【エッセイ】あの時は嘘じゃなかった

人の趣味や好みや嗜好は変化するんだなと39歳後半戦の今つくづく思う。
そして最近何かとつくづくという言葉を使いがちだ。
それだけつくづくと使えるくらいそれなりに歳を重ねたんだなとつくづく思う。(つくづく地獄)


昔はNHKの番組は暗くて難しくて堅苦しくてつまらないと専ら民放のチャンネルをぐるぐる周回していた。
NHKは朝ドラ「あぐり」と大河ドラマ「利家とまつ」、そして紅白歌合戦の小林幸子さんと美川憲一さんの衣装対決(舞台装置対決)を年に一度楽しみに観ていたくらいだった。

当時はなんでNHKって再放送ばっかり流すんだろうと一人で苛立っているサイレントクレーマーだった。(サイレントクレーマーなんて言葉あるのか知らんけど)
商品名を出せない国営放送の性も知っていたが声にしないだけで映像には「ヤクルト」「コカコーラ」「タワーレコード」の看板も映っていて、なんだかとんちんかんな矛盾も感じたりしていた。

だが最近は基本NHKをつけている。
脳が求めているのがわかる。
観たい民放の番組が終わると手のひらを返したように「あー!うるさい」とNHKにチャンネルを戻す。戻す……そう。もう戻る感覚になっているのだ。
定着しつつあるホームグラウンドはNHK。
(なんとなくスローガンぽいが)

あれだけ疑問に感じていた再放送も今では有り難い。
「映像の世紀バタフライエフェクト」が深夜に流れてくれる時は、やったぁ!と無邪気に嬉しがる。
見逃していたドラマも、ダイジェストも痒いところに手が届くねぇとご満悦である。
一日に何度も〇〇時になりましたと告げてニュースが挟まれるのも日常になっている。

ゴールデンウイークという言葉は商業的な意味合いが強いから大型連休と報道するNHKの筋の通し方に仁義さえ感じる。(仁義って…)
テロップや字幕も余裕がある時は気にして見るようになった。

NHK神話…ではないが、信頼感は絶大だ。

この文法はこう直すのか…とか、こっちの漢字が正しいんだ…とか、これはひらがなでいいんだ…とか。

私は馬鹿だからちょっとしたところでちょっとずつ学ばなくては頭に入らない。勉強の機会を作らなければならない。
NHKはガチャガチャと騒々しくなく、新しい時代を取り入れる努力や姿勢を見せてはくれるがはじけすぎないで程よくポップでいてくれるところが心地よく丁度いい。
垢抜けたいけど垢抜けきれない素朴な地方出身者と重ねて親近感を勝手に覚えている(妄想が過ぎる)

昔は敬遠していたNHKが今では落ち着く場所で好きになっている。

それって歳を重ねたからなのか…

年寄りはNHK好きだよなぁとあの頃思っていたくそガキだった自分。
歳を重ねただけの理由ではないと思いたいが、人の好みってこんなに変わるんだなぁ。


例えば当時はあんなに好きだったから告白して付き合った恋人も何年か経ったら別れることも、あの好きだった気持ちも嘘じゃなく、あの時は本当だったわけで、好みが変化したと考えればどうしようもないよねと思えてしまう。(結局飽きたと同じことなんだろうが)
だからって浮気に手を出すのは別問題。
ろうそくに灯る好きの炎が消えるまであの時の本当を貫かねばならない。
別れの後にまたろうそくに火を灯せ。


あと、これは余談だが、しかも、突拍子も無いこじつけの思い込みなので話半分に流してほしいのだが20歳を過ぎてしばらくしてから私は煙草を吸うようになったのだが(一日に10本ほど)3度目のコロナワクチン接種後、煙草を吸わなくなった。吸わなくなったことにある日ふと気がついたのだ。吸わないんじゃなくて吸いたいと思わなくなった。
2022年の5月なのでもう一年経つがあれから一本も吸っていない。

一ミリの軽目の煙草を10本程度とはいえやめられないだろうなぁと思っていて、百害あって一利なしとも重々わかってもいて、全て自己責任のもとで惰性で吸っていた煙草をこんなタイミングでやめられることがあるんだと自分でも不思議で仕方ないのである。

一寸先は闇でもあるが光でもある。

何が好きで何が苦手かも一生ではないんだろうなと思うと今はこう、という気持ちで何事も向き合えば少しは生きやすくなるのかもしれない。

決めつけないで。

成長すると変化することもある。
あれは嘘じゃなかったということが生きてりゃ沢山ある。
嘘じゃなかったんだよ。本当だよ。

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