見出し画像

移住したら草の奴隷になってたオレが草刈りに希望を見出そうと考えた ~草刈り考②~

毎年夏に農村で繰り広げられる「草刈り」について、前回の記事では一通りの概要について触れたが、草刈りの重要性とリスクについてご理解いただけたかと思う。

今回は草刈りをさらに縦断的・横断的に深堀りし、果たして田舎には持続可能な草刈りを達成する可能性が残されているのか、個人的な体験や所見も交えて検証していきたい。

(9/16 タイトル変えました。元タイトル『田舎の草刈りは持続可能か』)

岐阜県恵那市に移住して9年、岐阜県の移住サポーターを拝命している手前、というわけでもないが、より多くの人に地方移住、田舎暮らしという選択肢を提案したい思いから、情報発信を続けている。移住実践者の一つのサンプルとして参考にしてもらえたらありがたい(所要時間約7分)。

草刈りの歴史

草刈りの歴史に特化した文献などを見つけることはできなかったので、推測の域を出ないが、草刈りという概念は稲作の到来とともに訪れたであろう

稲作において、毎年収穫していくといわゆる地力が落ち、継続した稲作ができなくなる。そのため、何らかの栄養分を施用する必要があり、その資材として山などに生える青草が活用されていた。この青草に牛や人の糞、小魚などを混ぜ発酵させた堆肥が主に使われていた。

当地でも集落の共有地として山中に青草を刈る場があったといい、草刈りに山へ登っていた、という隣の90歳を超えるお爺さんの話をよく聞かされる。
刈った草は牛の背に乗せて運んできたそうな。

この共有地は財産区として残っており、稲作の機械化、化学肥料の高機能化等によって田んぼのエネルギー供給減としての役割を終え、今ではスギ・ヒノキの植樹林となっている(財産区の用途は様々なので当地での一例である)。

共有地に関する考察については、名古屋大学高野雅夫教授の著書に詳しく書かれている。

青草を肥料とする必要がなくなった今も、近隣の田んぼの周りの畔や法面などは綺麗に草を刈り、整った景観を誇っている。

それはオレからすると「そこまでするの⁉」ぐらい念入りに刈り込まれ、びたーーーっつと絨毯でも敷いたかのような光景なのだ。

画像3

(近隣の日常的な風景。草を刈るのは80を超えたご年配。)

あたかも、青草を刈るための最重要事項だった草刈がその目的を失い、とにかく草刈りをすることは大事だ、という意識だけが残ったかのようである。

田んぼ周りの草刈りは、田んぼへ害虫が入り込まないようその住処となる草むらを除去する、という目的が語られるが、自分の見る限りそれよりも景観維持の目的の方が重要視されているように感じる。

この美意識ともいえる傾向も今に始まったことではないことをうかがわせる話として、これもご長寿の方のお話によるものだが、草刈りの機械化が進む前から、畔草を刈るのは嫁の仕事だとされ、幼い子供を畔に寝かせながら、手鎌で草を刈っていた、というご経験を聞いたことがある。

途方もない作業である。しかし日本で守られてきた美しき田園風景というのはこうした身を粉にして働く人々の努力があってこそだったのには違いない。

動力付きの刈払機が普及してきたのは昭和30年代以降。作業効率は圧倒的に高まったに違いない。
ちなみに刈払機は日本の企業の開発によるものだ。小回りの利く操作性の良さはまさに日本の地形が生み出したものだろう。http://agri-renkei.jp/news/docs/20141205seminar_nagasaki.pdf

時を同じく昭和38(1963)年に制度化された圃場整備事業により、それまで棚田のように曲がりくねった形状の田んぼを大きな区画に統合し作業効率を高める政策が本格化した。https://suido-ishizue.jp/daichi/part2/03/14.html

その結果、大型のトラクターやコンバインで作業がしやすくなった反面、法面(人工的な斜面)の面積も大幅に増え、結局のところ草刈り作業の負担感は変わっていない。https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cmsdata/f/9/8/f98dee58568295a1371eb01d06289d54.pdf

