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連載小説「STAR LIGHT DASH!!」3-7

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連載小説「STAR LIGHT DASH!!」

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第3レース 第6組 響くのは風鈴の音色

第3レース 第7組 すり硝子の向こう側

 学習塾の夏期講習が終わり、ぼんやりした頭で、ひよりは席を立った。
 今日はコンタクトが上手く入らなくて久々に出先で眼鏡スタイル。
 去年までこれが普通だったというのに、慣れてしまうと違和感があるものだ。
 何がきっかけというわけでもないけれど、2年に上がる前の春休みに思い立ってコンタクトに変えて、髪型も変えた。
 自分の見た目を変えただけで、心に風が吹いた気がした。耳元を抜けて行く春風が心地よかった。耳も痛くならないし、レンズ越しで無くても見える世界は鮮やかで違う世界に見えた。
 綾は自分から見ると変わった人で、たぶん、彼女は人の本質しか見ていないのだと思う。
 両親でさえも、好きな人でもできたのか、と興味津々な眼差しで見てきたというのに、イメージチェンジしたひよりを見ても、『それも可愛いね』と彼女は言った。
 たまに思う。瀬能綾の目で見る世界はどんなにか綺麗なんだろうと。
 子どもの頃から、身の丈に合ったことだけしてきた。前に出すぎず、悪目立ちせず、それでも、素行や学業面では大人たちに何も言われない。そういう生き方。同級生たちの記憶の中に、水谷ひよりが残ることはない。そのくらい、ただ静かに。
 学習塾の入っているビルを出ると、ムワッと湿気と熱気が襲ってきた。眩しさと不快さで思わず声が漏れる。
 夏はあまり好きじゃない。でも。
「今年の夏は、好きかもな」
 ぽそっと小声で呟き、1人でふふっと笑う。
 腰下まである黄色いチェック柄のチュニックの袖を直し、バッグからスマートフォンを取り出す。
 綾から何か来ている……?
 親指を滑らせ、彼女とのチャットを開く。

あやちゃん【たまたま、会ったよ~】

 そのメッセージの後に、俊平と和斗の水着姿のツーショット写真が続いていて、ひよりは不意をつかれてスマートフォンを落としそうになった。
「え、ええ……」
 思わず漏れる声。

あやちゃん【50M自由形1本勝負は、細原の勝ちでした。やー、アタシ乗らなくてよかった。やってたらビリだわ】

 負けた割に、俊平はノリノリで親指を立てて満開笑顔で写真に収まっている。
 何も返せずに、その場で綾が送ってくれた写真を見つめるだけ。
 水から上がったばかりなのか、2人ともびしょ濡れだった。これは、ちょっと色気が強すぎやしないだろうか。
 逞しい首肩のラインと分厚い胸板。つい凝視ししてしまう。

ひよ【楽しそうだね】

 少ししてからふーと息を吐き出しながら、それだけ返した。
 綾ちゃん、ありがとう。
 内心何度も繰り返す言葉。

あやちゃん【楽しかったよ。今帰り道】
ひよ【谷川くんたちも一緒……?】
あやちゃん【んーん、先に帰ったよ】
ひよ【そうなんだね】
あやちゃん【あの2人仲良すぎてウケる。まさか、プールでまでセットで遭遇すると思わなかった】

 にやりとした表情のタヌキのスタンプがおまけでついてくる。
 ひよりもお菓子ウサギのスタンプで「おつかれさま」と返し、スマートフォンをバッグにしまった。
「……プールでバッタリはハードルが高いな……わたしは無理だな……」
 ぼやきながら眼鏡の位置を直した。

:::::::::::::::::::

