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【エッセイ】七夕が終わる前に

どうしても七月七日のうちに記しておきたくなって急いでスマホに入力している。
いつも以上にお見苦しい文をお許しください。
とにかく書きます。


今日は七夕。

何かと騒がしいツイッターも短冊がタイムラインに揺れる。

みんなそれぞれに願い事がある。
それがたまらなく愛おしく生きていると思わせてくれる。
私にももちろん願い事はある。

今、夏の風物詩、3週ジブリの夏の第1週『風の谷のナウシカ』が放送されている。

ナウシカの負傷した足が酸の湖に浸かりナウシカが悲鳴をあげている。
こどもの王蟲がうずくまるナウシカを心配してくれている。

人は何と戦っているのだろう。

こういう形で提唱しても世界はどこかで腐っている。
不完全な巨神兵は単なる化け物呼ばわりされている。
巨神兵、それは人間だ。

毎年色んな思いが巡るジブリの夏。
『風の谷のナウシカ』か『天空の城ラピュタ』のどちらかは3週に組み込まれていると思う。
なので、私は毎年金曜ロードショーでどちらかをみると、あと何回人生でみられるだろうと考える。
もちろん金曜ロードショーで。

そんな逆算的な発想をここ数年からしている。
よくないよな…。そんな寂しい考えは。
でも、考えてしまう。

何も成さずに終わりたくない。

その思いが、
焦りに似た思いが、
私を駆り立てる。

映像が所々リマスターされ、鮮明になっている。
それが全てではないからぼやけた部分でハッとする。

その時私は目を細める。
昔は視力が両目2.0だった。
きっと今はかなり低くなっているだろう。

眼鏡やコンタクトレンズの友だちの気持ちが本当の意味でわかっていなかった。
最近はまさか老眼?と、不安がよぎることがある。
今夜のナウシカでもそんなことが多々あった。

ただ作画が昔のままでぼやけていると知って安心したり、
そんな一喜一憂自体が昔はそんなことなかったのに…と、
なんともいえない虚しさに襲われる。

今、ナウシカが終わった。

腐海を広げたのは人間の愚かさ。
ナウシカのような自己犠牲の権化にはなれないが、私自身、戒める。
誰もが己を戒める心を持てば…

腐海はこれ以上広がらないのに。

なぜ七月七日のうちに記したかったのか。
七夕の短冊はもう小学生以来書いていない。
もしも願いが叶うなら。
七夕の今夜、
星は見えないが、
夜空に祈ったら、
願いは届くだろうか。

これからもナウシカ、もしくはラピュタを夏にテレビでみたい。
金曜ロードショーで、
ジブリの夏で、

一度でも多くみたい。


*追記(2024/08/30)

今夜の金曜ロードショーは「天空の城ラピュタ」だ。
てんくう…と、スマホで打つと天空の城ラピュタが候補に出てきてすべて入力する手間が省けた。
あと数時間で全国放送というタイミングでこの記事を思い出して読み返していた。
昨年は七夕の頃だったのか。
今年のジブリの夏はもう8月も終わる今なんだな…。
夏がどんどん変わってく。長い夏。まだ秋はこない。
世の中は令和のコメ不足だとか騒いでるけど落ち着こう。そんなことないんだから。不安にかられないで冷静に考えよう。思い合おう。幼稚園や小学校の給食で米に困ってるとニュースでさっきやっていた。せめて子供たちには米を優先させてよ。おそろしいほど米を買い占めた高齢者はムスカに落とされるよ。飛行石をかざされてね。
激動の世界に生きている。
昔、僕が小学生の低学年だった頃、酷い体調不良(厄介な風邪だったのか)で小児科へ急いで運ばれて半日点滴をされたことを今でも鮮明に覚えている。
昼休みを挟んだ時間にいっとき看護婦(当時は看護師ではなかった)さんの気配すらなくなったカーテンで仕切られた個室で初めて病院に一人で過ごす心細さに怯ていた僕の足元に置かれていたブラウン管テレビ。繋がれたビデオデッキには子供向けのアニメが用意されていた。そして僕には「天空の城ラピュタ」を流してくれていた。
だからラピュタを観るとあの小児科の半日入院を思い出す。点滴をされながらミヨンミヨンとドーラの飛行艇が夜の空を飛んでいた。心細さもラピュタが消し去ってくれた。
だから僕にとってバルスは滅びの呪文ではなく希望の呪文でもあった。

あと何回ラピュタやナウシカを夏に観られるだろう。金曜ロードショーで。
また昨年と同じことを考えている。






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