作詞家 渡邊亜希子

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作詞家 渡邊亜希子

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    歌詞提供実績 ◯CHEMISTRY ◯神谷浩史 ◯中川翔子 ◯アイドルマスターシャイニーカラーズ (イルミネーションスターズ) ◯アニメ「とらドラ!」 (プレパレード、オレンジ、他多数) ◯ガンダムUCテーマソング  等、他多数

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自己紹介

作詞家、渡邊亜希子です。 19歳の時に池袋の焼き鳥屋でアルバイトをしていたら、音楽関係者の方に拾われ作詞家になりました。 (そんな事もいつか書きますね) 20歳の時初めて私が歌詞を書いた楽曲がこの世に放たれ、かれこれ20年ほど経ちます。 作曲家と言えば、音楽室に飾ってあったオバケ達という印象で、作詞家という職業は自分がそう呼ばれて初めてそんなものがある事を知りました。 作詞家になる事が夢ではなかったからこそ、作品が世に出ても満足することはなく、やればやるほどに新たな発見

    • 参考にならないHow to★作詞家になるには[17] 完結

      ここまで長々とお読みいただき、本当にありがとうございました。 作詞家になりたい方には本当に何の参考にもならなかったと思いますが、何かもし、出逢いや縁、タイミングや夢など、ご自身と重ねて感じていただけることがあれば幸いです。 スマイルカンパニーと契約後から、当然すぐにたくさんのお仕事をいただけた訳ではなく、その16年後にスマイルカンパニーとの契約を解消し現在、まさに今日にいたるまで肩書ではなく 「もっと作詞家になりたい」 という気持ちは消えず、私はきっと永遠にそう思い続ける

      • 参考にならないHow to★作詞家になるには[16]

        後日スマイルカンパニーの事務所で部長さんとの面談があり、明日香に提供していた歌詞をネットで事前に見てくれていた部長さんは2つ返事で「是非うちに所属してください」と言ってくれた。 社長とは契約書を交わしていたわけではなかったしほぼほぼ仕事ももらっていなかったので軽い気持ちで、いや、私を作詞家にしようとしていたのだから、どちらかと言えば喜んでくれるかも知れないとすら思いながら「スマイルカンパニーと作家契約をすることになりました」と報告すると、社長は苦虫を嚙み潰したような顔をして

        • 参考にならないHow to★作詞家になるには[15]

          社長が「うちと契約して作詞家になれ」と言い、私が「作詞家になりたい」と言ってから2年が過ぎた。 明日香との友情は続いていたけれど、明日香が成長して自分で歌詞を書けるようにもなり私が歌詞を書くことはほとんどなくなって来ていた。 「社長、暇なんですけど」 「社長、どうしたら作詞家になれるんですか」 給料が出るわけではないので土日のアルバイトに復帰していた私が時々社長に連絡を入れると、社長もなんとも言えずに口ごもってしまう。 居酒屋でもらった名刺にあった通り社長はそもそもCM

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        記事

          参考にならないHow to★作詞家になるには[14]

          その日三浦徳子さんは、「劇場版ポケットモンスター アドバンス 七夜の願い星 ジラーチ」の主題歌となる「小さきもの」の作詞の打ち合わせをしに会社を訪れたのであった。 三浦さんが社長と打ち合わせ中は同席しなかったけれど、お帰りになる時は一緒にお見送りをした。 三浦さんの姿が見えなくなってから私は慌てて社長に駆け寄った。 「今の方、作詞家って言ってましたよね…?!」 社長はまたコイツ訳の分からないことを言い出したというような顔で 「聖子ちゃんの『青い珊瑚礁』とか郷さんの『お嫁サン

          参考にならないHow to★作詞家になるには[14]

          参考にならないHow to★作詞家になるには[13]

          「作詞家ですか…」 そうして私は作詞家になった。 と言いたい所だが、この時私は「作詞家」とは「明日香の作詞を担当する人」という意味で、この会社内だけでしか使われない社長の造語だと思っていた。 今となっては不思議でならないが、本当に20年間私は「作詞家」という言葉を避けていたかのように出逢わずに生きてきていた。 さて、何にせよ私は会社をクビになった。 私の書いた歌詞が5曲収録された、明日香の1stアルバム「咲」はもう発売されていたので明日香の曲が次々と制作されるわけでもな

          参考にならないHow to★作詞家になるには[13]

          参考にならないHow to★作詞家になるには[12]

          食事会は進み、お酒も進み、酔っ払った社長が調子に乗ってふいに明日香のことを 「うちの商品が…」 というような言い方をした。 また酔っ払ってる… 明日香のご両親の前でも同じ言い方ができるのだろうか。 社長のお酒の飲み方に対する日ごろの苛立ちがパチンと弾けた。 「社長、明日香は物ではありません」 他社の社長さんの前にも関わらず私はニコリともせず冷たく言った。 社長も社長で私の仕事ぶりに対する日ごろの鬱憤が溜まっていたのだろう。 他の社長の前で社員にそのような扱いを受けた社長は

          参考にならないHow to★作詞家になるには[12]

          参考にならないHow to★作詞家になるには[11]

          私がマネージャーになってから半年後くらいだろうか。 2003年1月22日、明日香は「ake-kaze」でデビューした。 デビューまでにレコード会社、ラジオ、テレビ等、ご挨拶回りの予定が次々と舞い込む中、PVの撮影、2枚目のシングル「母」のレコーディング、それに参加するミュージシャンのブッキング、大きなスタジオの予約、国内のみならず日中韓同時デビューだったのでデビューライブイベントのリハーサル調整、韓国、中国にもマネージャーとして同行した。 私も慣れないこと、初めてのことが続