 名前も分からない同学年の陸上部の男子。
 彼との出会いで、ひよりの学校生活は少しだけ色彩を変えた。
 廊下で見かける時は、生徒会所属の優等生・細原和斗といつも一緒にいる。
 彼はいつも明るい笑顔で、ふざけたことを言っているのか、和斗もおかしそうに笑い返していた。
 そんな目立つタイプのコンビだったので、名前を把握するのにも時間はかからなかった。
 ひよりはそういう組み合わせを見かけると、スクールカーストというのはよくできているなと思ってしまうタイプの人間だった。
 物腰が柔らかく、女子人気の高い和斗。運動神経がよさそうで明るく気さくな性格(助けてもらったのでそういうイメージ)の俊平。
 文句のつけようもないし、これ以上のバランスの良い友人関係はないんじゃないかとさえ思った。
 つい目で追ってしまっていることに気付いて、自分でも顔が熱くなる。
 通りがかりで困っているのを見て助けてくれただけの人だ。あちらは自分のことなど記憶にも留めていない。それでも。

 ――あんな風に笑うんだ。

 ――冬は学ランの下はパーカーなんだ。

 ――髪型と一緒で制服の着崩しもこだわりがあるんだな。

 ――時間が空くと所構わず立ったままできる筋トレするんだ。

 ――……こんなに遅い時間まで、1人で走ってるんだ……。

 ずっと静かなところに1人で閉じこもっている自分とは違う。谷川俊平は、自分のやりたいことに対してとても素直で、とても真摯で、とても真面目なように見えた。彼には彼の理想があって、そこに届くまで何度だって同じ場所を走り続ける。出来たと判断しても、すぐに次の目標を設定してまた走る。あんなに頑張ったら疲れるんじゃないか。見ている側が思ってしまう程に。
 だからこそ、彼の努力が結果に結びつかなかったことを思えば思う程、神様は何を見ているんだろうという憤りが湧いてくる。
 2年の終わり。2週間ほど見かけなかった彼が松葉杖で学校に出てきた時は、現実の残酷さに呼吸が出来なかった。
 すぐ治るんですよね? だいじょうぶなんですよね?
 心の中でリフレインするだけで、その言葉を彼に投げかけることはなかった。
 和斗の隣でいつも明るく笑っていた彼の顔には、それから数カ月あの人懐っこい笑顔が咲くことはなかった。

:::::::::::::::::::

