていきました。ちょっと長くなってしまいましたね。。。

ざっくりまとめると
・肘の骨折はあんまり気にすることはないくらいの状況(ラッキー)
・腰椎、骨盤、踵は対処的な緊急手術が行われて容態の安定化がはかられました。それぞれに後日、追加の本手術が必要となるかたちでした。

骨盤と腰の術後のレントゲンはこんな感じです

左右の骨盤に繋がっている棒が体の外に出ていて、お腹の前に橋渡し役の横棒がどっしり構えている感じです。
骨にスクリューを入れて、縦の金属棒でそれぞれを固定して安定化がはかれています。
また、第二腰椎の損傷の激しさがわかります。


手術をした翌日から自分は意識があったみたいです。近日に撮影を予定していた関係者に撮影ができなくなったと謝罪するメールがいくつも残っているので、それなりに頭は働いていたんだと思います。

ただ、今となっては、その時の記憶はもうありません。墜落時に頭もうっており、脳震盪をおこした影響だと思います。墜落してから3,4日間の記憶は全くありません。

そして、、、実はその後の記憶も今となってはかなり曖昧です。理学療法士さん曰く、それは結構あることなんだそうです。体が治癒することにほとんどのエネルギーを使っている状態、ある意味ショック状態らしいです。その時は意識もあって、ちゃんと受け答えも出来ているので、頭は働いているんです。でも時間が経つと、記憶としてはかなり曖昧で、うる覚えになってしまうことはあり得るそうです。まさに自分はそういう状態だったんでしょう。

そんな、今となっては曖昧になってしまった記憶。その中でうっすら覚えていること。目を覚ましたら病室にいて「え?ここはどこ?どういうこと?」と思ったことです。墜落したことすら覚えていなかったので、本当に訳がわかりませんでした。

そんな混乱の中、体に意識を向けると、まず足が動かせない。。。。足の感覚はある程度あるのですが、動くのは指先だけ、、、。
足を確認しようと目線を足元の方へ向けると、おへその所に金属の棒がコの字型にあり、それが自分の体の中に刺さっていることに驚きました。

うる覚えすぎて、この時にパラグライダーで墜落したことを悟ったのか、誰かにそう言われて知ったのかはわかりません。

けど、自分が墜落してしまったことに対して心のどこかで「え?俺が?なんで?どうやって??まさか何か致命的なミスをしたのかな?」と頭の中でグルグルしたことは覚えています。

そんな入院初期の事で覚えているのは痛みと不快感によって、かなり辛かったことです。怪我をした所と術創から激しい痛みが走ること。術創とその周りに貼られた治癒用の透明のフィルムがかなり痒かったこと。
骨盤と腰椎が折れているので長時間同じ姿勢は痛みが出てきてどんどんつらくなってくること。
なのに骨盤と繋がって体の外に出てきているコの字型の金属が邪魔して寝る体制の選択肢がかなり狭いこと。
狭いくせに、体勢を変えると骨盤と腰に痛みが走ること。
痛みと不快感に対してとれる選択肢が少なすぎたことがかなり辛かったです。

そして、この辛い状況の中、不思議な感覚がありました。
この状況をまるで他人事の様に見ている、もう一人の自分がいるんです。
事故の記憶がないからなのでしょうか。
「急に不自由になった人の人生を一人称で進めていくゲームをしている」感覚になるんです。
現実とのギャップに頭が、心が、追いついていなかったからなんじゃないかなと推測しております。

そんな辛い痛みと不快感だらけの入院生活。
現実とのギャップから変な感覚すら覚えていた入院生活。

墜落して救急搬送されてから10日で大きな変化を迎えることになります。
転院することになりました。

次回は転院の搬送のお話をしていきます。



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