          参考にならないHow to★作詞家になるには[11]

          参考にならないHow to★作詞家になるには[10]

          明日香のマネージャーとして東京と大阪を行き来していた私は、その日も大阪のホテルに1人滞在していた。 ベッドに寝ころんで翌日のスケジュールを確認していると、社長から1通のメールが届いた。 「この曲に歌詞つけてみな」 居酒屋で出逢った可愛いカップルの、彼女の子が作曲した曲が添付されていた。 作詞をしたことがなかったのでどのような形の音楽が流れてくるのか想像もつかなかったけれど、一先ず流してみた。 その曲はアップテンポで明るく、元気いっぱいだった。 居酒屋で出逢った彼女が歌って

          参考にならないHow to★作詞家になるには[10]

          参考にならないHow to★作詞家になるには[9]

          「あこさ~ん、朝ですよ~、明日香もう朝ご飯食べんと学校遅れるよ~」 そんな明日香の声で飛び起きて、慌ててトーストを焼く。 焼いている間に目玉焼きを焼いて、焼きあがったトーストにバターをたっぷり塗って上に目玉焼きを乗せて包丁で4等分に切る。 「明日香、パズートーストできたよ!食べな!」 「やったー!パズートースト!」 とろとろの黄身にパンをつけて、明日香が嬉しそうに食べる。 そんな明日香と私の期間限定の2人暮らしはとても楽しかった。 学校から帰った明日香が「聞いてみたいCDが

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          参考にならないHow to★作詞家になるには[8]

          一緒に住むと言われて口をあんぐりと開けていた社長も明日香の寂しさは重々承知だったので、私と明日香が本気だということを何度も確認すると苦肉の策とも言える提案をした。 「オレも明日香を親御さんから預かってる立場としてよぉ… 同居人ってわけにも行かねぇから… じゃぁ~…もうさ、あこ、お前明日香の現場付きのマネージャーになっちゃえよ」 私は結局履歴書を提出することなく、結局その会社に就職することになった。 私が音楽業界に踏み入った理由は、作詞がしたかったからでも音楽が好きだった

          参考にならないHow to★作詞家になるには[8]

          参考にならないHow to★作詞家になるには[7]

          明日香の顔を見て親心が疼いたのか急に社長が 「ちょっと、飲みもん買ってくるわ、2人でなんか話とけよ」 と言って出かけて行った。 「座ろっか」 私が言うと明日香もうんうんと頷いて私達は近くにあった椅子にそれぞれ腰掛けた。 不思議と初対面の私達の間に気まずさなどはなく、それどころか私は彼女を一目見た時からもう、とっても彼女のことが好きであった。 まだ本当に彼女があの歌声の主なのかは半信半疑だったけれど、もし歌わないとしても、もう何故かとっても彼女のことが好きであった。 「関西出

          参考にならないHow to★作詞家になるには[7]

          参考にならないHow to★作詞家になるには[6]

          「歌詞を書きなさい」 そう言われても全然ピンとこなかった。 当時私は漠然と音楽を作る人は全員、何かしらライブやテレビなどの表舞台に立っているのだと思っていたのだ。 例えばTKのような作詞作曲もするプロデューサーがいるとか、バンドならバンドメンバーがそれぞれ作るとか、歌手なら本人が作詞や作曲をしているのだと思っていた。 「作曲家」と言えばベートーベンやバッハ、モーツアルトのことで、J-POPを作る「作曲家」がいることを知らなかった。 「作詞家」に至っては聞いたこともなかった

          参考にならないHow to★作詞家になるには[6]

          参考にならないHow to★作詞家になるには[5]

          様々な衝撃を受けた音楽会社見学から帰宅した私は、帰宅してすぐに社長にお礼のメールを送った。 「本日は貴重な体験をさせていただきありがとうございました! 初めてのことばかりでとても楽しかったです。 是非またお店にも遊びに来てください!」 そしてメールの最後に、当時流行り始めていたブログを私も時々書いていたので、そのURLを添えた。 「くだらないことばかり書いておりますが、もし『あいつ生きてるかな』と思っていただくことがあれば覗いてやってください!」 良い社会科見学をさせ

          参考にならないHow to★作詞家になるには[5]

          参考にならないHow to★作詞家になるには[4]

          居た堪れない空気の中 「じゃぁ…スタジオでも見てくか」 と言って社長が席を立ったので、私も慌てて席を立った。 つい5分前に社長の後について入ってきたばかりの扉を通り、上ってきたばかりの外階段を下りた。 そして社長は1階の駐車場の奥にある、大きな扉のレバーに手をかけた。 開けてみると40cm、50cmも幅がありそうな鉄製の分厚い扉。 「おお!レコーディングスタジオっぽい!!これこれ!イメージある!」 私の胸は急激に高鳴ったけれど、すぐ急激に降下した。 前述したように、見ようと

          参考にならないHow to★作詞家になるには[4]

          参考にならないHow to★作詞家になるには [3]

          ガチャっと社長が会社のドアを開けて中に入り、私も中へと通された。 入り口からすぐのところに長方形の大きなテーブルがあり、会社員らしき男性が2名、女性が2名、私から見たら向こう側に横並び一列に座っていた。 社長は、その人達の真ん中にちょこんと座ると私に「どうぞ」と言って、社長の対面に座るよう促した。 長方形の机の向こうに5人の大人。 その向かいに1人の私。 なにこれー。面接みたい。 と思った矢先、社長の右隣に座っていた男の人が 「えっと、じゃぁ…とりあえず履歴書を」 と言った

          参考にならないHow to★作詞家になるには [3]