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【エッセイ】90年代の象徴「やっぱり猫が好き」

私にとって90年代とはソバージュ、肩パッド、元祖シャツイン、ケミカルジーンズ、吉田栄作、そしてなんてったって「やっぱり猫が好き」である。
90年代は全てこの「やっぱり猫が好き」に集約されているといっても過言ではない(持論)

三谷幸喜さんの最高傑作。
パッケージだけでも90年代が凝縮されております。



今日私は金沢という地方都市でファッション雑誌から飛び出してきたような90年代コーデの青年を見かけた。
歳の頃は25前後だろうか。
彼はカラフルなボーダーが入ったサマーセーターを肩に羽織り、白いTシャツをストライプのスラックスにインして、数冊のファッション雑誌を小脇に抱え歩いていた。
『サヨナラ』のGAOのように短い黒髪を整髪剤でピチッと固めたその青年の周りだけ真夏の海岸に打ち寄せる波の音が聞こえていた(気がした)。

いまだに根強くエモい昭和レトロブームは続いている。正直ここまで長続きするとは思っていなかった。

メロンソーダ、ラジカセ、インベーダーゲームのテーブル…
レトロブームは微妙に時を刻み、最近はエイティーズからナインティーズへ移行しがっつりバブル期がトレンディなのである。

柴門ふみ氏のコミックに登場してきそうな見た目の若者たちがとにかく多い。実にバブリー。

それは流行りという魔法によって見る者たちを麻痺させる部分はある。
本来(ついこの前まで)野暮ったいファッションであったはずの白ハイソックスを膝下MAXまで上げ、つんつるてんの丈のケミカルジーンズにベルトできっちりインした上着を締め、眉毛は気持ち濃い目、オールスターの低いスニーカーの装いはかつての秋葉のオタクのそれと重なる。なんならペイズリー柄のバンダナもいかがであろうか。
それが今では違和感なく、むしろお洒落と崇められている。やはり流行りという暗示は強大である。

だが今回のこの流行りは私の懐古主義を心地よくくすぐる。
とても好きな時代のリバイバルである。
そんな街の風景はとても心がはずむ。大歓迎なのである。
と、同時に集約された「やっぱり猫が好き」のオープニングテーマであった矢野顕子さんの『David』がゆるやかに、朗らかに、なごやかに、私の脳内に流れるのである。

ブームがこなければこの感覚は生じなかっただろう。
どちらかというと83年生まれの私にとって90年代は昔と呼ぶには抵抗があり、それゆえの過渡期転換の生々しさを帯びていた。
思春期前の子供時代がこの時代であった。

山田邦子全盛期、脳裏に焼き付いているスイカ、ファンシーグッズがゆるキャラ戦国時代のように巷には溢れていた。
まだケーキはバタークリームが主流で2個食べたら気持ち悪くなったクリスマスの思い出。
ブラウン管テレビはまだリモコンでなかったからチャンネルをひねったものだ。

現代であって現代ではなかったアナログとハイテクの混合ダブルス。
今思えば不便だったことが、当時はこの上がないんじゃないかと想像もつかなかった未来を生きていた勘違いも、振り返れば画質の荒い映像で蘇る。
ある種「どぎつい」時代。
それは時代に勢いがあった証でもある。


イケイケノリノリな恩田三姉妹。
ファッションも話題もインテリアも何もかもが90年代。日常のどこまでが台本でアドリブかわからない伝説の30分ドラマ。

私は私の原点がいつなのか時々考える。
あのテレカの時代を生きてきた私は背伸びをしても逆立ちしても平成10年生まれの感覚には追いつけない。私だけではない。みんなそうなのだ。
今の◯◯世代もいつか新しいその時代の先端の◯◯世代にそう思わされることだろう。

詰め込み世代の私は、今日街で見かけた90年代ファッションを楽しむあの青年に矢野顕子さんの『David』をあててしまう。

あの時代に「やっぱり猫が好き」があって良かった。
今こうやって自分事としてエモい気持ちになれるから。
このエモさは私たちの世代にしかわからない。

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