以降、斜面も刈れる自走式草刈り機なども登場するが、基本的な作業はそのころから変わっていない。多くの人が省力化を望む中、全自動草刈り機などの開発、実用化が急がれている。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsamfe/79/3/79_202/_pdf

草刈りが必要な地域はえてして高齢化の進む農村である。行政は自助を基本に、地域内で助け合って、と言うが、果たして全自動化まで持ちこたえられるか。。

世界の草刈り ~ジンバブエ草刈り体験談~

十分な検証をしていないので恐縮だが、ヨーロッパなどは家畜の飼料のために大鎌で草刈りをしていたようで、今でも「芝刈り機より速いぜ」などという動画を見ることができる。確かに牧草地など比較的なだらかな土地であればそれもうなずける。
アメリカなどでは庭の芝の手入れのために芝刈り機が発達してきた歴史があり、世界各地でその土地の特徴に合わせた技術が進歩してきた。

ここからは体験談である。
オレは10年ほどまえにアフリカジンバブエの障碍者施設でボランティア活動をした経験があるが、その一環で施設周辺の草刈りを仕事として与えられた。ここでも草むらは、毒ヘビや危険動物類の隠れ場所となったり、はたまた背の高い草が壁のようになると視界が悪く犯罪に巻き込まれる危険もあるため、草刈りは重要な仕事であった。

現地の人たちと一緒にやることになったのだが、そこで渡されたのは、

ただの鉄の棒

正確に言えば、先端15㎝ぐらいをゴルフクラブ状に曲げてあり、要はこれを振り回して草をなぎ倒していく、ということだ。

これは現地で「スラッシャー」と呼ばれていた。

立ちはだかる背の高い草草を前に、これは果てしない、とやる前からげんなりしてたが、何人かで並んで作業していると、やはり扱いの慣れた現地の人たちのスピードは非常に速かった。
確かに手鎌に比べれば、腰を落とすことなく作業できるので、それに比べたら楽と言えば楽だ。あと意外に切れる。

画像1

(ここはトウモロコシ畑の際での草刈り。ちょっと見づらいが、奥の青い服の男性がスラッシャーを振り上げている。手前には地面に叩き切った草が見える。)

作業していると、どこからか(本当にどこにも家などなさそうな場所のどこからか)何本ものスラッシャーを抱えている人がやってきて、何やら施設の人と話をしている。どうやらスラッシャーの行商人のようだ。どれも同じように見えるスラッシャーだが、施設の人は入念に先端などをチェックし、「これじゃダメだ」と追い返していた。

帰国後、このような現地の現状を改善できないものかと、刈払機を提供することも考えたが、ただでさえガソリン不足、電気不足の現地において、この機械が役に立つだろうか、と自問しやめた。

彼らは今もまだスラッシャーで草をなぎ倒しているのだろうか。何をどうすればよいのか、今もってわからない。日本でもエネルギー不足が現実のものとなれば、いずれ我々も直面する問題かもしれない。その様子を体験できたのは貴重なことだったと今になって思う。

これからの草刈り

草刈りが田舎の生活に欠かせないものであることをお伝えしてきた。同時に負担や危険などの側面についても示してきた。過去からの流れを見てきたし、海外での体験も振り返った。

深堀りすればするほど、実際自分も草刈りに追われる立場として、正直これ将来どうすんの!?という途方もない気持ちになることもある。

それが田舎暮らし、と言えばそうなのだが、先ほどみたように我が家の敷地を管理するには、少なくとも年間72時間は草刈りに時間を費やす。それをあと40年生きるとして、40年×72時間=2880時間、1日6時間の実働時間に直せば(2時間までと言われてるけど現実はそれでは間に合わない)、480日分をこの草刈りに捧げなければいけないのである。

いくら景観維持などの目的があるからと言って、決して生産性を感じられる作業ではない。この480日分の時間を有意義に使いたいが、草刈りをやめるわけにいかない。
持続可能な草刈り、という可能性はないものか、いやもう少し端的に、もうちょっと楽にならないものか、最後にいくつかの解決策について検証してみたい。

