参考にならないHow to★作詞家になるには[11]

私がマネージャーになってから半年後くらいだろうか。
2003年1月22日、明日香は「ake-kaze」でデビューした。

デビューまでにレコード会社、ラジオ、テレビ等、ご挨拶回りの予定が次々と舞い込む中、PVの撮影、2枚目のシングル「母」のレコーディング、それに参加するミュージシャンのブッキング、大きなスタジオの予約、国内のみならず日中韓同時デビューだったのでデビューライブイベントのリハーサル調整、韓国、中国にもマネージャーとして同行した。
私も慣れないこと、初めてのことが続く毎日に必死だった。
だけどいつも隣で小さな小さな明日香は1人、たくさんの大人達を相手にいつも笑顔で一所懸命に頑張っていた。

明日香も大変だったけれど、歌い手が13歳とあって周りの大人たちもずいぶんと気を遣っていた。

とあるインタビューで好きなお菓子を聞かれて明日香が答えると、それからしばらくは打ち合わせやレコーディングで会うほどんどの大人がそのお菓子を手土産に持って来てくださることもあった。

「あこさん、明日香こんなに食べられへん…」
レコーディングスタジオの隅で、机の上に置かれた山積みの同じ銘柄のお菓子を見て思わずぼやいた明日香が可愛くて思わず吹き出すと
「いや、贅沢やねんけどな!ほんまにありがたいねんけどなっ!ほんまに!」
明日香が一所懸命フォローすればするほど笑いが止まらず、2人でスタジオの隅で肩を震わせながら笑った。
忙しくも、楽しい日々だった。

そんな中、明日香の1stアルバム「咲」の制作が始まった。

「明日香のこと、一番近くて見てるんだから書けるだろ」
社長はそのアルバムに入れる予定の曲に歌詞をつけるよう私に言い、私は何の疑問もなく「千切れ雲」「掌 紅 蕾(てのひら くれない つぼみ)」「笹舟」「隠し物」「道標」と、5曲の歌詞を書いた。
やはり生みの苦しみという感じはなかった。
明日香がこのメロディを歌うなら、どんな景色が良いだろう。
どんな言葉で、どんな仕草で、どんな表情で、どんな声で。
明日香の歌を聞く人は、このメロディでどんな言葉を明日香に歌って欲しいだろう。

そう思って歌詞のないメロディを聞けば、歌詞が聞こえてくるのでそれを急いで書き留める。
感覚的にはそのような作業なのに、ハッと気づくとタイムスリップをしたかのように書き始めてから6時間も7時間も経っていたりする。
書き終えた時には疲労感があるのに、書いていた時間を思い返すとやはり大好きな古い友人とたくさん会話をしたような充実感で満ちており、そして心は子供の頃に泣いている理由も忘れてエンエンと泣いた後のようにスッキリとしている。

私は自分で歌詞を数曲書いてみてまた、音楽というものが分からなくなった。

どんな歌詞を書いても。
楽器も弾けない、楽譜も読めない、何の知識もない私が歌詞を書くことになっても、音楽というものは拒否をしないのだ。
音符で言葉を蹴飛ばしたり、弾き飛ばしたりしない。
どのような音も、言葉も、情景も、感情も、すんなりとすべてを受け入れる。
ベートーベンが作ったのも音楽。
今私が歌詞を書いているのも音楽。
楽器だけで奏でても音楽、歌っても音楽。

音楽というものが持つ差別のなさ、区別のなさ、懐の深さは、この先どれほど私が音楽を愛しても、決して音楽が特別に私を愛することはないのだろうと感じさせた。
特段の信仰のない私が漠然と「もし神様がいるならこんな人」と思い描いていた存在に近いような気がした。

とにかく予測できない毎日の中で、マネージャーとしての私はというと非常にポンコツであった。
何の勉強もして来なかった私に務まるほど、マネージャー業は甘くない。
もともと自分の事さえままならない性格の私は連絡ミスやブッキングミスなどたくさんの失敗をした。
明日香とは変わらず仲良くやっていたが、仕事はさっぱりだった。
一方社長はと言えば毎日酩酊するまでお酒を飲み、それによる失敗や失言を日常的に繰り返す人だった。

そんな2人だったので、共に過ごす時間も長くなり多忙も相まって徐々にお互いに不満が募ってきていたある日、いつも明日香を支援してくださるとある会社の社長さんと、その秘書さん、社長と私の4人で食事会が行われた。

私はマネージャーのみならず、社会人としてもポンコツであった。

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