フォローしませんか?
シェア
晶子
2020年10月25日 10:43
寒くなってきて、毎日、何かしらの温かい煮物を作るようになってきました。田舎での滞在もあと少しの予定にも関わらず、醤油と酒が無くなりそうになり、移動販売の魚屋さんに注文。魚屋さんによると、最近、醤油や酒、みりんが売れるのだそうです。どこの家庭も同じように、煮物の頻度が増したのかもしれません。雨まじりの寒い1日は、外に行けず気が滅入るので、料理で気を紛らわそう!と、イカと里芋の柔らか煮を作る
2020年10月17日 21:48
白鳥の声が上空で聞こえ始めた頃から、鳥海山が赤みを帯び、夕日が南寄りに沈むように…。一面の鮮やかだった緑が、砂の色に馴染んできました。秋は、実り多く紅葉が美しい季節でありながら、なんだか少し寂しい気分になります。冬の気配を感じるからなのか、年齢のせいなのか…。夜が長くなり、つい先日まで聞こえていた虫の声が止んでいます。そのかわりに、日本海から押し寄せる風とうねる波の音が、重なりながら、辺
2020年8月6日 21:57
10年近くほったらかしにしていた実家の畑地は、草原と化し、さらに木も生えてきて、このままでは森林になってしまいそうな状態でした。2015年から、帰省するたびに、少しずつ、草を刈っては何かを植え、「ワイルド菜園」と名付けて野菜栽培を楽しんでいます。一年目は、3メートルほどの畝を7列ほど耕し、ジャガイモ(4月上旬)、サツマイモと落花生(5月中旬)を植えました。砂地で水はけが良い土壌向きの無難な野
2020年8月5日 17:51
東日本大震災が、田舎回帰のきっかけに便利さや合理性重視の東京の暮らしに、漠然とした不安を感じるようになったのは、2011年の東日本大震災の頃からです。福島の原発事故も、丁寧な生活、自然との共生というものを考えるきっかけになりました。東京で災害があった時、どこか避難する場所が欲しい。都会の生活に疲れた時、自然に囲まれ、ほっとする場所が欲しいと思うようになりました。震災後、山形県の庄内地方に