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【原作】#8 置かれた場所で咲く花は 第八章 アブソリュート・エゴダンス

〇前回までのお話 ↓


 そのアーケード商店街には、時折奇妙な光景を見る事ができる。
 老人がベビーカーを押している姿。
 小さな子だ。
 何匹も。何匹も。
 パステルカラーの厚手のフェルトをシートにして、四、五匹、いやもっと。詰められるだけ詰めている印象だ。
 ベビーカーの前部には手書きのメッセージが貼られた透明な募金箱。箱にはNPOノラ里親の会と書かれている。募金箱の中には、今時、珍しい現金が、硬貨がちょっとした山を作っていて、何枚か札も交じっていた。

ケガ、病気の猫を引き取っているため、医療費がかさんでいます。
 この子達に、一度は幸せな思いをさせてやりたい。その一念で老体にムチを打って頑張っております。どうかご慈悲をお願いします。

 路面を軽く鳴らすベビーカーのタイヤの音が止まった。アーケードの真ん中あたり、パチンコ店の前。
 ほとんどの人間が一瞥するだけで、足早に通り過ぎる。
 みんな忙しい。みんな何か抱えている。哀れな小動物にかける時間や手間などないのだ。ましてや情け、そう現金など。
 子猫の一匹が鳴いた。残された生命の量を表すか細い声。にゃあ~。
「どうしたの?」
 四、五歳の女の子。未就学児、周囲のあらゆるものに好奇心を見つけるお年頃、
「これなーに?」母親の静止を振り切り、少女は老人に話しかける。そして、ベビーカーの中身を覗き、元気ないね。
「それはね……」老人は話始める。〝この子たち〟の窮状。元の飼い主による育児放棄。食事もろくに与えられず、栄養失調からすっかりやせ細って——本来の発育より半分の体重だそうだ——しまった。そのせいか、いらぬ病まで抱えてしまい、体力も落ち、あと半年も生きられないだろう。
「俺は、自分の生活を犠牲にしてまでも、こいつらに何とか生きてほしいんだ」
 老人の顔は皺に刻まれ、前歯が二本抜けている。白髪頭の毛は抜け落ち、ピンク色の地肌が見える。
 だが、それでも笑っている。
 少女は母親の下に戻り、募金箱を指差して、ねだる。
 そして、渋る母親から勝ち取った千円コインを片手に募金箱をへ向かう。
「おっと。こいつはいけないよ。お嬢さん」募金箱の入り口を片手でふさがれた。背伸びして、金を入れようとしたためバランスを崩して転びそうになった。駆けてきたのでなおさらだ。
「危ないよ」店頭する前に、誰かに支えられた。自分よりもずっと年上のお姉さん。青い目と金色の髪の毛がきれいだった。
「この募金は猫ちゃんのために使われないんだよ。お嬢さん。決してね」募金箱をふさいだまま、男は言った。自分の父親より歳を取っているが、祖父や祖母よりもおそらくは年下だろう。
「このジジイは、募金と称してみんなからお金を集めて、飲み食いに使っているだよ」日下部は諭すように解説する。
「そうなのか?」とパティ。
「ほれ、よく見てろよ」
 ベビーカーに無造作に詰められた子猫の首にはそれぞれリードがつけられていた。
「逃げないようにか?」
「そうだ。だが、こうも弱っていては逃げることもできないがな。もちろん、わざとだ。金があろうが、なかろうが餌なんか満足に与えるつもりはない」
「何で?」
「それが商売だからだ。同情を誘い、募金を集めて儲けるのが目的。結構手が込んでいるぜ。この猫ちゃんを見ろ」
 三毛の子猫は目を閉じたままだった。しかし、不自然だ。眠っているわけではない。前足で両目をこすり、何かを落とそうとしている。腫れている訳でも、膿とか吹き出物の類といったものではない。瞼が丁寧にふさがれている様だった。
「目に瞬間接着剤を塗って、病気を装っているんだ……、子供だましだが、胸糞悪くなる」
「引き取っているんじゃないのか」
「まさか。こいつはブリーダーだ。虐待商売の」
「リードがついていない猫もいるぞ」
「この黒猫か? ああそれは、電気猫だ。プログラムで決まった動きしかできない。だから、拘束する必要がない。可愛らしく泣いて、気を引く役割だ」
「それなら、全部電気猫でいいじゃないのか。手間暇かからなくて済む」
「匂いなんかは、偽物じゃ出せないだろう。それに金がかかる。適当に繁殖させた方が効率的だ。どうせ、キャットフードなんて高級品をだしてやるつもりもないだろう」
「要は、クズだってことか」
「その通り。分かり易いだろう? だからお嬢ちゃん、君みたいな無垢な心を持った人間はこんなジジイに関わっちゃいけない。ママは最初、お金出すの渋ったろう? それは正しい。それでも……」
 少女は日下部の話を最後まで聞くこともなく、母親の元に帰っていった。親子ともども早急にこの場を去ったようだ。そしてそれは、今の様子を遠巻きに見ていた連中にも派生したようだ。
 厄介ごとが起きる。
 そう感じてその場を去った、逃げたのだ。懸命な判断だ。
「おい。お前らどういうつもりだ。仕事の邪魔をしやがって」老人は怒鳴り始めた。
「おいおい。今頃、イキリ始めたぞ」パティの冷めた目だ。
「タイミングを逸したな。腰抜けめ」
「お前らのためだぞ。いいか、俺のケツモチは……」老人は胸元をじらすように、ゆっくりとシャツの首元をさらけ出した。皺が刻まれた、汚い鯉の鱗。
 二人は笑いが止まらくなった。
「山菱会だろ。知っているよ」笑いながら日下部はまだ首に手をやる老人を見た。脅しがきく、と思っているだろう。今時、入れ墨ぐらいで……。その浅はかな発想。
「日本じゃ、一般市民の前で反社の名前出して、お仕事するのはマズイのだろう?」
「そうだな。暴対法ってヤツだ。下手すると〝親〟までしょっぴかれるかもしれん。管理責任とやらで」
「何だ。お前らサツなのか?」
「いいや。そいつから追われる身だよ」
「ホールディングスのエージェントだよ、私たち。山菱会の連中さえ、小間使いにする世界のビッグボス。確か日本最大のマフィアだろう? あいつらもホールディングスに屈服したよ」
「だ、だからどうだっていうんだ」
「そうだな、今後の身の振り方を考えよう。あんたの事務所とやらで」
 日下部がそう言うと、パティは親指を老人のみぞおちの強く立てる。老人は激しくせき込んだ。
「行きましょう。〝クミチョウ〟さん」
 日下部は老人と肩を組み、パティはベビーカーを押す。
 こうして二人は、〝ブリーダー〟、猫募金詐欺の自宅へ案内されることになった。



