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子どもが減ると国は弱くなるの?

今年も国会が始まることもあって、ニュースでも政治の話題が増えてきました。キーワードは「国防」そして「少子化対策」のようですね。いずれも増税がらみのテーマとあって、実質賃金や年金が下がっている景況の中、私たち庶民の受け止めはとても複雑だと思います。ここで政治の話をするつもりはありませんが、私はひとつの素朴な疑問があります。

少子化が進んで人口が減ることは、国にとって絶対的な悪なのでしょうか?

もちろん、際限なく子どもが減っていったら、経済活動も社会生活も成り立たなくなるというのは、ふつうに考えればイメージできることです。

でも、実際には少子化には拍車がかかっているとはいえ、10年単位くらいで進行していると考えられ、これからの経済動向や技術の進歩、私たちの生活スタイルの変化などをすべてお見通しで、確実な未来予測をすることはできないと思います。

そして、いわゆる先進諸国では、軒並み人口は減少の一途をたどっています。文明文化が成熟し、国民の経済・生活レベルが円熟すると、少子化が進行して人口は減少に転じるというのは、ほぼほぼ例外のない法則のようです。

それでも、少子化が進んだ国々が、人口が減少に転じた理由のみをもって経済力をいっきに失ったり、国際的な存在感をそこなうかといえば必ずしもそうではなく、日本よりも先に少子化が進行した西欧諸国をみても、人口こそ減少しているものの、政治・経済・文化などにおいて主導的な役割を果たしていることに変わりはありません。

逆に、急激に人口増加が進むアフリカやアジア、南米などの国々では、食糧問題や経済の悪化、政治の不安定化や難民の発生などが折り重なって、必ずしも人口の増加=国力の向上へと直結してはいない状況にあるケースも少なくありません。

もちろん、視野をひろげて長い目でみれば、行き過ぎた人口の減少は間違いなく国民経済の成長をはばむ要素となり、堅実に人口が増えていく国はやがて経済規模を拡大していくことが見込まれますが、いずれも単純な方程式というよりは、きわめて複合的な要素の掛け算によってもたらされる結果だといえるでしょう。



ひるがえって歴史を遡ってみれば、国家単位で国民の数の変化を高度に意識し、出産や子育てをいわば“国策”として後押しするような時代は、それほど古いわけではありません。

近代国家は、対外的な戦争を意識する中で誕生し成長をとげてきたことが知られます。周辺諸国との間で優位な経済力を獲得し、さらには軍事的な存在感をしめすためには、生産活動の担い手や戦闘員を確保するための政策が不可欠でした。

いわゆる近代家族は、それまでの時代からの自然な経過によってもたらされたというよりは、あきらかに国家による作用が強く働く中で形成され、社会に確立されていったといえます。

一定の年齢になった男性と女性は家庭をもって子どもをもうけることが社会的な“使命”であり、それに反する個性をもつ人々はともすれば社会規範からはずれる扱いを受けることになりました。

このような流れの中で、多くの国や地域では確実に人口規模を拡大させ、国民の生活レベルは向上し、経済的にも軍事的にも国際社会で優位な地位を占めることになりますが、しだいに盲点もじわじわと広がります。

男性は仕事、女性は家庭という規範はジェンダー格差を深刻化させ、多様な価値観や生き方を奪います。経済が右肩あがりの時代はかろうじてマジュリティの幸福が実現できたにせよ、しだいにほころびが全体に忍び寄ることになります。

こんにちでは、結婚して家庭をもつことが必ずしも男女にとって唯一の幸せな人生設計とはいえず、子どもを授かることが必ずしも絶対的な幸せ尺度だともいえないのが現実でしょう。



日本の江戸時代の庶民においては、一定年齢になった男女が結婚して子どもをなすという生き方が全般的な常識であったとはいえず、むしろ家庭をもてるのはある程度の身分と経済力をもつ者にかぎられました。

武家でも農家でも職人でも商家でも、いわゆる住込みの奉公人が結婚して家をもつような例はそれほど一般的とはいえず、一生にわたって“ひとりもの”として人生を終える人の方が圧倒的に多かったのです。

このような姿をみて、「気の毒だ」「不幸な人生だ」と思うのは現在を生きる私たちの価値観かもしれませんが、当時の人々の目線からすれば“人並みの幸せ”を体感して生きていたといえるのかもしれません。

結婚して、家庭をもつこと。子どもを生み、育てること。親子が育み合って、生活すること。

いずれも、素晴らしい出来事であり、価値観だと思いますが、それが絶対的なことか、すべての人に幸せなのかという点は、また別問題だと思います。

文字通り世界一の規模と活力を誇る江戸の街は、数知れない“ひとりもの”によって支えられていました。単純に今の東京と比べるのは難しいですが、必ずしも近代家族のみが普遍的な生き方、暮らし方とはいえないのかもしれません。

結婚する幸せ、結婚しない幸せ。子どものいる幸せ、いない幸せ。人口が増えて幸せになる国、人口が減っても別の幸せをつくる国。

もしかしたら、ふと立ち止まって、こんなシンプルな問いかけを発する時期なのかもしれませんね。

学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。