外注化
もっとも手早く自分の手から草刈りを離れさせる方法としては、外注化が考えられる。当地域でもいくつかの業者が営業しており、実際我が家でも年間の半分ほどは活用している。業者なので手早い作業で広い面積を整理してくれる。デメリットととしては、料金が高くつく。業者や地域にもよるが午前・午後の作業で平均2万円前後が相場だ(燃料費込み)。
身体的なコストは減らせるが、経済コストには大きな負担となる。自分で草刈りするのと併せて活用するのが現実的だろう。

何か公益的な活動をしている場所であれば、ボランティアを募ることも考えられる。近年、自分も草刈りをしてみたい、というような田舎志向の人たちも増えていると聞くので、うまく情報発信ができれば実際的かもしれない。

防草シート
法面などにシートを設置すれば、物理的に草を生やすことなく草刈りの手間を省ける。かなり有効な方法に思うが、やはりここでも費用的には決して安いものではない。
シートの値段は耐用年数、防草効果によってかなりのふり幅がある。
リーズナブルなものであれば、初期コストは抑えられるが、数年おきには交換する必要があり、張替の手間もある。
高額なものは10年ほどの耐用年数があるが、うちの規模でいえば100万円以上の初期投資が必要になる。
また、結局草がシートを突き破って余計に始末に負えなくなったり、劣化したシートの化学繊維が撒き散ることで環境的な問題にもなってくる。

コンクリ化
一層のこと草地をコンクリートで埋める、という手段もある。もはや土木工事となり、調べてもいまいち価格のことはわからないが、数百万には上るかと。ちなみにコンクリートを張ったからと言って永久的なものでなく30~50年の耐久性と言われる。
景観的な問題や、雨が土中に吸収されることもないので環境的なリスクを相当慎重に考える必要がありそうだ。

緑化
公園などで見かける特定の植物、例えば芝やレンゲなどで埋める、という補法もある。環境的には最も良い方法に見える。ただし外来種を持ち込むことになりかねず、その地域本来の生態系に及ぼす影響も無視できない。さらに芝などが定着し、他の雑草に負けないように管理し続けなければならない。
人工芝なら見た目もコンクリよりいいかもわからないが、劣化による環境への影響は免れないだろう。

リモート化・全自動化
昨今では技術開発の進歩により、草刈り界もいよいよロボット化が目前に迫っている。身体的な負担を減らせるリモート操作や、草刈り版ルンバのような自動制御のものも開発中のようだ。実用化は思っていたより早くできそうな期待がある。
おそらく多くの人が待ち望んでいるロボット化だが、複雑な形状や障害物に対しどれだけ対応できるのか。初期段階では多くのトラブルが発生することが予想され、技術として成熟するのにどれだけ時間がかかるかが焦点になりそうだ。

ヤギ化
ロボットと対極ながら注目されるのは、ヤギによる除草である。冗談のように思う人もいるかもしれないが、ヤギのレンタル・販売をする事業者はここ恵那にもいるし、年々増えているようだ。

画像2

(友人宅にいるヤギ)

当然生き物なのでその世話を毎日しなければいけないし、逃げ出さないよう柵を設置したり、小屋を建てたり、いろいろと面倒はある。買い取る場合には冬の飼料代がかかるので、もはやコストとかいう概念がよくわからなくなる話だ。

そして肝心の除草力はどうか。ヤギの食べる草の範囲は一日で約10平方メートルと言われる。この場合うちの敷地だと食べつくすのに240日…。2匹で120日。いやもう後ろを振り返ったら草ボサボサでしょ。10匹ぐらい飼わないととても除草は間に合わない。

しかし、生き物と触れることで得られることはプライスレス。敷地が限られていて、家族が増えた、乳がとれる、と考えられる人には選択肢に含めてもいいかもしれない。

資源化復活への道
結局は以上に挙げた方法を場所に合わせてミックスさせながらやっていく、というのが現実的に思われる。すべて良い点しかない、なんて方法は何においても存在せず、必ずどこかに負担になる部分はある。

一つ思うのは、今刈った草はほとんどがその場に放置される状況にあり、これを再び資源として堆肥化し田畑へ還元する、というひと昔前まで当たり前にやっていたことに立ち返ることを進められたらと思う。