『再開までしばらくお待ちください』。試合の結果のテロップが流れると、突如として、スクリーンから光が消えた。
 賭けの参加者たちは困惑しながら、きょろきょろ首を振り、周囲を見渡す。
 何が起きたんだ?
 エージェントどうしの戦い。宣伝文句では、派手な戦闘が繰り広げられることが約束されていた。それがなぜか敵同士仲良く食事をしている。長年の知り合いのように会話しているように映った。中年男性と少女。親子の様に見える。
 殺し合いではないのか。
 そう疑念を持ち始めたその時、男が少女に覆いかぶさるように襲い掛かった。しばらくもみ合い、少女が拳銃を取り出して天井に向けて撃った。
 そこで映像が止まり、先のテロップ。
 ノーコンテスト。再開までしばらくお待ちください。
「何だ? 何だ?」後藤がぼやく。「どういうことなんだ?」なあ。久末に同意を求める。
「そうだな」と答えたものの、久末にはこんな茶番の親睦会などどうでも良かった。むしろ、賭けが無効になったことで、余計な金をホールディングスに提供しなくても済んで良かったと思う。何らかのトラブルが起きたようだが、これでお開きになれば幸いだ。
 特定非営利活動法人山菱会の久末様、久末昭雄様、至急、券売機カウンターまでお越しください。お言付けがございます。特定非営利活動法人山菱会の……
「兄弟、呼んでいるみたいだぜ」
「そのようだな」久末は付き人に向かって顎を向ける。
 久末は確信している。きっとろくな話じゃないだろうな。