 駅前の本屋に寄ってカフェのアイデアに使えそうな本を眺めてから外に出ると、もう18時30分になっていた。
 夏場だからまだ辺りは明るいけれど、もうすぐ夕飯の時間だ。ちょっとゆっくりしすぎた。
 慌てて足早に歩き始めると、前から歩いてきたショートヘアの女の子がふらついてひよりと肩がぶつかった。
 夕飯時は駅前も混んでいるので仕方ないかなと思ったが、ぶつかった拍子に相手がふらりと倒れそうになったので、慌てて腕を掴んで支える。
「だ、だいじょうぶですか?」
 声を掛けて見上げると、椎名邑香だった。
 小憎たらしくなるほど綺麗な顔立ち。ショートヘアでも柔らかそうな髪。華奢で頼りない肩。なんとも猫を想起させるタイプの女の子。私服はラフカジュアルなものが好きなのか、ボーイッシュなTシャツとキュロットスタイルだった。
 真っ青な顔色にドキリと脈が跳ねる。心配になって、もう少し体を寄せて支えるように背中に手を添えてやる。
「ぁ、すみません。ちょっと……具合悪くなっちゃって」
 弱弱しい声だったが、返しは丁寧だった。
 彼女が入学してきた時、男子だけでなく一部の女子も「奇跡的に可愛い子がいる」と騒いでいたのを覚えている。
 相手のことをよく知りもしないのに、告白して玉砕する男子も数名いたとかなんとか。でも、その騒ぎもすぐに収まった。彼女に、同じ学校の生徒で付き合っている相手がいたからだ。発覚した時、なんとなく納得してしまった自分がいた。特に、そのことで傷つきはしなかった。元々、気が付いたら彼のことを目で追ってしまっていただけ。彼とどうにかなりたいなんて欲はなかった。だから、嘆くのもおかしいし、何より、2人が並ぶと、とても納得してしまうのだ。人によっては、あれだけの美少女なら和斗とのほうがお似合いだと裏で言っている人もいたようだが、こんなに納得のいく組み合わせはないじゃないかと、ひよりは熱弁したいくらいに、俊平と邑香はしっくり来る組み合わせだった。
「涼しいところで休みますか?」
「……どこか、座れれば大丈夫だと思います。立ちくらみっぽい」
 であれば、無理に歩かせるよりもしゃがませてしまったほうがいいかもしれない。
 道の端に彼女を誘導して、本屋の壁を背にしゃがませる。
「ありがとうございます」
 雑踏の中、彼女のか細い声が耳に届く。
 片方だけしゃがんでいるのもなんだか不自然な気がしたので、ひよりも同じようにその場にしゃがみ、彼女の横顔を見つめる。
「落ち着くまでそばにいるので、何かあれば言ってください。飲み物買って来ましょうか?」
「バッグに入ってるんで、大丈夫です」
 おそらく視界がグルグルしているのか、彼女は目をぎゅっと閉じて静かになった。
 ぎゅっと閉じられた目蓋のラインも、長い睫毛も、整っていて綺麗だな。そんなことを思ってしまう。
 バッグからスマートフォンを取り出し、母とのチャットを開き、少し帰宅が遅れる旨を送った。
 足を揃えてしゃがんだ姿勢でぼんやりと夕空を見上げる。透明な青とオレンジが混ざりあっている境界線が綺麗だった。
「あー、ホント嫌、この体……」
 邑香が吐き捨てるようにボソッと呟いたのが、隣だったから聴こえてしまった。
 見た目を気にする女子なら誰もが羨みそうな容姿端麗さを備えていても、彼女には彼女なりの悩みがあるのだろう。
「ホントにしゃがんでるだけでだいじょうぶ?」
「大丈夫です。自分の体は自分がよくわかってるので」
 右手で顔を半分覆い、気だるさを追い払うように深呼吸を数回。なんとなく、ひよりも呼気に合わせて深呼吸をする。
 涼しいところで冷たいものでも食べたほうが落ち着くのではないだろうか。
「時間大丈夫ですか?」
 心配するように尋ねてくる邑香。ひよりはニコリと笑み、頷く。
「家には連絡したから」
「もう少しここで座ってれば大丈夫だと思うので、帰っていただいても。悪いですし」
「……それは」
 こんな可愛い子を具合悪い状態で置いていくのは、さすがに俊平に申し訳ない。
「椎名さん、変な人に絡まれやすそうで心配だからまだ一緒にいます」
「え、あれ……? 名前……?」
 急に名前を呼ばれてびっくりしたのか、自分の持ち物を確認する邑香。
「あ、同じ学校。1学年上だけど」
 ずっと俊平のことを見ていた関係で、邑香のことも同様に見ていたので、距離感が完全にミーハーなファン状態だ。そのことに気が付き、慌てて平静を装いながら付け加える。
「そう、なんですね。ありがとうございます、先輩」
 素直。
「……昔からなんですけど、一方的に知られてること多くて、なんかよくわからなくて」
「椎名さん、可愛いから目立ちますよね」
「可愛いかどうかは知らないですけど。それがどうかした? って思ってしまうタイプなので」
 ポケットからハンカチを取り出して、浮かんでいた汗を拭いながらそう答えてくる。拭き終えると、バッグのファスナーを開けてスポーツドリンクを取り出す。右手に力を入れて、キャップを開けると丁寧に口をつけ、コクコクと飲み始めた。
「確かに、よく知りもしない人に何か言われても気持ち悪い、か」
「……あたしは、気を許した相手としか話したくないし」
 キャップを閉めながら静かに言い、ふーと深く息を吐き出す。
「しゅんぺ、ゆーかちゃん」
「……ほんとだ」
 通りに視線を遣ると、黒のキャップを被った俊平と、藍色のサマーセーターを着た和斗が立っていた。

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もしよければ、俊平にスポドリ奢ってあげてください(^-^)