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連載小説「STAR LIGHT DASH!!」3-6

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連載小説「STAR LIGHT DASH!!」

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第3レース 第5組 届かなかったロングシュート

第3レース 第6組 響くのは風鈴の音色

『麻樹はまだまだ頼りないし、家に1人で大丈夫かしら』
 高校2年の冬、母に志望大学の話をした時に言われた言葉だ。
 学費を出してくれるのは両親なので、両親が難色を示すのであれば、何も言えない。
 高校進学の時も、同じように綾はグッと言いたいことを飲み込んだ。
 藤波高校を選んだ理由は、一番近かったからだ。
 保育園年長になった麻樹は、朝は母に送られていくものの、
『帰りは大丈夫だから心配しなくていいからね!』
と部活を切り上げてわざわざ迎えに来なくていいよと笑顔で綾に言った。
 両親なんかよりも、彼のほうがよっぽど人間ができている。そんな気がする。
 今年彼は小学2年生になった。
 本当は寂しいだろうに、綾が部活を終えて帰る時間までお留守番できるようにもなっていた。
 彼のそんな姿勢に励まされて、綾は一度は飲み込んだ言葉を、今年の春、両親に告げた。
『今年も県大会ベスト4以内に入れたら、この大学に行かせてください』
 将来どうしたいとかではなく、また円佳とバスケがしたい。
 ただそれだけの欲求しかないのだから、確かにそれは綾の我儘でしかない。
 自分でもそれは分かっている。
 それでも、祖母が亡くなってから飲み込み続けた言葉が多すぎて、せめてこれくらいは、という感情のほうが勝った。

:::::::::::::::::::

