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人間はいつまでも未完成


一流って何?
一流といわれる人物は
実るほど 頭を垂れる 稲穂かな
一流の人物ほど腰が低い
人を尊敬します。

そういう人は自分自身に「自信と誇り」を持っている。
その「自信と誇り」は 人から認められているから持っている「自信と誇り」ではないですね。

世間が見向きもしない先駆的なことをやって やがて 世間がついてきて認めるのです。
すなわち もともと自分自身に「自信と誇り」を持つ生き方が一流。
自分は100点満点なんだ と見ることは 一見慢心にみえるけれども
実は それは一流の生き方なのです。

昔 ドクターの話にこんなことがあります。
私もそっち側であったので変わろうとしたことでもあります。
日本の文化に2つの流れがあると言われています。

一つは「村の文化」
もう一つは「海の文化」
この「村の文化」というのは いわゆる「長いものには巻かれましょう」
日本では「世間体を気にする」と言いますね。

この世間体を気にするというときの「世間」というのは 実は村ということ。社会ではないのですね。

ですから 村を出てどこかに行きますと 「旅の恥はかき捨て」になるのです。
そういう意味では規則を守るのは 村の中だけでいいのです。

日本人にとっての「パブリック=公」というのは すなわち 村なのです。
村からどう見られるか。

日本人の心性の中にこの村意識というのは 現代でも強烈に根づいております。
学校や会社も村ですし 仲間内も村になるわけです。

私達 日本人は この村から排除されることを 強烈に怖がりますよね。
いわゆる仲間外れになることが 怖い訳ですが それはこの「村文化」に生きているからなのです。

この仲間外れを怖がる傾向は 現代の青少年に強く見られる特徴ですから 現代の若者も村文化の中に生きていることになります。
我が国の子供のいじめの問題も淵源はこんなところにあるといいます。
私達が日常的に使っている真面目というのを考えてみると

周りに合わせる。
世間の常識に忠実に随って生きる。
日本文化に随って生きる。

こういうのを真面目と考えられています。
しかし この日本文化というのがくせ者なのです。

心の病気の原因になる文化とも言われいます。

海外旅行や留学や生活している方が 日本に帰ると価値観が違っていたり感性が異なっていたりしませんか?

ビジネスで云うと海外に行ったり また海外製品を取り扱っている方 などのセミナーや話は どこか日本の感性と異なる新鮮さがあったりするかと思います。

「村の文化」というのは非常に世間体を気にして また 保守的で そして 自分の意見は言わない。

表面はにこにこしていても 本音は違う。
建前と本音を立てわけるという特徴があるのです。

すなわち
・謙虚
・ひかえめ
・謙譲の美徳
・奥ゆかしく
・男は黙って
・女は一歩退いて
・人に気を使って
・人に合わせて
・自分が我慢して
・でしゃばってはいけない
・いい気になってはいけない
・調子に乗ってはいけない
・天狗になってはいけない等々

とにかく 一言で言うと「自分を殺せ」と言うのが 日本文化ということです。

だから 真面目な人ほど自分を殺していますね。
したがって 真面目な人は個性がない。
しかも 消極的です。

・ずうずうしく図太くたくましく
世の中 一つの組織を動かす人や 会社を引っ張っているような人は だいたい ずうずうしい人ですね。
そして 図太い人です。
それから 常識にとらわれない人が多いですね。
しかも わがままでワンマンの人が多い。
こう考えると 今の世の中 いわゆる 日本文化から見て悪く思う人が元気なんです。

いい人は あまり元気がない。
病気になりがちなんです。
自分自身を輝かしている人は 実は 考えたら図々しい人なんですね。
仕事においても「ずうずうしく 図太く たくましくいこう」と 「口八丁 手八丁でいくんだ」とそれが正しいんですね。
だから これからは 真面目な人が 善い人が 思いやりのある人が 心優しい人が もっともっと言いたいことを ずけずけ言っていく。

正義を主張していくことが大切。

・村の文化
実はこの日本文化 真面目というのが 先ほどから言っている「村の文化」なのです。
出すぎた真似をすると村八分になるのです。
白黒はっきりさせる人は嫌われるのです。
また 村の文化というのは そういう無慈悲な文化でもあるのです。
人間よりも組織を優先するのです。
ですから人間を抑圧していくという文化ですね。
こういう文化が日本文化の大勢を成しているのです。

・海の文化
一方、もう一つの日本文化があります。
これを「海の文化」というのです。
「海の文化」というのは非常に自立的です。
そして 非常に活動的かつ開放的なのです。

いろんな人を見ていると
・真面目な人
・頑張り屋の人
・責任感の強い人
・また思いやりのある人
・自分のことを顧みず尽くす人
・こういう人が不思議に行き詰まっている。
真面目な人が 頑張っているのに不思議と開けない。
そこまで人に尽くしている人が 有り難がられるどころか かえって迷惑がられたり バカにされたり ひどい場合は恨まれたりしている。

そういう人を見たことありません?真面目な人が意外と開けない。
そうかと思うと ちゃらんぽらんで図々しくて 要領よく立ち回っている人が やることなすこと意外とうまくいく。
うまくいくものですから ますます人に持ち上げられて ますます開けていっているという現実がある。

歳を重ねていくと よくそういう現象を見るのです。
正直者がばかを見て 悪い奴ほどよく太ると。

「なぜでしょう?」

例えば困っている人のため 家族のため また仕事のため 世界平和のため、世の中の正義のために戦う。
だけど我慢して 自分を殺して すなわち 自分を粗末にしてやる人は プラスの運を失う。
したがって 自分を粗末にしているように 人からも粗末にされるようになっていくという法則なんですね。
私さえ我慢すれば 私さえ耐えていれば いつかこの苦労が実るときが来る。それまでの辛抱だ
そういう人ほどやればやるほどひどくなるんです。
これでもかこれでもかというくらい ひどい目に遭うんです。

つまり 自分を殺しているからなんです。

同じ事をやっても自分自身が 喜びながら 楽しみながら 自分の命を輝かしながら やることは これはプラスになっていくんです。
それは 自分を大事にしているように 人からも大事にされていく。
したがって自分を粗末にする人は プラスの運を失うのです。
自分自身を輝かせる人は 運も増していくんです。
現実にどういう行動をとっているかということは大事です。

しかし自身の本心がどっちで生きているのか。
自分の生命を輝かせ楽しみながら生きる方向なのか。
自分を卑下し 追いつめていく方向なのか。
その生命の奥底がどちらに向いているかがさらに重要なんですね。

人間はいつまでも未完成
完璧ではありません。
それでいいんです。

ありのまま成長し自身を輝かせ人生の舞台を演じきっていくこと。

今年は 動画をしようと決意して進めてきたのが段々充実してきました。
まず 初めての挑戦。
デジタルはゼロから始めるアナログ人間が周りの力に助けられながら。
継続する。
大体こんな感じでいつも挑戦する私です。
動画です。


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