俺流ラグビースタイル。自分を強くしてくれたのは父親ただ一人

皆さんこんにちはAckeyです。

今回は僕のラグビースタイルと、その考え方についてお話していこうと思います。
この考え方に共感してくれる人はいないんじゃないかなって思いつつ、言葉にしてみようと思ったんだ。
だって今まで、これを伝えていったことがないからである。

俺流タックルの原点、昔大嫌いだった柔道

小学2年生の時に、父親の勧めで柔道を始めるんだけど、ものすごく嫌っていた。
なぜかというと、古風な指導スタイルに僕はハマらなかった。

僕の言う古風な指導スタイルとは、追い込んで追い込んで、ばんばん先生に投げられ、泣きながら先生に規定試合時間の何倍も稽古をつけられることだ。ましてや、良い試合をした次の日にぼこぼこにされる変な風潮があったりといち早くそれに敏感に気付ける能力を持っていたのでそんなくだらないルーティンをしている先生を見て、バカでダサいなと思っていた。

当時の僕はそれなりにすばしっこく、体が小さかった。
なので、教えられた技は背負い投げ、一本背負いだった。
逆に体の大きい人には、大外刈り、払い腰、内股など力強い技を教えていた。

だけど、どうも僕には合わなかった。
どんどん積極的に攻撃するスタイルをやれと言われて続けていたものの、ずっと疑問を抱き続けた。

単純で、面白みのない柔道だった。

まだ自分という人間を知っていたわけではないからプレースタイルを定められなかったというのが現実問題。もうちょっと早く気づけていればよかったなぁと少し未練があるが、、
それを解消してくれたのは、父親だった。

昔は父親もいろんな武道を習っていて、僕が柔道を始めると同時に父親も指導員として通い始める。
最初は特に僕には何も言わない指導員だったが、確か6年生になった頃、父親に個人稽古を誘われた。
そこでは、相手の力をいなしながら技をかける方法を教えてくれた。

その技の名を横車という。

僕の周りでその技を使っている人はいなかったが、それが逆に好都合だった。それにこの技は、いわゆる返し技である。

父親に教えてもらい、それを稽古で試す機会が巡ってきて、見事に成功し、相手を綺麗に倒すことが出来た。
この技がきっかけで、力のない僕でも大きい相手を倒す方法があると教えてもらいそして、ラグビーのタックルにも生かすことが出来、高校でこの技を「スマザー」というタックルの一種である技に応用させることに成功した。

今思えば、柔道が嫌いではなかったこと、むしろ好きだったことに気づかされる。

俺という人間を強くしてくれたのは、父親ただ一人なんだと、この時はまだ知らなかった。

タックル

スマザーは基本的に横車と同じ考えであるんだ。
定義は諸説あるみたいだが、僕はあるラグビーのテクニック本を読んで、このスキルを身に着けていった。

高校一年生の秋まで、僕はSO(スタンドオフ)だったが、そのポジションよりも、FL(フランカー)の方がプレースタイル向きに合っていた。
それを強化させることが出来たのはプレーオフ期間であった。

だが、スマザーをやれば怒られるのでフロントタックルばかり行っていて、両方の肩で不得意なくプレーすることが出来るようになった。

それに哲学的にも、心理的にもタックルとは?と考えるようにもなる。

例えば、体が大きい選手にあえて棒立ち状態で立ち向かう。相手選手は「弱そうな姿勢や状態を見て、「こいつ弱いな。力だけで勝てる。」などと思わせる。

そうすると、胸元めがけてヒットしてこようとしてくるが、その瞬間に膝を抜き低いタックル姿勢になると、相手の足が止まり勝手に相手から倒れてくれます。これが、心理戦の一例になります。

相手に何もさせてあげないタックル、何かする前にとどめを刺すのが僕にとってのタックルである。

タックルをまだまだ追及しているので、理想のタックルにはまだ追いついてるとは思えないが、いつか必ずトッププレイヤーじゃなくても世間に噂されるようなうざいタックラーとして名を上げたい。

そうゆう感じで嫌なタックラーとして、名を徐々に上げれるようにもなり、留学先でもBrother達に認められた程だった。

次目指すこと

体は小さいが、FLとしてプレーできたのには絶対的「根拠のない自信」があったからだと思ってるんだ。タックルを知り尽くしたからこそほかの人には出来ないプレーを持ってる。

僕は飽き性である。だから新しいことに取り組もう。
次目指すものは。「苦手克服」と「思考・技術の努力」

今までは、本能的・野性的感性に優れていたおかげでなんとか楽しくラグビーが出来た。
まだまだ子供な僕はラグビー人生を終えて初めて「大人」になるでしょう。
まだまだ追及心がある僕はラグビーをもっと上手になりたいので、パス、キック、ランを思考的かつ理論的にレベルアップしていこうと思う。

そして、ラグビーの概念を覆すプレイヤーになれるよう努力をする。

自分を理解してくれる存在

父親には、感謝だ。

僕は変則的な人生を送っているにもかかわらず、就職しろとは今まで言われたことがなかった。

コロナが世界的に広まり始めたころに、就職してくれとは言われたが、安定した人生を送れと言われてはいない。両親の力を借りることはできなくなったが、やりたいことがあるなら自分一人で成し遂げろと言われたような気がした。

性格面、運動面、理解してくれてるのは両親しかいないと思ってる。僕の人生は大体がなめられていたからこそ、こいつスゲーと思わせることが容易かった。だって根拠はないけど出来ると自分を信じ、決断と行動が迅速だったから。

両親は食を農業の道に踏み込み、方向は違うけど他の人とは少し違う人生ではある。

僕も面白い人生をこれから歩めるように、準備を進めていくつもりだ。



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