 希依としばらく話していると、スイスイと平泳ぎでこちらにやってくる谷川の姿が見えた。
 一定のリズムで綺麗な姿勢を保っている。やはり、あの筋肉は伊達じゃない。
 先程見かけた時、顔よりも筋肉で彼であることを認識してしまった。それ程、しっかり鍛えているのがわかる体をしている。
 何があったのか知らないが、1年の時には全国大会に出場していたというひよりからの情報もあるし、これだけトレーニングしていて、なぜ、彼は部活動らしきものをしていないのだろう。耳にした経歴だけで見れば、今年だってインターハイに出場していてもおかしくないはずだ。
 プールサイドにタッチすると、大きく息を吐き出して、勢いよく手をつき、谷川が水から上がる。
 水着の位置を直し、腕、体、足の順でぶらぶらと体を弛緩させるように震わせている。
 ぽたぽたと滴り落ちた水の跡は、今日の日射しで素早く蒸発して消えていった。
「はー」
「谷川、お疲れ。今日ってトレーニングで来たの?」
 ちょっと離れた位置だったが、気にせずに綾は声を掛ける。
 軽薄なイメージが強く、個人的にはあまり好きな部類ではないが、ひよりの力になりたいという気持ちが先行しているからか、どうしても興味が向いてしまう。
「綾さん、私、ちょっと泳いできますね」
 気を遣ったのか、希依はそう言うと水の中を歩いて行ってしまった。
 犬みたいにブルブルと水滴を飛ばし、谷川は耳抜きをするようにトントンと弾んでいる。耳に水が入ったのか、どうやら、こちらが声を掛けたことには気付いていない。
「谷川」
「瀬能か。泳がねーの?」
 再度声を掛けると、今度は声に気付いてこちらを向いた。
 首肩のラインも、胸から腹にかけてのラインも本当に美しかった。
「いい胸筋してんねぇ」
「はぁ?!」
 思わず出てしまった言葉だったが、あまり言われたことがないのか、谷川が恥ずかしそうに右手で胸板を見せないようにガードしてきた。
「瀬能、ふつー、逆じゃねーの、そういうのって」
「逆……?」
「……だー、言うか! なんとかハラスメントになる」
 混乱しながら、谷川が割と大きな声でそう言い、その後大きくため息を吐いた。
「キミはいつもそうなんですか」
「んんん? どういう意味?」
「あんまり、そういうことは言わないほうがいいですよ」
 急に敬語になったので、おかしくなって笑う綾。
「なになに、どうしたの?」
「先程、キミはオレのことをチャラいと言いましたが」
 そこまで言って、少々躊躇う素振りをしつつも、綾がじっと見上げているので、仕方なく谷川は続ける。
「キミも大概チャラいからね」
「はぁ?!」
「いやもうこれっだけは、絶っ対、みんなオレに同意してくれっから!」
 納得できない反応に、谷川も負けじと返してくるので、綾も少し考え込む。
「言われたことなかったな」
「どういう環境だよっ!」
「……えー、だって。いや、言われたことないわ」
「相手を誉めることはとてもいいことだが、気を付けたほうがいいぞ。オレは調子に乗らないけど、乗るやつは乗るから」
「それはさすがに人選んでるよ」
「そう。ならいいけど」
「谷川は人畜無害そうだからつい」
「なんっじゃそりゃぁ!」
 綾の言葉に谷川がまたもやキッチリと強めのツッコミをしてくる。その声が周辺に響き渡った。
「あっはっは、谷川、面白いね」
「はぁ、ユウもそうだったけど」
 ため息混じりに、頭をカシカシと掻く谷川。
 分からない名前が出てきたので、綾は首を傾げてみせるが、谷川は独り言のつもりだったのか、特に付け足すこともなく、再度こちらを向いて、少々険しい表情で叱るように言った。
「無自覚は一番危険だからな」
「……えー」
「なんだよ」
 ――アンタが言うなよ。
 という言葉はさすがに飲み込んだ。
 綾が何も続けないので、谷川は肩回りを入念にストレッチして、また水に入った。
 彼がどいたことで、見上げていた先には夏空が広がる。鮮やかな青に、もくもくと雄々しい入道雲。青と白のコントラストが綺麗だった。
「瀬能も泳げばいいのに」
「涼みに来ただけだから」
「……そうしてて、涼しいか?」
「そう言われると返答に困るけど」
 ジリジリと肌が日射しに焼かれる感覚が強くなってきたので、そろそろ水に入ろうかとは考えていた。
「この後、カズと競争してから帰るつもりなんだけど、瀬能もやる?」
 無邪気に白い歯を見せて笑う谷川。
 小学生か。
「男子って競争好きだよねー」
「負けたやつはアイス奢り。瀬能速そうだし、どうよ」
「同年代の男子に勝てるかーい」
 あまりに幼稚で、呆れたようにため息混じりでそう返した後、気になっていたことをそのまま尋ねる。
「谷川って、陸部の活動はいいの?」
 それまで無邪気に笑っていた谷川の表情が固くなったのはすぐに分かった。
「急に何の話?」
「陸部のエースって風の噂で聞いたから。今も鍛えてるみたいだし、引退したわけじゃないんでしょ?」
「春に膝を怪我して陸上部は辞めた」
 機械的に谷川がそう返してくる。
 それを聞いて、迂闊なことを聞いてしまったことに気付き、綾はごくりと息を飲み込んだ。
 人それぞれ事情はあるんだから。ずっと言い聞かせてきた言葉だったのに。
「ご、ごめん」
「謝るなら、訊かないでよ」
 先程までのちゃらけた雰囲気とは打って変わった温度に、さすがの綾も背筋にひやりとしたものを感じる。
「で、でも、偉いね。トレーニングは続けてるんだね」
「大学は陸上強いところ行く予定だから」
「……続けるの?」
「今リハビリ中」
 出来なくなったのかと早合点していたのもあって、その回答にほっとする。
「だったら、なんで辞めたの?」
「走れないなら意味なかったから」
「ん?」
「大会で走れないなら、意味なかったから」
 意味が分からず聞き直す綾に聴こえるようにか、言い直した時の谷川の声には少しばかりの棘があった。
 自分にはない発想だったので、その言葉は耳に届いたけれど、やはり理解はできなかった。
「仲間のサポートとかできることはあったんじゃ……」
 何より、進学時の内申的にも、3年間部活に在籍していたという経歴はあったほうが優位なんじゃないだろうか。
 うっかり漏れてしまった言葉に、谷川がふーっと深く息を吐き出して静かになった。
 その横顔は普段の彼とは全然違った。
「オレの目標はオリンピックに出ることだから」
 たぶん、彼とは根本的な考え方が違うのだろう。
 目標がそうだからなんだというのだろう、という言葉が、綾の中でグルグル回る。そして、出てしまう言葉。
「仲間のサポートもできない人が、そんな夢叶えられるのかな?」
「ただの趣味で終わるやつらのサポートに何のメリットがあるんだよ」
「…………。そっか。ごめん、立ち入ったことを訊いて」
 綾は落ちてきた横髪を直してから、谷川に視線を戻す。
「谷川には谷川の事情があるから、これ以上はやめておくけど」
 谷川がこちらを睨むように見上げてくる。
「もしも、ひよりに、同じようなことを言ったら、アタシはアンタを許さないから」
 美人に凄まれるのはさすがに効いたのか、谷川も少し目を泳がせる。
 水面に視線を向け、小さく咳払いをすると、切り替えたようにこちらを見た。
「……30分くらいしたら、ベンチのほう、戻ってきてもらっていいかな。オレら、競争したら帰るから」
「ええ、わかった」
「じゃ」
 プールサイドの壁を蹴って勢いをつけ、人を避けながら泳いで行く谷川。
 それを見送ってから、綾は思い切り水を蹴り上げた。
「なんだ、アイツ! めっちゃエゴイストじゃん」
 子どもの頃からずっと団体スポーツに触れてきたのもあって、彼の考え方が全く理解できなかった。
 あんな独り善がりな男が、好きなことで好きな大学を選べるのか。なんて理不尽。
「……でも、羨ましい……」
 彼のように清々しく割り切れたら、自分はこんなに感情を押し殺す高校生活を過ごすこともなかったに違いない。
「はー、ダメだ。悲しくなってきた。頭冷やそ」
 腕に力を入れて、水の中に飛び込むと、そのままプールの底を這うように勢いよく潜水の姿勢で泳ぎ始めた。

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第3レース 第7組 すり硝子の向こう側


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