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人はどんな時に日記を書きたくなるのか。

人はどんな時に日記を書きたくなるのか。

そもそも僕は、毎日日記を書けていない。
書きたくなる時もあるのだが、どうしても書けない時もある。

そして、この日記のほとんどは自分のために書いているので、書くだけで自分の考えが整理される。

それだけで、正直嬉しい。書く意味がある。

でも、書く意味はそれだけではない。やっぱり人に共感されると嬉しいし、僕の日記を待ってる人もいるらしいから、なんだかとても温かい気持ちになる。

なんだかなあ。

よくよく考えたら、僕の日記は、勢いだ。

勢いで書いていることがほとんどで、校正はおろか、おそらく投稿したらほとんど見返さない。半年後、1年後あたりにこんなの書いてたなあと思うくらいである。

日記はそれくらいでいい。義務じゃなくていい。

でも、実体験から思うのだ。

日記は書いたほうがいい。毎日じゃなくていいから、日記は書いたほうがいい。

では、人はどんな時に日記を書きたくなるのか。

それを今回書いていこうと思う。

人はどんな時に日記を書きたくなるのか。

僕はどんな時に日記を書きたくなるのか。

それは明確で、

それは自分の中で何か「もやもや」した時だ。

何かができない、悔しい、怒り、悲しみ、それらを感じた時に、僕は書きたくなる。

そして逆の人もおそらくいるだろう。

嬉しく感じたことを伝えたい。あの気持ちを誰かに聞いてほしい。

そういった時に言葉として、表現したくなるのだ。

そして、約三年間、書くことに向き合って気づいたことがある。

それは、書くということは「浄化」行為に近いということだ。

自分の思想や考えを「言葉」として表現することによって、何かかが癒される。そんな感覚なのだ。

だから僕は書く。だから僕は表現する。

そしてそれは究極、言葉じゃなくたっていい。

絵でもいいし、動画でもいいし、動きでもいいし、僕の知らない何かでもいい。

とにかく「心が動いた」時こそチャンスなのだ。

その時が来たら、朝でも、夜中でも、メモに落とし込むなどして、自分の感情に向き合ってほしい。

自己理解というと大きいかもしれないけど、その瞬間の勢いを大切にしてほしい。

自分の言葉で表現する力の高い人は、その瞬間を見逃さない。

その瞬間が来たら、すぐ自分の頭なり、書くなりして、言語化することが多い。

だから、自分の言葉で話せるのである。

そして、僕はその精度が高いとは思わない。まだまだ発展途上である。

だからこうやって日記を書く。浄化する。自分の気持ちに気づく。行動に移す。

そうやって、自分(人)を理解していくのだと思った。

さて、ここからが大変だ。

僕の頭から最近離れないことがある。

それは、人はどうやったら「自分の思いを言葉にできるのか」という問いだ。

ある意味、言語化力ともいうのかもしれない。

さまざまなノウハウ本がある中で、この問いで悩む若者をたくさんみてきたし、僕自身も伸ばしていきたい問いだ。

自分の言葉を持ってる人はかしこいし、何よりかっこいい。

これからこの問いに向き合いながら、「自分の思いをどうしたら言葉にできるのか」や自分が参加している何かについてどうやったら自分の言葉で話せるのか。

そんな人間であれるのかを考えていきたい。

これからは「問い」をベースにシリーズ日記が始まる。

飽きるまでこの問いを深めていこうと思う。

では、みんな、また明日な!

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