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【詩小説】なんて呼ぼう

街を歩けば「じいじ」「ばあば」
抜け道の公園でも「じいじ」「ばあば」
ながら見テレビからも「じいじ」「ばあば」
どこもかしこも「じいじ」「ばあば」

波平さんが54歳
諸説ありだがフネさんは52歳
それがかつての祖父母像だった、昭和

美魔女やちょい悪オヤジなんて
敬ってるんだか怪しいんだかわからない
曖昧なエイジングの表現も
待ってました!
と、言わんばかりに世に広まったのも
年齢の定義も
多様性の彼方を目指しはじめたことも頷ける

事実
令和一桁年
現在
孫を持つ者たちの見た目は若々しい
そりゃあ「おじいちゃん」「おばあちゃん」
なんて、古くさいのは御免だろう

わたしたちはそんなに老けちゃいないよ
縁側で日向ぼっこなんて冗談じゃないよ

週末はバルコニーでバーベキュー
オープンテラスのカフェでコーヒータイム
映えるチーズケーキの行列にも並ぶ

ネイティブな発音
グランパ
グランマ

やっとアメリカのホームドラマの波が馴染む時代になったのだよ

わたしは相変わらず忙しないこの国の流行り廃りを対岸から眺めていた

どうやらこの事象は定着する模様……

天国にいる二組の
「じいちゃん」
「ばあちゃん」
元気ですか
そちらではそれぞれ一緒にいますか

今は「じいちゃん」のことを「じいじ」と呼ぶ人が増えています
また「ばあちゃん」のことを「ばあば」と呼ぶ人が増えています

大人になるまで生きてくれた方のじいちゃん
マニュアル車で迎えにきてくれてありがとう
百円玉三枚を黒い小銭入れから出して
わたしの両手に与えてくれた
好きなゲームで三回遊ばせてくれた
アイスクリームはきまってハワイアンブルー
青くなった舌を見せたら毎回笑ってくれた

孫煩悩だったんだなと

思い出してます

わたしはじいちゃんをじいじと呼べるかしら
思い出の中で吹き替えてみました

やっぱり「じいちゃん」は「じいちゃん」だった

別に老けてたわけでもない
ちゃんと身綺麗に櫛を持ち歩いていたじいちゃんだったけど
「じいじ」ではもう
上塗りできなかった

わたしはぽかんと上を見上げて
じいちゃんやばあちゃんの顔をみていた

一番早くお別れさせられたもう一人のじいちゃんを見上げた記憶がある
幼児だったのに覚えている
大きな自転車をひく
たくましくひきしまった腕
麦わら帽子の長いゴム紐が揺れる
首にかけたタオルで汗を拭う
その白いタオルには紺色で付き合いのある商店の名前がプリントされていた
じいちゃんと並ぶひまわり

黒い服ですすり泣き
ハンカチを目や鼻にあてる知らない大人たち
大きな白い祭壇を見上げると
白黒のじいちゃんの顔写真だけがあった
それを遺影とはわかるはずもなく畳の上で黙って辺りを見渡していた幼いわたしがいた

同じように二人のばあちゃんとの思い出たち

四つの追憶がこまぎれに甦る

幻に限りなく近いフィルム

じいちゃんもばあちゃんも
呼び方など関係なく
上手に距離をとってくれていた

そう、
とってくれていた

こわくもあり
やさしくもあり
おおきくもあり

足をさすってあげるころには
もうちいさくもあったけど

あのポマードのにおいも
石鹸のにおいも
たばこのにおいも
味噌汁のにおいも
サボテンのにおいも
たんすのしょうのうのにおいも
打ち水の蒸発するにおいも

みんな覚えてる

それはすべて
四人のじいちゃんとばあちゃんが
孫のわたしに
飾ることなく

戦争を背負い
戦火を忘れず

移り行く豊かさを
黙ってみつめて

その豊かさというものに何を思ったか
それすら口にせず

その姿をみせて
一身に注ぎ
惜しみなく
無心に
与えてくれた

あの懐かしい匂いを
なんて呼ぼう




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