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ぼくの2020 -平凡な非日常を振り返る- 最初の冬 編


「見渡す限りの雪景色。冬の国に来たのだな。」
カナダに降り立った瞬間そんなことを感じた。
と、こんな風にはじめたいところだが、なかなかそう上手くはいかない。

まず到着は夜だったし、着いた日は現地の日本人コーディネーターに送ってもらい、ホームステイ先に直行だったのでほとんど外に出ていない。
次の日も外は雪があまりなく、あるのは路肩にある埃っぽい雪だけである。
白銀世界というよりはグレーな風景。
まあこんなもんだろう。
学生時代富山に住んでいたのでこれくらいは許容範囲だ。

そもそもぼくの人生は常に“無難”である。
よく言えば平和でもある。


これはぼくが書こうと思っていたのに書かなかった2020年の日々の記録である。最高に平凡なのに一切退屈しなかったカナダの滞在記だ。


一月

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最初の1ヶ月はホームステイだった。

「ホームステイには期待をするな。」

この言葉は渡航準備中にも多くの人に言われたし、インターネットでもよく目にする。実際、向こうにいっても同じ語学学校の友人が苦労していた。友人の多くは食事が合わなかったり、ホストファミリーと合わなかったりと大変そうだった。
当然のことだ。文化の違う国で暮らすということはそういうことだろうし、それ以前に他人と暮らすということは容易いことではない。


かくいうぼくはどうだったかというと、全くストレスなく過ごせた。もともと鈍感な故、限界が来るまで"大変"に気付かないぼくが、“大変”を感じることは稀であるのだが。。

確かに不満がなかった訳ではない。
トイレの正しい流し方は最後までさっぱりだったし(流した後にレバーを何回か上下させないといけないらしい)、野菜が恋しくなるくらい肉と炭水化物中心の食事ではあった。
でもなんだかんだ楽しく過ごせたのは、ホストマザーのおかげだろう。


彼女は、ぼくがカナダで初めて出会った"現地"の人だった。
フィリピン人の看護師で、毎日夜勤で働いていた。ぼくは日中学校に行っているので、会うのは晩ご飯の1〜2時間のみ。もっとも、ぼくが家にまっすぐ帰ればもっと時間は取れただろうが、毎日友達と図書館にたむろしていたので、むこうは呆れていたかもしれない。
でも、会えば話はするし、ぼくは食べ物の好き嫌いがなく、作ってくれた料理をなんでも美味しいと言ってたので、たぶん関係は良好だったと思う。

彼女はいつも働いていた。
毎晩働きに出て、朝帰って来ては食事を用意してくれる彼女に一度「休みはないの?」と聞いた事がある。
その時、彼女は「最後に休んだのはいつだったか覚えてない。」といっていた。
異国で生活を手にするのは大変だ。あの後コロナのパンデミックになったことを考えると、もっと大変だったと思う。

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ホームステイを出る時に、手紙と折り鶴を送った。我ながらベタな贈り物で、今思うと少し恥ずかしいが、すごく喜んでくれたのを覚えている。

「お腹が空いたらいつでもご飯食べに来なさい。」
彼女は最後にそういってぼくを送り出してくれた。

忙しいから、もし本当に食べに行ってたら断られていたかもしれないが、あの優しさはとても嬉しかった。

振り返るとホストマザーだけでなく、2020年は周りの人間に恵まれた一年だった。
いや、これまでの人生ずっとそうだったかもしれない。

こんなふうに、ぼくのホームステイは、これからの一年の多くの"出会い"を予感させ、これまでの恵まれてきた"出会い"を実感させたものとなった。

これはまだ一月の話。




一月の一枚

これは機会があればまた別で書こうと思うが、ぼくは旅に出る時、テーマとして音楽や本を一つ決めている。
ぼくはそれをその旅に名前をつけるようなものだと考えている。
例に漏れず、カナダでの1年間の滞在もテーマとなる音楽を考えてきた。でも今回は旅というよりは生活だったので、今回の「ぼくの2020」に合わせて、その月によく聞いた"テーマ"を決めていこうと思う。


ニック・ドレイク『Pink Moon』

優しくて、なんだか切ない

カナダのトロントを代表するアーティストといえばラッパーのドレイクだろう。
私もそう思う。実際、トロントでの1年間でも、多くの人がドレイクを話題に音楽の話をした。
でも、私の一月の一枚は、時代もジャンルも全く違うニック・ドレイクの『Pink Moon』だ。
なんだ、カナダのアーティストじゃないのか、と思うだろうが、この時一番聞いていたのが『Pink Moon』なのだからしょうがない。

『Pink Moon』はニック・ドレイク三枚目のアルバムにして最後のアルバム。彼は26歳の若さで亡くなった事や、うつ病だった生涯と相まって”孤独””絶望”と言った形容詞で語られる事が多い。もしかしたら、新天地についたばかりでぼくも”孤独”を密かに感じていたのかもしれないが、ぼくがそれ以上にこのアルバムを聴いて抱く印象は、”優しさ””温かさ”だ。

最初の1ヶ月、ホームステイの家から学校までバスと電車で1時間の通学をしていた。この道中に聴く時に一番しっくり来たのがこのアルバムだった。
それは郊外の街並やそこに暮らす人々に溶けこみながら、ぼく自身の気持ちも表現してくれていた気がする。それは新しい出会いに対するワクワクと、話すたびに言葉の壁を感じる寂しさ。

トロントは"モザイクシティ"と呼ばれていて、移民が多い。
カナダ人と言われている人も多くは移民二世だったりするこの街には、そう言った期待と切なさを誰もが持っているため、人々はみんな温かい。
お祭りの帰り道みたいな充実感と喪失感、そしてそんな気持ちに寄り添ってくれる優しさ。この感情をなんというのかぼくはわからないが、”絶望””孤独”だけでは足りないとは思う。


これは余談だが、このホームステイを出てから一人暮らしをしている時、よくお世話になるスーパーがあった。それはカナダの大手スーパーチェーン「No Frills」。関係はないと思うが、これはニック・ドレイクが残した数少ない言葉の一つ。「飾りはいらない」と言った意味だ。

ある日、いつもの通学路で語学学校の先生に会った。

「誰の曲を聴いているの?」と聞かれたので、

「ニック・ドレイク。『Which will』って曲が好きなんだ。」ってぼくは答えた。

「素敵ね。」と先生は一言いった。

このアルバムには、そんな"飾りのない"一言が一番ぴったりだとぼくは思った。

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