今、田畑は化学肥料を使えば米も野菜も育ってしまう。草を集めて堆肥化するなどの手間を知っている人は、またやろうとは思えないかもしれない。
しかし草は一番身近にある貴重な資源である。刈った草をその側の田畑にエネルギーとして還してあげれば、循環的な栽培の一助になるはず。何か生産につながることをしていると思えれば草刈りにももっと意味を持って臨むことができそうだ。

そのためにはもう少し野良仕事に精が出せるぐらいには生活に余裕を持てるようになる必要があるのだが。

草刈りに希望はあるか

2回の記事を通して草刈りについて探求を試みてきた。これから田舎暮らしをしてみたい、と思い描いている人には若干萎える話になってしまったかもしれないが、必ずついて回る話だ。

田舎暮らしの理想として、広い敷地でのびのび暮らしたり、田畑を持って自給自足、とだれもが描く中には、このような負担が隠れていることは知っておいて損はない。

中には草刈り大好きで炎天下に一日中草を刈っていても苦にならない人も見受けられるので一概に言える話ではない。

しかし正直に告白すれば、オレは草刈りをどうにも好きになれない。身体に響き渡る刈払機の振動はオレの身体組成的な何かを摩耗しているように感じられて気持ちのいいものではない。

実際腰痛や肩痛、筋を痛めたりして、時々整体のお世話になるほどに披露困憊となる。

ましてや炎天下での作業のあとは必ずと言っていいほど熱中症の症状が現れ、半日草刈りをすれば半日使い物にならない。

もう苦行としか思えない。

なので今年からは本格的に外注化をすすめ、年間の半分ぐらいの量は業者にやってもらった。金はかかるが本当に助かった。

でないと夫婦共働きで家事子育てもやりながら草刈りをやり抜くのは至難の業だ。時間も体力もそこまでの余裕はない。

たまたま自宅で自営業しているから、子どもが学校に行っている間に今やらなければいつやると、身体と時間を削ってやってきたのが現状だ。

ご近所さんは敷地や畔を絨毯でも敷いたかのようにきれーいに刈って仕上げているが、これらは仕事をリタイアされたご年配の方々が毎日のように、一日中、作業されている賜物である。ここら辺ではまだ3世代同居が多いことからもわかるように、働き盛りの子育て家族には非常に負担の大きい話なのだ。

そんなオレでも自分で刈った場所を眺めるのは悪い気分はしない。草の茂みが一掃されて、見通しも風通しもよくなったと感じられる。

この感じは散髪と似ている。伸びっぱなしでボサボサの髪でいるよりかは、いつもさっぱり整えていた方が、他人からの印象もさることながら、自分が気持ちよく過ごせる。

この爽快感はやったものにしかわかるまい。それに加えて、やることやったぞという責任感に満たされた感覚もまた気分を高揚させる。

草刈りの本筋とは違ったとしても、このほんのちょっとした自己満足感による自身への励ましは、これからも草刈りを続けていく上でのモチベーションとして決して小さいものではない。

草刈りが生物多様性に貢献できる?

もう一つ、励みになる話がある。

畔や法面の草々は「雑草」と呼ばれ、名もなき邪魔な存在に扱われる。

しかし、そこにはヨモギやアザミ、リンドウなどの草花や、多種多様な昆虫類が生息できる「半自然草原」ともいえる状態が存在し、農村の生物多様性を育む貴重な場としてその機能が注目され始めている。

(参考:「水田畦畔に成立する半自然草原植生の生物多様性の現状と保全」松村 俊和・内田 圭・澤田 佳宏、2014)https://www.jstage.jst.go.jp/article/vegsci/31/2/31_193/_pdf

うまくこれらの植生や生態系を残しながら草の管理ができれば、おそらくその場の畔や法面だけのことでなく、農村全体の多様性の保全に貢献できることになるだろう。

人の目が気になるから、ではなく、自分自身が生態系の多様性に貢献する担い手であることは肝に銘じたい。

自分も担い手の一人になりたい、という人はぜひ我が家へ草刈りへ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?