 瘴気、とも言えるほど空気が淀んでいた。
 アーケードからそう遠く離れていない老人の家、猫舎、ゴミ屋敷。残飯混じりのコンビニ弁当容器や汁が残ったカップラーメンのカップ所狭しに放り投げられていた。かなりの歴史があるようで、まるで地層のように堆積している。ペットボトルに残った中身は変色しており、ゼリー状に固まっている。
 窓から入った光が、雲霞のごとく舞い上がったほこりの動きを鮮明に浮かび上がらせる。
 やはり、匂いだ。悪臭。洗っていない生き物の体臭と処理していない糞尿の痕跡が、この部屋を、自称〝事務所〟を支配している。
 か細い小動物の鳴き声が聞こえた。猫の声。部屋の奥には猫がいた。錆びて歪んだケージの中にやせ細った猫。骨にただ巻き付いた皮は、手芸用のモールのようだ。
 ケージはいくつも縦に乱雑に並べられている。その中に子猫たちが、立錐の余地もなく放り込まれている。排泄の処理も食事の世話も満足にされていない。トイレ用の砂さえ見当たらない始末。どうやら何もする気がないようだ。異臭の元はここからだろう。もしかしたら死んだ猫も紛れているのかもしれない。それを確認できるほど、スペースが開いていない。ここにいては、命が腐ってしまう。
「こいつは何だ?」とパティが訊いた。
「ジジイの商売道具さ」
 日下部は以前からこの老人の所業を知っていた。ただホールディングスのエージェントという立場から、目立ちすぎるのは良くないと思い大人しくしていた。そして今はもう、その枷はない。
 どこからか手に入れたノラ猫に交尾をさせ、子猫を増やす。子猫に関しては死ななない程度の栄養分しか与えない。元気に育ってしまったら、〝出荷〟ができないし、〝管理〟がしづらい。
「どうしてこんなことを?」パティは老人の腹に一発。悶絶しながら床に屈みこむ。老人の顔を踏みにじるパティの足はさらに力が入る。
「ちょっと落ち着こうか」俺にも聞きたいことがあるんでね。
「いい加減にしてくれよ」老人がか細い声で訴える。しょうがないんだ。
会費の支払いが、上納金の支払いがキツイんだ。昔は組員も何人かいたが、いまでは俺一人。みんな割に合わないと言って黙って飛んでしまったよ。クソ。学のない、歳を取り過ぎた老人ヤクザに何ができる? 時代が変わったんだ。もうヤクザになりたがる若いヤツなんていない。他の何かになっているだろう。コストやら時間やら効率よく儲ける事の出来る何かに。どうすれば良かったんだ? 教えてくれよ。
「それで弱い者に頼るのか」パティは老人の顎を蹴り上げた。「クソみたいなことをして、会費とやらのの捻出か」
「おい。よせ」
「もうやめてくれ」
「こっちの質問に答えてくれたらな」
「助けてくれるのか?」
「それは無理だ。あんたの抱えている事情なんかどうでもいい。俺たちはお前を殺す。弱者を食い物にするヤツは気に入らないからな。俺も最近とある事情を抱えることになってな。好きなように生きると決めたよ。俺はお前が気に入らないから痛めつけるし、殺す」日下部の言葉に殺意はなかったが、かえってそれが彼の決意を表しているようだ。
「じいさん。あんた、名前は?」
「栗川だ。栗川満」
「ほお、栗川組のクミチョウさんか」
 栗川は細かく何度もうなずいた。
「とりあえず、スマホとチャカだせ」
 老人はスマホを差し出した。
「チャカはどうした?」
「ないんだ。金が無くて闇市に出しちまった。代紋はいった看板と一緒に」
「その闇市はどこだ」とパティ。ホールディングスの追っ手に対抗するのに武器が必要だ。
「知らない。いつも取引が終わるとどこかに移動する。連絡先もその都度」
「変わるか」
「あんた知っているのか。地元だろう」
「噂は聞いているが、いつも道具は用意してもらっているからな」
「コッペリアにか」
「そうだ。だが、俺もお前もコッペリアだという証拠はないし、自覚もしていない」
「所詮はホールディングスの道具だから、連絡がつかないのか」
「その可能性が高いが、コッペリアはある程度担当エージェントの利益を優先する。それが、プログラムだからな。連絡がつけば、俺たちの寿命が少しは伸びる」
「取れなかったら? 〝即死〟か?」
「なに、やりようがあるはずさ。おいクミチョウ。お前、会費は誰に払っている?」
「北島組の青山ってやつだ。山菱会の三次団体」
「三次?」パティが聞いた。日本の反社組織の仕組なじみがない。
「平たく言えば、子会社、孫会社ってところだな。クミチョウ。上納の仕組みは?」
「昔はダミー口座に振り込みだが、滞納している」
「取り立てはいつだ?」
「取り立てる、方じゃないのか?」
