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「シン・どんど焼き」~人々が再び集まるための文化人類学的考察~

田舎に移住して初めて体験したことの一つに、「どんど焼き」がある。

このnoteでは筆者が岐阜県恵那市に移住して11年の農村暮らしから見えた視点をお届けしてます(所要時間4分)。

どんど焼きとは

どんど焼きとは、小正月に行われる火祭りのことである。

個々の家ではなく、集落の人々が集まり、やぐら状にお正月に飾った門松やしめ縄などを組んで燃やす。神社で執り行われることも多いようだ。
全国的にみられる行事であるが、もともとは平安時代には確認されている宮中行事の「左義長」が起源とされ、貴族が地方に拡散していく中でその風習が伝わったのだろう。その名称を「道祖神祭」「さえのかみ祭り」、「鬼火(おにび)たき」「さいと焼き」「三九郎」とする地方もある。
細かな情報についてはウィキペディアなどに詳しいので参照にしてもらいたいが、様々な名称に見えるように、そのやり方も土地の特徴が垣間見れる行事であったのだろう。

しかし近年は廃れていたらしく、自分の住んでいる地域でも一度はやらなくなったどんど焼きを20年ほど前に「復活」させて今に至っている。

つながり続けるためのどんど焼き

実際どんど焼きとはどんな光景なのか。
大きく組まれたやぐらがバチバチと音を立てながら大きく炎をあげる様子は壮観で、雪の降った翌日でひどく冷え込んだ朝にもかかわらず、やぐらの周りは熱く近寄れない。

燃え尽きるまでには30分もかからず、燃やした竹や木々が「熾き(おき)」となっている上で銘々が鏡餅やスルメなどお供えしていたものを焼いて食べる。

さざえを焼いてる人もおった

もはやお供え物に限らず肉や魚などほぼBBQ化しており、年々皆さん趣向を凝らしてくるのを見るのが楽しい。

果敢にみかん焼きに挑むが熾きの熱さにのけ反る息子の図

集落の人たちの家族が集って火を囲んでワイワイとしながらとても楽しい時間を過ごしている。この集落でどんど焼きが復活したのも、子どもたちに良い思い出を作ってあげたい、というこの地域の方々の想いによるもの。

近所の大人と子どもが混ざって話をする光景はここでは珍しくない

皆さん口々に自分たちの子どものころ、書初めの紙を燃やそうと火にいれたら上昇気流で舞い上がったとか、自分たちが大人になって子どもを連れてこれて、大きくなった今でもどんど焼き楽しかったねと話をするんだとか、この集落で営まれてきた時間の豊かさが想像できてホッコリする。

どんど焼きの名称と由来について

不思議なことに、間もなく白寿の隣の爺さんはどんど焼きのことを「さえのかみ」と言っていた。だが今の50代ぐらいの集落の方々に話を聞くと、子どものころにはすでに「どんど焼き」と呼んでいたという。と思えば、近隣の集落では「さぎちょう」と呼んでいたというし、定まらない。

これはどういうことなのだろうか。

後述するように、どんど焼きを含む正月行事は年神を祀る儀式として浸透しているが、小正月に火送りをする左義長が「さえのかみ」と呼ばれる場合、さえのかみ、つまり「賽の神」を祀る儀式として行われるらしい。賽の神は道祖神を指し、集落の入り口で外敵から守る役割をしているのだそうだ。この道祖神とは、確かにうちの集落にも道端に小さな石仏のようなものが祀られている場所がある。

さえのかみがいつの間にどんど焼きになっていったのだろう。

一つ想像できるのは、伝統行事のリバイバル運動の中でそれらしくパッケージ化された「どんど焼き」というものを新しく始めた、という仮説。

昭和30~40年代にかけて暮らしの様式が様変わりし、全国各地の伝統行事が担い手不足などで衰退していく中で、地域行事も時代に合わせた「再構築」が各所で行われていたという(阿南透)。

東京の狛江市の事例では、まさにさえのかみからどんど焼きに変遷していった過程について述べられており、ここでは平成15年にボーイスカウト・ガールスカウトがどんど焼きとして正月のお焚き上げを「復活」させたとある。(狛江市教育委員会)。

https://www.city.komae.tokyo.jp/index.cfm/45,12306,349,pdf/bunkazai021.pdf

また別の事例として、恵那のお隣、長野県飯田市遠山地方の調査では、どんど焼きが小学校のPTAが中心となって始まっている点に触れられている。「どんど焼きをしない地区は、正月飾りを『山に返す』といって立木の根元などに納めて」いるという記述もあり、小正月の在り方については、名称は何であれ全国一様にお焚き上げをしていたわけでもなく、地域によっていろいろな形があったと想像できる。

一見「伝統」のように見えるものも、地域のプロモーションのために「持ってきた」ものだったりすることは、観光まちづくりに携わった経験の中でいろいろ見てきた。こんなようなヤツ↓

だから意味がない、ということではない。単に金儲けに都合の良いストーリー付けは好ましくないが、地域の子どもたちを大事にする、という気持ちがまた次の世代に伝わっていってくれれば、形は何でも良いわけで。持続可能性はシステムそのものが動くわけでなく、そこに多くの人の気持ちと行動がなければその車輪は回っていかないのだと感じられる正月の一コマである。

