見出し画像

『遺書』 58 昭和のままの、ヘンな家

[前回から続く]

部屋の内装は1980年くらいのまま。一言でいえば、昭和後期。
私が幼い頃に住んでいたマンションと似ている。懐かしくて住み慣れた感じで、そして、“時間が止まっている”。
天井はジプトーンだし。蛍光灯が付いている。しかも輪のほうではなくて、直管。最初から事務所仕様だったようだ。蛍光灯とはいえ、消費電力は大きいだろうと思う。
電話はモジュラージャックではなくってローゼットで、穴から電話線がむき出しで出ていた。黒電話の時代。その電話線は1回線分だけではなくて、さながらベビースターラーメンのように(?!)、束になって出ている。
いうまでもなく、エアコンは、ない。このマンションの建てられた時代は、家庭用クーラー(冷房専用機)がひろまってくるかどうか、という頃。そして、もともとこちらでは、クーラーがなくとも夏をしのげていただろうから。そのかわり冬は、灯油か都市ガスかはわからないけれど、FFストーブをガンガンかけていたはず(そのストーブは残置されていないけど)。最高気温が氷点下の真冬日……というかそれどころでは済まない、最低気温マイナス2桁の世界だから。

いわくつきの物件だから、というのが圧倒的に大きいけれど、都心で近くに建物が新たに建てられていったことで日照が少なくなったことも、低価格の一因。薄暗いけど、冬はなおさらにツラそうだけれど、外から覗き見ることが難しいので防犯の役にはたちそう。

「買います」
「本当にいいんですか? 管理費を払い続けることになりますけどいいんですか?」
「はい」

買うしかない。
ここに避難するしか、ない。

北海道を避難先に決めたのは、こういう物件があるからということが直接の理由ではある。
だけれどもちろん第一には、あの父親に付きまとわれたり押しかけられたりさらには連れ戻されたりするのを防ぐため、物理的に遠くて、心理的に距離感のあるところに逃げて”突き放す”のが理由。私自身が少しでも落ち着ける、遠い遠い避難先に。そして、この居場所が知れてしまっても、ヤツに「絡んで来るな」と言外に醸し出すために。
あとは、スギ花粉が少ないからというのも理由だった。
そして、東京の、というか本州までのほとんどは、夏が暑すぎる。もう冷房なしで住めるところではない。2011年の震災で、あのことがあって、私は省電力を徹底していたし、そしてもう地球は、日本は、季節が壊れるくらいに暑くなっていた。

来たときと同じように担当者の彼の運転で、不動産業者の店舗に戻る。車中で、司法書士に登記代行を依頼するための料金の話とかをして、物件の土地建物の登記事項証明書の束も見せてもらった。
部屋は、マンションが建てられた当初からずっと、所有者がこの不動産業者。抵当権が付けられたこともない。分譲マンションなのに、デベロッパー自身が誰かに賃貸していた、ということに違いない。
登記自体は“クリーン”なんだけれど、まあ……フツーではない。

そして、店に帰ってきて、契約に向けて詳細を詰める。
契約書の準備がある。登記を代行してもらう司法書士に契約現場にも同席してもらわないといけないから、連絡して日時をおさえないといけない。本当は、売主と買主が一緒に法務局に行って登記を申請してもかまわないのだけれど、不動産業者にはもともと取引のある、懇意にしている司法書士がいるわけで。業者にはビジネスと付き合いがあるわけだから、さすがの私も「司法書士ナシでやりましょう」とは言えなかった。
契約の予定はもともと翌日。けれどここでようやく、詳細な時間が決まった。

不動産の売買を扱う業者としてはバカバカしいくらいに少額の、桁が1つか2つか少ない取引なのだけれど。それでも担当者の彼は不機嫌でもない(慇懃でも平身低頭でもなかったけれど!)、フランクだった。
この会社は何十年間も、あの部屋べやを売れずに抱え込み続けて。狭い部屋とはいえ、セントラルヒーティングではないとはいえ、だから年間で20万円とはいかないとはいえ管理費・修繕積立金とそして、固定資産税・都市計画税。それを払い続けてきたはず。バブル崩壊で地価が暴落したとはいえその総額は大きかっただろうし、なにより、この”黒歴史”、“負の財産”がいよいよ片付くとあったから、気分が悪くはなかったのだろう。
それを引き継ぐことになるのは私。地価はまた上がりつつある。固定資産評価額は増えてきそう。フツーに考えたら住めない物件ではあっても、彼らは内部のことなんて知らずに課税してくるだろう。
そして私は、この会社と部屋の”黒歴史”には、気づかなかったことにして――。

その夜の私は、これから住むというのに、街の観光をして、そしてホテルに宿泊。
翌朝もシッカリ、観光した。
正直に言って……今までの生活があまりにも苛酷だったから、気分転換でもしないと生きていられなかった。

[次回に続く]