「そんなことはできないさ。このジイさんは反社に違いないが、雑魚だ。その辺のイキったあんちゃんたちより、位は低いさ。ホールディングスの中でも、山菱会グループの中でも。だからまともなショバも与えられず、自然シノギもセコいものになる。猫募金詐欺とか」
 栗川はがっくりと頭を垂れた。図星なのだろう。
「手詰まりか?」
「やりようがある、と言っただろう……。クミチョウ。その青山ってヤツに電話しろ。金の準備ができたってな」
「呼び出してどうする?」
「そいつらから、ホールディングスの情報と武器を取り上げる」
「そう上手くいくものか」
「さあな。だが、どこも金に困っているのは事実だ。ホールディングスは厳しいからな。傘下の山菱会も北島組も台所は火の車だ」
「のこのこやってくる確率は高い、か。大した情報も得られないかもしれないが、次につながる一歩は踏めるかもしない。……で、誰が色々巻き上げる?」
「決まっているだろう。娘よ。お前の戦闘力は素晴らしい」
「娘ではない。……まあいいだろう。早くやろうか、おじいちゃん」日下部にはそれが自分を指しているのか、栗川を指しているのか一瞬分からなかった。
「考えている場合いじゃないか。それではクミチョウお願いしますよ」
「待ってくれ。金がないと言っただろう。止まっているんだ」
「滞納しているのは会費だけではないのか」
「スマホの連絡先一覧からそいつの電話番号を見せろ」私が掛ける。
「それはいいが、怪しまれないか。非通知拒否だったらどうする?」
「その瞬間、コイツの寿命を終わらせて他の手を考える」
「なるほど、どう思う?」
「青山は俺と同じぐらいの年だ。最新機器を使いこなせないさ」がくがく震えながら老人は言う。この老人もまた弱者だ。だが、同情はできない。時代に、社会についていけなくなった者は、死ぬしかないのだ。
「耳が痛いね。そいつは」
 パティが電話口でこう告げる。
 栗川の代理でかけている。金ができた旨を伝えた。
「そこで待っていろとさ」どうする?
「ここでは待たんよ。臭いがキツイし、戦闘になって猫ちゃんが巻き込まれたらどうする?」
「助けるのか?」どうやって?
「俺たちは保護できる立場にない。それは善意のカタギの皆さんにお願いする」
「だから。どうやって?」
「このデカイ銃に弾がまだ一発残っている。サイレンサーは使わない。当然、デカイ音がなる。善良な市民はそれに不審に思い通報する」
「警察が踏み込むわけか」
「その時に、この現場の惨状が明らかになる。猫ちゃんたちは、運が良ければ本物のボランティア団体に保護されるかもしれん。保健所で殺処分の可能性もあるがな、ここにずっといるよりはましだろう」
「それしかないか」パティは自分のスマホを操作した。「大丈夫だ」
「良かった。だが、なぜまだホールディングスのデーターベースが使える?」
「さあ。ホールディングスはデカイ組織だからな。私たちがやらかしたことを認識できないのかも」
「俺たちも基本モブキャラだからな、まだ一部の者しか知らないのだろうな。上にお伺いをするにも時間がかかる、と」
「そのようだが、時間との戦いには違いない。……どっちがやる?」
「俺がやるよ。銃の撃ち方、もっと練習しないといけなくなったから」
「おいおい。もうヤルのか? ちょっと待てよ。そうだ、お前ら青山の顔を知っているのか? せめてヤツと会うまで生かしてはくれないのか」
「俺たちが必要なのは検索ワードなんだよ。青山という名前。そいつの顔は俺の娘が覚えた。ホールディングスのデータベースにアクセスしてな」
 日下部は両手で銃を構えた。基本に忠実に、パティに教えられた通りに。
「孫だよ、おじいちゃん」
 大きな音にも関わらず、猫たちはおとなしかった。そんな体力はないのだろう。だが、ベビーカーの中から、子猫が一匹飛び出した。黒猫。泣き声専門の電気猫だ。こちらをずっと見つめている。
 パティは嘔吐した。そのまま屈みこみ、床に両手をついて胃の内容物を全て、胃液まで吐き出した。生温かいサバの味噌煮の流動食……。
「どうした?」慌てて駆け寄る。
「こいつの、このクソジジイのクソみたいな人生が、生きていた証が私の中に入って来る」
 パティは、その場で痙攣する。クミチョウから流れる血液と自身の吐しゃ物に覆われた床の上で。全身を伝わる強烈な振動が、まるで新手のブレイキンのようにパティの身体を躍らせていた。
「何が起きている?」
 困惑する日下部を尻目に、黒猫がパティにすり寄るように近づいてくる。


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