年神とどんど焼き

この「どんど焼き」、先にも触れたが年神を祀る風習とされることが多い。

(宮城県神社庁 https://miyagi-jinjacho.or.jp/ofuda/katei-qa/goshinzou.html)

年神とは、新しい年の始まりに家にやってくる稲作の神様と言われており、そもそもが「歳・年」は稲の実りを意味する言葉だとされている(学研全訳古語辞典)。稲が実る一年のサイクルをあらわしていたのだろう。コメが生活の基盤を支えていた村にとって年神は大事な存在であった。門松やしめ縄は、年神を迎えるための目印というのが本来の役割で、無事家に入れた年神はお供えの鏡餅やコメ、酒、などに魂を込めて、一年の家の幸福を見守る、ということだ。
年神もまた地域によって呼び方が様々で、お歳徳(とんど)さん、正月様、恵方神、大年神(大歳神)、年殿、 トシドン 、年爺さん、若年さんなど地方の風習に合わさっていったことがうかがえる。
この名称からもわかるように、どんど焼きの「どんど」は、年神をあらわすもので、年神へのお供えものを燃やすことで年神をお見送りするという意味がある(諸説あり)。
お歳徳(とんど)さんと呼ばれるのは、どうやら中国地方のあたりのようで、ここ恵那のある美濃地方での呼び方は自分の調べて範囲ではわからなかったが、とんどやどんどではなかったことはうかがえる。

先ほどの話題に戻るが、多くの地域にとって、小正月のお焚き上げを復活させるにあたって、子どもたちの心をつかむために、他地方で行われていたキャッチ―な呼び方を採用することが必要だったのかもしれない。賽の神を祀っていたお焚き上げも形骸化・衰退していってしまえば、年神を祀るどんど焼きに変化することにそう抵抗はなかっただろう。むしろ信仰の対象を変えたと考える人はそういないだろう。というか人が集う場所を作ることが失われていることに危機感を持った人達が、もう一度地域でつながろうと取り組んだ結果なのかもしれない。
そう思うと行事の出自に目くじらを立てるよりも、もう一度行事の意味を考え、なぜ一度廃れてしまったのか、新しい集いの場を今後も続けていくには何が必要なのかを考えた方が建設的だろう。

子どもたちと年神

自分にとっては年神という存在自体あまりよくわかっていなかったのだが、今回調べていて特に興味深かったのが、「トシドン」なる存在である。鹿児島県甑島にお住いの、どんど以上にキャッチーな名前を付けられたこの年神は、名前以上にキャッチ―な姿でお正月行事にあらわれる。

(ニッポンドットコム https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu900074/)

おそらく「年殿」の発音が変化したこのトシドン、お正月に家々を周り、子どもたちを散々ビビらせた上に歌を歌わせたり、目のまえで一芸を披露させ、最後に子どもたちの背中に餅、この餅は歳餅と呼ばれる、を載せて帰っていくそうだ。

(ニッポンドットコム https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu900074/)

そのプリミティブ味では男鹿半島のなまはげと並ぶ、日本の正月の原風景を想像するうえでも貴重な祭りだろう。

どんど焼きでも地方によっては、子どもを神の使いとして行事に参加させる風習を持っているところもあるらしく、お正月行事と子どもというのは深く関係していそうだ。

年神のような一年に一回人間の世界を訪れる神を来訪神と呼び、世界各地にみられるらしいが、そういう意味ではサンタクロースもある種の来訪神だな、となんだか構造的に見えてくるのも面白い。年神(トシドン)もサンタクロースも子どものためにやってくるという点も。
日本は何でも自分たちの文化にしちゃうから、サンタクロースと年神のどちらかを選ぶのでなく、連続で来てくれることを選んじゃう、なんともお得なお国柄である。

以上のように、どんど焼きから始まり年神、トシドン、鏡餅、子ども、とお正月ワードを辿ってきた。このように調べていくと、各所で気になるトピックに出くわす。

子どもたちのお正月のお楽しみ、お年玉である。

年神とお年玉、実は深い関係にあると、言われるがその真相はいかに。
これは次回に分けます。

最後に、70年代に切り開かれた分譲住宅地で生まれ育った自分は、どんど焼きなど目にする機会はなかったし、正月の行事は極めて形式的なものでありその意味などを考えたことはなかった。むしろ要らなくね?ぐらいに思っていた。
今回どんど焼きをきっかけに正月の行事について調べてみたのだが、根っこの違う自分には正月に対する感覚的なものはどれだけいっても理解しえないだろう。
だが、あの火の熱さに触れたことで正月行事を大事にする人たちの気持ちや、集落の皆さんの温かい思い出を少しわけてもらえたような気がするのだ。

来年のお正月、もしお近くの場所でどんど焼きが行われるならぜひ足を運んでみてはいかがだろう。普段目にすることのない大きな炎の勢いをじりじりと肌で感じながら、そばにいる人と言葉をかわしてみるのも一興だ。


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